破壊
紺碧の海に光が舞う。レモン色の壁とオレンジ色の瓦屋根が連なる海岸線を見下ろして、アレンは今日何度目かのため息を漏らしていた。
その傍らにいるサウードは鷹揚な笑みを浮かべて、ひんやりとした大理石の支柱で四方を囲まれた東屋の落とす黒々とした影のしたで、海から吹きあげる風が心地よい涼を運んでくれている、自分を取り囲む穏やかで平和な景色に目を細めている。
「あの熱砂の中と比べるとここは天国だね」
「それでもヨシノは砂漠がいいんだ」
眼前に広がる地中海の向こう岸に想いを馳せているアレンは嫌味とも取れる返答を呟き、間を置いてから小さく吐息をつくとサウードに謝った。
「ごめん」
「彼はべつに、砂漠が好きだというわけではないよ」
その心中を慮ってサウードは頬笑んだ。そして彼をまねて石造りの背もたれに腕をかけ、岸壁から望む街並みを見下ろす。
「僕の国に農業を定着させる試みは、確かに、彼の基幹方針ではあるけどね、それだけじゃないんだ。彼の見通している未来はもっと遥かで、計り知れないものなんだ」
「目先のこと、なのかもしれないけれど、僕には、ヨシノは自分の命を粗末にしているようにしか見えない」
アレンは感情の乏しい抑揚のない声で呟いた。脳裏には一昨日のニュースで見た、吉野やサウード、アーネストの乗るはずだった飛行機の残骸の映像がねっとりと貼りついていた。悪夢となって根をおろしているその残像を振り払うように、アレンはぶんぶんと首を振る。
「粗末になんかしていないよ。彼は誰よりも命を大切に考えている。僕たちよりもずっと深く、ね」
そうは言いながらも、サウードは力なく笑み、気だるげに腕に頭をもたせている。自分自身の言説を信じているとは思えないような憂いを含んだ口調に、アレンは不安そうに眉根を寄せた。
「命を狙われているのに。あんな危険な地に残っているのに?」
サウードと一緒に来てくれてさえいれば、今頃ここで、三人で笑いあえていたはずなのに――。
歯噛みするアレンから、サウードは申し訳なさそうに視線を逸らした。
「僕なんかに彼は解らないよ。昔も、今も――。彼の心は神のみぞ知る、だ」
と、遠くでけたたましく響いてきた笑い声に驚いて、二人ともびくりと飛びあがる。東屋を囲むオリーブの樹々の狭間をぬって、風がプールサイドの嬌声を運んできたのだ。
サウードは振り向きざま顔をしかめてため息を漏らした。
「年甲斐もない」
アブド大臣の思惑を知って早々と祖国を捨て国外に逃げた父王は、援助先のこのド・パルデュー家で、日々享楽に耽っている。
齢七十を迎えた彼には、すでにアブドの反旗を覆すほどの勢力はない。そのうえ軍を掌握する彼に恐れをなして、吉野の言に異議を唱えることもなくこの地に匿われることとなった。この選択は、勿怪の幸いだったのだ、とサウードは自身に言い聞かせるように考えていた。
内戦にでもなろうものなら――。
まずもって、アブドがなぜ今、この時期に自分たちの暗殺を謀ったのかすら、彼には判らないのだ。高齢の現国王と若すぎる自分の年齢を鑑みれば、武力や暗殺という手段を取らずとも、彼が穏便に王位を手にするのはたやすいこと。残虐な性のなせる技だと、彼を知る側近たちは口を揃えて罵っていたが、その中で、吉野だけがふっと背筋が凍りつくような冷笑を浮かべていた。
「サウード、」
物思いから立ち返り、サウードは落ち着かない様子のアレンに目線を戻す。
「ヨシノは今どこにいるの?」
「追いかけないと約束してくれる?」
表情を引き締めて静かに見つめ返した先で、アレンは迷うような素振りを見せている。
「僕は――、彼の期待を裏切らないよ」
アレンからは諦めたような笑みが零れていた。
吉野があの笛を守れと言うのなら。そしてサウードの傍にいろと言うのなら。
それは自分に課せられた役割だと、諦めるより他は選択肢はないのだ。心はどれほど、彼の地へ飛び立ちたくとも――。
「あの飛行機の墜落のことで兄から連絡をもらったんだ。報道で言われている内容とは若干違うけれど、アーネスト卿は予定通り、あれには搭乗しなかったって。これできみたちマシュリク国側の言い分が証明されたわけだよ。後は彼に任せておけば、上手くきみたちに有利になるように計らってくださるそうだよ」
えっ、と軽く息をはき、サウードは不思議そうにアレンを見つめた。
「どういうこと?」
「アーネスト卿は国際弁護士なんだ。ここからは英国ときみたちの国との駆け引きになるんだ。だから兄も、今はヨシノの元ではなくアーネスト卿と一緒にいる」
「駆け引き――」
サウードにしても、国外への一時避難の経路を誤魔化すダミーとしてTS映像を搭乗させる案は、吉野から聴かされていた。けれどまさか、その飛行機が襲われ墜落するとは思いもしなかったのだ。命を狙われている以上、こんなことが起ころうと不思議ではないにしろ。
自分をより安全にここまで逃がすためだけに仕組んだのではなく、英国諜報員を介した亡命計画が漏れる、あるいは失敗に終わることを見越しての計画であったのだとすると――。
「僕たちは英国の真意を試し、英国は僕に手を差し伸べるフリをして殺害を容認したの? それとも、もっと直接的に試みた――?」
薄ら笑いを浮かべて深く息を吐きだしたサウードの肩に、アレンは慰めるようにそっと手をのせる。
「僕は何度ヨシノに命を救われたか判らないね」
「飛行機が墜落した直後にヨシノを見た人がいたんだ。ヨシノが墜落した飛行機から負傷者を助けだしていたって」
見開かれたサウードの目に映るアレンもまた、驚いた顔をしていた。
「きみも知らなかったの? 僕は、ヨシノはサハイヤ地区にいると思っていたんだ。サウード、彼はいったい、今どこで、どうしているんだと思う?」
瞳に色濃く不安をのせて、アレンは膝の上で強く拳を握り締めていた。その彼の前で、サウードは表情を変えないまま小さく首を横に振った。




