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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第九章
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  脱出2

「気もそぞろって感じだね」

 一時間後の出発を控えて、居間から続くテラスでガーデンチェアに腰かけたり立ち上がってはうろうろと歩き回ってみたりと、挙動不審とも取れる様子のアレンに、クリスとフレデリックは顔を見合わせ肩をすくめるている。

「解るよ。僕だってもどかしいもの」

 フレデリックはクリスに苦笑を見せて吐息を漏らす。


 サウードと連絡が取れた、と聴いてからすでに三日。再会を明日に控えて、いよいよアレンはヘンリーと連れだち中東へ向かう。

 現在、マシュリク国では戒厳令が敷かれ、アブド大臣指揮下で徹底した反乱軍の残党狩りが行われているという。そのため空港は閉鎖中だ。クーデター関係者の国外逃亡を防ぐためだという。その緊迫した状況下に、アレンはヘンリーとともに隣国の指定場所までサウードと吉野の一行を迎えに行く手筈になっているのだ。


「どうなるんだろうね――」


 クリスの不安げな呟きに、フレデリックは唇をきゅっと引き結ぶ。


 サウードの英国への支援要請を受け、アーネストが昨日の時点ですでにこの家を出立しているのだ。吉野の正式な英国内身元引受人(ガーディアン)として、外務省下のMI6ら諜報員と行動をともにする。


 サウードのヘンリーへの要請が本物であるなら、英国側、アーネスたちへの要請はおとりということになる。彼らは危険に晒される可能性があるのだ。だが、対する英国の反応を見極めたいと、アーネストはヘンリーの憂慮を押しきって旅立っていた。


 加えてサウードの暗殺が疑われる現状、迎えにいくヘンリーやアレンの身とて安全とは言い難い。


「ヨシノのことだから、ね。きっと笑って帰ってきてくれるよ。皆と一緒にね」


 フレデリックの毅然とした頬笑みに、クリスは大きな目を見開いてしっかりと頷く。


「そうだね、それまでは僕たちが、アスカさんや彼女の支えになれるようにしっかりしなきゃね」


 気負ったような、だが自分自身に言い聞かしているようなクリスの発言に、フレデリックも頷きながらも、また小さくため息を漏らしていた。


「本当にそうだね。彼女も、アスカさんも――」


 彼は、再会した飛鳥のそのあまりのやつれぶりに驚いたのだ。わずかひと月ほど前の創立祭にエリオットを訪ねてくれ、笑顔でともに一日をすごしたばかりだというのに。

 サラにいたっては、ちらりと見かけただけでそれきり会っていないけれど――。彼女にしても、寝食を惜しんでインターネット上に残る吉野の痕跡を分析しているのだという。

 ヘンリーは出発ぎりぎりの今も、彼女と飛鳥と一緒に、そのネット上の手がかりを追っているのだ。



「フレッド、僕はスパイ小説が大好きでさ、」

 クリスは、こんなときに不謹慎かな、と小声で付け加えながら向かい合ったソファーからフレデリックの横に移動して声をひそめて言った。

「けっこうたくさん読んでいるんだけれどね。現実ってのは、小説とは全然違うね」

「そりゃあ、そうだよ」


 フレデリックはくすりと微笑んだ。ああ、クリスの憧れのMI6、英国秘密情報部の登場に衝撃を受けているのだと、納得して相槌を打ちながら。


「とてもドキドキもワクワクも感じてなんていられないよ――。ヘンリー卿やアーネスト卿みたいに冷静になんて、僕には無理だ」と、深いため息がクリスの口からついてでる。

「アレンと一緒に僕も、って言いだすのかと思ったのに」

 意外そうにフレデリックは眉根をあげる。

「言わないよ。僕が行ったって足手まといになるだけだ。アレンは外見はたおやかで頼りなさげに見えるけどさ、芯は僕なんかよりもずっと強いし、賢いからね。だからヘンリー卿だって同行を許したんじゃないか」


 エリオット在学中を通して、アレンの中性的な外見をからかったり、吉野との仲を当て擦って嫌味を言う連中に対して、クリスは一貫してアレンを庇い、矢面に立ち続けてきた。

 そんクリスからでた言葉に、フレデリックは意外感でもって眼前の友人をまじまじと見つめる。


「何もできない自分が悔しい」


 吐き捨てるように呟いて、クリスはぐっと拳を握りしめている。


「僕たちが信じてここで待っていることが、きっと、ヨシノやサウードの支えになっているよ。それに、アレンにも――」


 フレデリックは、クリスの拳の上に掌を重ねた。胸の内では、


 支えではなく(かせ)に……。


 吉野が無茶をしないための、一つの枷にでもなることができるなら、と歯噛みしながら。



 テラスのアレンは、今はガーデンチェアにじっと腰かけて、晴れ渡る蒼穹を睨めつけている。




「きみたち、あの子は?」


 頭上からかかる声に、クリス、フレデリックともに揃って頭を跳ねあげた。吹き抜けの二階廊下の手摺から見下ろしている、ヘンリーの足下に置かれた旅行鞄に一瞬目を留め、フレデリックは緊張で震える声で答えた。


「テラスです。すぐ呼んできます。彼ももう、準備できていますから」

 そう答える合間にも、クリスは表のアレンのもとへ駆けっている。


「ありがとう。そろそろ出かけるよ」


 ヘンリーはいつもの調子でにこやかに言い、いったん姿を消した。


 室内に戻ったアレンは、黙って自分のスーツケースを持ちあげている。フレデリックも、クリスも厳しい表情のままその後に続いた。



「後は頼んだよ。おそらく、しばらくの間連絡はできない。でも心配しないで。ヨシノも殿下も必ず守りぬくからね」


 玄関先で、ヘンリーはまずフレデリックとクリスの肩を、ぽん、とそれぞれ軽く叩いて微笑んで告げた。


「それからアスカ、」

「解っているよ、ヘンリー」

 飛鳥は苦笑してその言葉を遮った。もう充分だと首を横に振る。

「デイヴも、」

「OK、ヘンリー」

 こちらも、にっと笑ってウインクで応えている。

「あの悪ガキに言っといてね~。アスカちゃんの胃が早く治るように病人食作りに帰ってこいって!」


 デヴィッドの頓狂な声に、アレンは恐ろしく真面目な顔をして頷いている。


「そんなに長くはかからないよ。タブレットのイベントまでには必ず戻ってくるから」


 ふっと思い出したように告げたヘンリーに、デヴィッドは、なぜか唇を突きだして顔をしかめている。


「忘れてた……」

「それは困るな」

「大丈夫。今、思い出したから」と苦笑して肩をすくめて、「ほらアスカちゃん、胃を傷めている場合なんかじゃないよ」と、彼は傍らの飛鳥を振り返る。飛鳥は蒼白な顔のまま、真剣な眼差しで何度も頷き返した。


「じゃあ、」

 ヘンリーに促され、アレンは待機していた車に乗りこんだ。




 じゃりじゃりと音を立てて遠ざかる車は、すぐに曲がりくねる木立の陰に隠れて見えなくなった。見送る彼らの誰からともなくため息が漏れた。


「どうかぶじで――。そんな一言さえ不吉に思えて、口に出せないなんて」

「ありがとう。その想いは皆、同じさ」


 吐息混じりに呟いたフレデリックの肩にデヴィッドが腕を回す。そして、ぽん、ぽんと掌で軽く叩いて彼を慰めていた。





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