破壊8
紫檀の扉から中庭を囲む回廊にでると、柱にもたれて腕組みしている見知った姿が吉野を待ちかまえていた。ペールブルーの上質なスーツと、ひんやりと陰るなかでさえ輝きを失わない金の髪とで、吉野にはそれが誰だかすぐに見てとれた。
「ヘンリー、なんだ、来てたのか? ずいぶん早かったな」
わざと驚いたような頓狂な声をあげてくしゃりと笑みをみせた吉野に、ヘンリーはわざと顔をしかめてみせ、その肩をぽんと叩いた。
「いつもの事ながら、きみの無謀さには心臓が縮みあがるよ」
「飛鳥には言うなよ」
その場に留まることなく足早に進みながら、吉野は共犯を誘うように悪戯な瞳で傍らの渋面を一瞥し、にっと笑っている。
「さぁ、どうするかな?」
きみには少々仕置きが必要だね、と言わんばかりにヘンリーは意地の悪い笑みを湛えている。
「ちぇっ、無事なんだからさ、それで良しにしてくれよ」
吉野はひょいっと肩をすくめる。
サハイヤ地区の離宮から吉野に連れてこられたのは、ほど近い海岸リゾートの外れにあるテント風ヴィラだった。通された部屋の空調完備された室内からは、ガラス戸を通して薄闇の中、天と地が混じり合うような朧な地平線が見渡せる。
広々とした室内中央に敷かれた赤い草花模様の絨毯の上の、貝殻のように優雅な曲線を描く白いシェルソファーに、吉野は足をあげ胡坐をかいている。ローテーブルを挟む向かい側に、ヘンリーもまた腰をおろした。
「俺、当分帰れないよ。まだしばらくは身を隠しておかないと――。命を狙われてるんだしさ。みんなにさ、迷惑かかるだろ?」
「それを踏まえての提案だよ。ここにいるよりは、英国の方が身の安全をはかれる、と僕は思うからね」
だがヘンリーの真摯な申し出に、吉野は申し訳なさそうに首を振る。
「向こうに戻ったんじゃ、敵は減るけれど味方も減るんだ。判るだろ?」
この一年で、というよりもサウードと知り合ってからの五年間に、眼前の少年はこうも味方といえるだけの勢力を異国に見出し、自分の足場を築いてきたのか――。
そんな吉野に舌を巻きながらも、ヘンリーはこの急激な改革の行く末を決して楽観視はしていなかった。はい、そうですか、とここで引き下がるわけにはいかないのだ。彼は慎重に思考を巡らせながら言葉を探した。
「きみは、これからこの国の政治に参画するつもりなの?」
やがて彼は、返答次第で、吉野を拘束してでも英国に連れ戻す思惑だなどとはおくびにも出さずに口調を抑えて静かに訊ねた。
「外国人が口を挟めるような国じゃないよ」
「今だって充分そうしているじゃないか」
「経済アドバイザーとしてはね。政治となったらまた別だよ」
「だが彼は、サウード殿下はきみの傀儡じゃないのかい?」
「それは違う。だいたい俺、この国にそんな思い入れなんてないもん」
「それならますます、英国に戻ることに異存はないだろ?」
にべもないヘンリーの口調に、吉野はくすくすと笑いだした。
「解ってくれよ。俺にとっちゃ、ここだろうが英国だろうが、外国には変わりはないんだ。あんたが身を隠せっていうんなら日本に帰るよ」
「――その選択肢は考えなかったな」
「ま、在り得ないけどね」
「アスカが胃を痛めてまできみの帰りを待っているのにかい?」
「飛鳥のためだよ。ずっとって訳じゃない。でも、今は無理だ」
残念そうに笑う吉野に、ヘンリーもまた苦笑を漏らした。
「頑固なところはアスカと同じだな」
ため息を一つ吐き、「きみがあくまで我を通すのなら、僕もそれ相応のカードを切らせてもらうよ」と、ヘンリーは懐からシガレットケースを取り出し火を点けた。
「でもその前に、きみのヴィジョンを教えて欲しい」
ソファーから足をおろすと、吉野は背もたれに深く身を沈めて、水平に置いた腕で頭を支えながら目を瞬いた。
「あんたはどこまで知っているんだ? アブドが殺した王族のリストはもう手に入った?」
「きみ、」
その物憂げな口調と気怠げな様子に顔をしかめ、ヘンリーは、点けたばかりの煙草を揉み消し立ちあがった。
「大丈夫。一仕事終えて気が緩んでるだけだよ」
そのまま目を瞑り、口だけ動かしている吉野を見下ろしてヘンリーは苦笑を浮かべると、肘掛けの上にクッションを重ねて吉野に横になるようにと促す。
「こういうところ、兄弟そっくりだね。話は後でいいよ。まずはゆっくり眠ることだ」
返事の代わりに、早々と落ち着いた寝息が聞こえている。
「まだまだ子どもだね」
ヘンリーはくすくす笑いながら、消してしまった煙草を吸い直そうと、懐に手を入れ、ふと思い返してTSネクストを取りだして吉野に向けた。
彼は無事だよ。
申し訳ないが、声は聴かせてあげられない。
くたびれきって爆睡中だからね。
カシャ、と写した画像を添えてまずは飛鳥に。そして、今この時も吉野を思い、心を痛めているに違いない彼の友人たちに向けてメールを送信したのだった。




