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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第二章
54/805

  廃墟の城跡5

 とても同じ人間には思えない。


 杜月飛鳥(とづきあすか)から見たヘンリー・ソールスベリーはとてつもなくタフだった。


 飛鳥は夜中に目が覚めトイレに行こうとして、ベッドとベッドの間で腕立て伏せをしていたヘンリーに、思い切り蹴躓いて倒れ込んだことがある。ヘンリーに「申し訳ない」と先に謝られ、飛鳥は自分の不注意さを呪った。


 ヘンリーは、午前5時前には起きて筋力トレーニングをしているらしい。そして、6時にランニングに出かける。一日の授業が終わると、今度は消灯時間までずっと勉強だ。11時の消灯後、じっと暗闇に立ち尽くしているので何をしているのかと思ったら、ヴァイオリンをかまえて音を出さずに弾いていた。月明りに照らされたヘンリーのその姿態はとても荘厳な印象で、飛鳥はいつも寝たふりをしながら彼を眺めていた。だが毎回、いつの間にか眠りこけていたので、彼がどのくらいまで起きているかは知らない。


「きみはいったい、いつ寝ているの?」

 あまりに気になって、飛鳥は一度ヘンリーに聞いてみたことがある。


「夜にちゃんと眠っているよ。あとは休憩時間とかだね、昼休みも。けっこう寝てばかりいる気がするなぁ。きみはよく眠るよね。病気じゃないかと心配したよ」

 ヘンリーは、書きかけのレポートから目を離さず答えている。

「時差のせいだよ、きっと」

 とっさにそう答えたけれど、そうじゃない事は飛鳥自身が一番良く知っている。



 正直なところ、ケンブリッジ大学に進むためと、学費免除・生活費付きの奨学金制度にひかれたために、飛鳥はここに入学したようなものだった。だから彼は、英国のエリートを養成するパブリックスクールというものを、まったくわかっていなかったのだ。


 授業に関しては問題はなかった。内容も理数系なら、日本でやっていた方が難易度は高い。厳しいと聞いていた校則だって、飛鳥の通っていた高校よりも柔軟だ。髪の毛の長さまで言われないだけ、ここの方がよほどマシな気がする。前の高校では、横髪は耳にかかってはならない、後ろ髪も襟足より長いのは禁止だった。


 そういえば、ヘンリーが髪を切れって言ってたっけ。紳士の見本みたいな人だもんな。


 飛鳥は心の中でぼやきながら、ぼんやりと彼の背中を眺めていた。




 そう、飛鳥が馴染めないのは彼なのだ。ヘンリー・ソールスベリーみたいな、完璧で隙のない生徒と、そうはなれない生徒のギャップだ。



 支配する側の人間と、される側の人間――。


 日本にいた時だって、クラスのリーダーっぽい子は必ずいたし、クラス役員だの生徒会だのはあった。だけど、ここは、それとは違う。

 生徒会メンバーや監督生は、絶対的権力者だ。

 ヘンリーはそのどちらでもないけれど、誰もが、生徒会役員や監督生ですら、自分より上の人間だと認めているみたいだ。大企業の社長と平社員みたいに、上下関係だとひと目で判る。


 飛鳥の父親だって会社経営をしているが、社員二十名程度の中小企業でも小の方で、肩書なんか関係なくみんな一緒の作業をしていた。


 父さんは、会社はひとつの家族なんだ、っていつも言っていた。


 ここは違う。同じ寮で毎日一緒にご飯を食べて、同じ建物で眠っていても家族なんかじゃない。監督生が支配する王国だ。




 そろそろ一カ月が過ぎようとする頃になって、やっと飛鳥にも、寮内や学校内の支配体制や力関係が見えてきて、それをどうしても受けつけられない自分自身に心底疲れを感じていたのだ。談話室や食堂で、特に顕著にそれが現れる。その中に身を置くのが嫌で、プライベートな時間は部屋で寝てばかりいた。



 いや、寝る必要はないんだけれど……。嫌だ、嫌だと思っていたら、どうしても眠たくなってしまうんだ、もうこれ以上考えたくないから……。

 勤勉なヘンリーから見たら、僕なんか、すごい怠け者に見えるんだろうな……。



 机に向かうヘンリーの背中から目を逸らし、飛鳥はため息をついた。

 また段々と瞼が重くなっていた。抵抗するのは諦めて、飛鳥はそのままベッドにゴロリと横になって目を瞑った。






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