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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第九章
529/805

  対抗4

「アトラクション? メイボールでしたような?」


 ロンドンから帰宅するなり、ヘンリーは顔を傾げて訊ねていた。まっすぐ向かったコンサバトリーのソファーで、彼は向かい合う飛鳥を怪訝そうなセレストブルーの瞳で見つめているのだ。


「見るだけじゃない、体験型イベントを考えているんだ。欧州の各都市でTSネクストの販売が始まるだろ? そのイベント用にどうかと思って。内容も国ごとに変えてみたんだよ。共通コンセプトは御伽噺。手始めにロンドンのモチーフは『秘密の花園』で、」

 投影装置をいじりながら喋る飛鳥をヘンリーは真顔で見据えている。

「秘密の花園は御伽噺じゃないし、厳密には英国作品でもないよ。作者は米国人だ。舞台は英国だけれどね」

「え! そうなの! 英国のイメージそのものなのになぁ……」

 飛鳥は残念そうにため息をつく。

「それでかまわないじゃないか。あの物語がきみの意欲を掻き立ててくれるのなら。それに、僕もあの本には思い入れがあるんだ」

 ヘンリーは慰めるように言うと、懐かしそうな甘やかな笑みを浮かべた。


「きみが、女の子のための物語を読むって?」

「読んだよ。薦められて読んでみて、サラにあの本を贈ったんだ」

「うん。テーマは御伽噺にしようって提案したら、サラがこれがいい、って押してくれたんだ。ストーリーも面白かったし、主人公がサラとアレンみたいで――」

「サラはあんな我が儘な子じゃなかったよ」


 すかさず突っ込みを入れるヘンリーを笑顔であしらい、飛鳥は言葉を探して間をおいた。


「性格じゃなくてね、――サラって、いろんな事を知るたびに瞳を輝かせて、驚いて、それからすごく喜ぶだろ? アレンもそんな感じだって吉野が言ってたんだ。やっぱり姉弟なんだねぇ」


 微妙な笑みを浮かべるヘンリーを、飛鳥は(あつら)うように瞳を輝かせて見つめている。


「それにしたって、きみが子ども向けの本を読んでるっていうのは驚きだよ! きみなら子どもの頃から、マキャベリとか読んでいそうだもの!」

「きみは、僕のことをどんな子どもだったと思っているんだい?」


 ヘンリーは苦笑して首を振る。だが、飛鳥はちょっと首を竦めて笑うばかりだ。


「サラの誕生日にね、ピアスを贈ったことがあるんだ。それをデイヴに叱られた。年端もいかない女の子にプレゼントを贈るならこんなのにしろ、と言われてね、あの童話を渡されたんだ」

「デヴィのお薦めかぁ」


 それなら解かる、と納得したように飛鳥は大きく頷く。


「結果的には、サラはどちらも喜んでくれたのだけどね。あの本のおかげで、彼女はコンピューターの前から離れて戸外に出るようになったんだ。植物を育てたりね、それ以前よりもずっと健康的になったよ」

「へぇー、そんな経緯があったんだね。サラのガーデニング趣味って、てっきりお父さんの影響かと思ってたよ」

「もちろん、それもあると思う。それできみは、このモチーフをどんなふうに仕上げたの?」


 ふわりと優しげに目尻を下げたヘンリーに応えるために、飛鳥は立ちあがった。


「じゃあ、ロンドン本店は秘密の花園でいいんだね。それともリチャードの花園にする? あ、それじゃ、コンセプトから外れてしまうか――。でも、まずは見てみて」


 タンッ、と飛鳥はローテーブルに置かれた投影装置を軽やかに叩く。


 ガラスに囲まれたコンサバトリーの中央に、人一人がやっと通り抜けられる程度の木製の扉が現れた。黒く塗られた鋲や古めかしい鉄の取っ手が、古色蒼然とした不思議な雰囲気を醸しだしている。飛鳥はポケットから金色の鍵を取りだしてみせ、「これが魔法のアイテムだよ」とヘンリーを振り返り自慢げに微笑む。 


 鍵穴にその魔法のアイテムが触れると、扉は消えて、ぽっかりと飛鳥は空の中心に立っていた。彼の眼前には小さな箱が一つ。赤い革製でアーチ型の蓋の、金装飾がされた宝石箱のような可憐な小箱だ。飛鳥が触れると蓋は自然に開いた。その中から指先で摘んで取りだした緑の種を、飛鳥は空に放り投げる。と、種は空中で割れて、中から一斉ににょきにょきと蔓が伸びて広がっていく。


「この辺は、ちょっとジャックと豆の木みたいだろ? 豆はならないけどね」


 伸びてゆく蔓に次々と葉が芽吹き、薔薇の蕾がほころび始める。白、そして薄紫の薔薇だ。


「これはきみのイメージだよ。清廉な白と高貴な紫。ここまでが基本設定。これにアイテムを増やして、もっと色々な植物を増やして――、ヘンリー、こんなんじゃ駄目かな」


 黙ったままのヘンリーが、飛鳥を不安の中に堕としていた。飛鳥は表情を引きしめ、息を殺して彼の反応を待っている。


「――いや、素晴らしいよ」


 にっこりと微笑んだヘンリーに、飛鳥はほっとしたように息を漏らす。


「でも、アトラクション会場じゃ、たくさんの人が同じ場面にいる訳だろ? 対戦ゲームみたいに一対一ではいかないからさ、できることは少ないんだ。その辺がさ、今悩んでいる箇所なんだよ」


 自分をとり囲む呼びだしたばかりの花園をまだまだ吟味するかのように、飛鳥はぐるりと見回している。普段は細く頼りなげな彼の背中が、このときばかりは、実に頼りがいのある威厳すら兼ね揃えているように見えるのだ。


「ここから、どうしようかなぁ……。せっかくの立体映像なんだから、現実じゃ味わえないような異空間を作りたいよね、ねぇ、ヘンリー」


 小さな子どもの様に瞳を煌めかせて肩越しに振り返った飛鳥を、ヘンリーは微笑みを湛えて、暖かく穏やかに見つめていた。




 

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