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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第九章
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  破壊7

「そのセリフ、そのままそっくりあんたに返すしてやるよ。まさか、俺が何の思惑もなしで、のこのこやって来たなんて、本気で思ってるんじゃないだろうな?」


 アブドの正面に向きあい、吉野は顎をしゃくって彼の背後にいる近衛隊を指し示した。


「何人殺した、アブド? 王の勅命と偽って結成した『反テロ・反乱組織対策委員会』――、逮捕、拘束、拷問、殺害、やりたい放題だったな。あんたには、じきに本物の勅命で国家反逆罪による逮捕状が発行されるよ」


 きゅっと、アブドの履くバブーシュが音を立てて方向を変える。背後に並ぶ近衛隊の銃口は、吉野ではなくアブド自身に向けられていた。


「すでに掌握済み、ということか」

「あんた、骨の髄まで王族だったからね」


 意味が解らないと眉尻をあげたアブドに、吉野は肩を竦めてみせた。


「自国の軍隊が、どこの国のどの民間軍事会社を介した傭兵かなんてあんた知らないだろ? 国防大臣なのにさ。自分の携帯する銃のメンテナンスすら他人任せだ。無知すぎるんだよ。けれど、あんたの役職解任、指名手配が公開されるまでまだ時間がある」


 言葉を切った吉野は顎をしゃくってアブドを見下ろすように目を細めた。


「この国を捨てろ、アブド」

「ふん、手廻しのいいことだな」


 薄く笑みを浮かべ、アブドは透かし彫りで飾られた大理石の窓に向けて歩を進める。


「死ぬなよ、アブド。あんたが俺の手札だってことに変わりはないんだからさ」


 その背中に吉野の静かな声がかかる。背中を向けたままのアブドの高笑いが、冷たい石造りの謁見室に虚しく響き渡った。


「お前は私の駒ではないばかりか、私が、お前の駒にすぎなかった、と言いたいのか?」

「気づくのが遅すぎたね」


 振り向いたアブドに、吉野もまた向き合った。


「あんたを選ばない俺を選んだ時点で、あんたの負けだ」


 アブドの動きに合わせて兵士たちの銃口もその背を追い、隊列の間隔を測りながら網の目を広げるようにその位置を変えている。兵士たちも息を殺して、この成り行きを見守っているのだ。


「あんたは大臣としては優秀だったよ。でも王の器じゃない。俺を信じきれなかっただろ。躊躇なく銃口を向けられるほど、あんたは俺の価値なんて信じちゃいなかったんだよ」

「敵にまわすくらいならこの手で葬ってやる。当然だろう?」


 嘲るように発せられたアブドの返答に、吉野は憐れむように首を振った。


「サウードは違うよ。俺がこの国の未来を約束するなら、あんたに寝返ろうとかまわないと言った。王だけでは成し遂げられないことなんだから、為政者なんて誰でもいいのだ、と。それが、あんたとあいつの器の差だ。私心を捨てられないあんたじゃ、トップに立つには役不足だよ」


 吉野もまたゆっくりと、アブドとの距離を取りながら窓辺へと歩み、凝った装飾の窓枠に手をかけて眼下に視線を走らせた。


「解っただろ? 俺を信じきる度胸もないあんたに、俺をかしずかせるなんてさ、はなから無理だったってことだよ」


 アブドはふっと唇に笑みを浮かべて、「私を生かしておいたことを、いつか後悔するぞ」と言い捨てると、ベランダの欄干をひらりと超えた。吉野は欄干からテラスを臨み、白いサウブを翻して去るその背中に大声で告げた。


「英雄であり続けろ、アブド・H・アル=マルズーク!」


 アブドはもう吉野を振り返ることはなかった。




「あー、マジでびびった。お前の言う通りだったな、アリー。あいつ俺の頭を躊躇なくぶち抜きやがった」

「あなたはご自身の命を粗末に扱いすぎだ」

「そりゃ、信じてるからさ、お前たちを。マジありがとうな。お前に命を救われたのも、これで二度目だな」


 この日のために、吉野は、サウードから譲りうけた元近衛兵アリー・ファイサル・バッティを、ボディーガードから近衛隊へ再入隊させて王宮警護の近衛兵を掌握させてきたのだ。そしていよいよという時に、丸腰でアブドに挑む吉野を憂慮したアリーが、アブドが常に持ち歩く護身用の短銃の銃身に、あらかじめ弾道が逸れるように細工を施したのだ。しかし細工といっても、あまりに至近距離から撃たれたら意味をなさない。心臓の縮まる想いで吉野の無謀さを見守っていたアリーは、渋面を崩さず彼の無邪気な面を睨めつけている。



「本当にこれで良かったのですか?」


 アブドの消えた窓にちらと目をやるアリーに、吉野はどこか遠い彼方を眺めているように目を細めて頷いた。


「いいんだよ、これで。たとえ血塗られた大臣であっても、あいつは国民に絶大な人気があるんだ。その英雄が国際基準にあわせた法で裁かれるなんて、この国の誰も望まない」



 透かし彫りの装飾の入った窓の外を、轟音をたててヘリコプターが飛び立っていく。


 今は銃をおろした兵士たちが、その窓から遠ざかる元・主君を見送っている。



「さぁ、お前たちの王を迎えにいくぞ。ここからが始まりだ」


 暮れなずむ夕空にヘリが完全に溶けて見えなくなるまで見送ってから、吉野は兵士たちの背に声をかけた。


 お前たちの王はアブドではない。

 真に王たる者として生まれてきたサウードを、混乱の最中にあるこの国に呼び戻すには、まだまだすべきことは山とあるのだ。


 足を踏みだした吉野に続いて、アリーも近衛兵たちも、この古の宮殿の玉座を抱く広間を後にした。






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