攪乱8
「まだ見つからないのか?」
「はっ。国境は封鎖し、空港も厳重に監視下において出国禁止処置をとっております。ですが、すでに国外へ逃亡された可能性もなきにしも――」
白いシュマッグで覆われた頭を深く下げて報告する配下の表情は、この国の国防大臣アブド・H・アル=マルズークからは見えない。だがその叱責を恐れるように緊張で身を縮こまらせている彼が発する空気に、探索が進んでいない事を察し、アブドは不愉快そうに眉根を寄せた。
「それはない」
あの吉野が、この状況下でこの国を捨てて逃げだすはずがない。姿を現すことなく、クーデターをわずか一両日中に制圧せしめたのだ。
軍内部が直前になってあれほど現国王派に寝返ったのは、アブドにとって思いもかけない誤算だった。クーデターそのものを一部軍部の反乱として、切り捨てなければならなくなったのだ。
もっとも、その後は彼の思惑通りにことは進んだのだが――。
国王とサウードの安全を確保し、一刻も早く王宮に迎え入れる旨を名目にして、国内に網の目を張るように探索網を敷くこともできた。だが案の定、吉野とともに国王も、サウードも、その目をかい潜り姿を現さない。
その間に、サウード派の主力王族をクーデター決起の関係者、あるいは賛同者として罪状をでっちあげ逮捕した。逮捕者数は、すでに数百名にも膨れあがっている。あちら側の勢力はもはや国内での潜伏を不可能にするほど削がれているはずなのだ。もはや王宮内の旧勢力は一網打尽にされ、国王やサウードが戻ったとしてもその権力は形骸化されている。
だから、ともに来いと言ったのに。
あとは、時間の問題なのだ。雇った傭兵があれらを見つけて殺すのが先か、軍なり警察なりが見つけだし保護した時点で、反乱軍の残党に奇襲されて巻き込まれて死ぬこととなるか。
そうなる前に何としても、吉野だけは確保しなくては。
と、アブドは王宮内にある自分の執務室の椅子に腰かけたまま、苛立ちを隠そうともせずに、革張りの肘かけをトントンと指先で叩いていた。
まさか、拒まれるとは思わなかったのだ。
この私を、王の器ではないと言い放つなどと、あの小僧――。
これほどの屈辱を受けてなお、あれを手放したくない自分に呆れながら、ふと思いついた妙案に、アブドはにやりと唇の端を持ちあげた。
「探すよりも、誘き出す方が早い。サハイヤ地区の太陽光発電施設と温室を爆破しろ。あれが出てくるまで、毎日一基ずつだ。それでも姿を現さないようなら、ブラックプールを空爆しろ」
「発電施設に、温室も――、ですか?」
命令を受けた配下は、無表情ながらも目だけはぎょろりと、信じられないといったふうに、伏せた姿勢から上目遣いにアブドの様子を伺う。
今、爆破命令の下されたサハイヤ地区の太陽光発電施設と温室は、アブド大臣が率先して推し進めてきたプロジェクトなのだ。大臣はこの成功により国民的な人気と信頼を勝ち得、いまだ原油依存の強いこの国に新しい産業を築く第一歩となし得たのだ。
そのうえブラックプール――。今やこの国の金融取引の大半を担う人工知能システムコンピューターを破壊するなどと。
この設備が機能しなくなる事で引き起こされる世界の金融取引に及ぼす影響は計り知れない。
彼は下された命令の重さに慄然としながら、微動だせずに返答を待った。大臣が前言撤回してくれることを神に祈りつつ。
「二度も繰り返させるほどお前は耄碌したのか?」
自分よりも、よほど年齢は上である配下を一瞥すると、アブドは軽く顎を突きだしてふった。
「は。心得ました」
配下の者はくっと喉を鳴らして押し殺した声音で応えると、同時に深く一礼して素早く踵を返すより仕方がなかった。
その姿を見送るわけでもなく、アブドは視線を宙に彷徨わせる。
吉野が、もしも、このままこの国を見限るとしたら――。クーデターは阻止したとはいえ、味方の残っていない王宮に見切りをつけ、これまでの投資を捨て置くとしたら――。
有り得なくはない想像に、アブドは吐息をついた。認めたくない思考に頭を振りさらに思いを巡らせる。
餌がいる。あれを捕らえて従わせるための餌が。
―― こいつは俺のものだ。指一本触れるなよ。
いつだったか、どこだかのパーティーで紹介された、米国人の子どもの印象的な、小奇麗な顔が彼の脳裏を掠めていた。吉野が唯一執着を見せた友人。いや、恋人なのか。
だが、軽く脅しをかけてはみたが吉野はものともしなかったのだ。本気で手を出すにはリスクが多すぎる、その子どものフェイラー財閥という出自がもどかしい。
あれの家族は、父親は日本に、兄は英国にいるはずだ。だがそれも、要人並みのガードに守られているという。
まるでこうして狙われることを、当然のこととして予期してでもいたかのようにアブドには思えてならなかった。たかだか一塊の企業のトップに過ぎぬ者たちが――。
いくら調べても掴み切れない吉野の弱みにアブドは嘆息しつつ、しんと張りつめた執務室の静寂の中に、晴れぬ心を抱えたままその身を沈めていた。




