廃墟の城跡3
英国でも有数のパブリックスクール、ウイスタン校の新学期が始まった。最上級生の一団に黒いローブを羽織ったヘンリー・ソールスベリーの姿を見つけた時、誰もが我が目を疑った。傍らの友人を突き合い、目配せし合ってひそひそ話がさざ波のように広がっている。
ヘンリーは、ここではライバル校エリオットの守護天使として、知らぬ者はいない程の有名人だ。年に一度のクリケットの対抗試合、エリオット・マッチで、この三年間ヘンリーの率いるチームに、ウイスタンは大敗を喫していたからだ。
それだけじゃない。今年はエリオットからの編入生がヘンリーを含めて7人もいた。何らかの事情でエリオットを退学したヘンリーを、他の六名が「エリオットの卒業生になるよりも、ヘンリー・ソールスベリーの同窓生でいることの方が自身のステータスになる」とばかりに追いかけてきたからだ、と囁かれている。
当然のように、ヘンリーの周囲は元エリオット校生でがっちりと固められている。
エリオット校ラグビー部のエース、エドワード・グレイや、ヴァイオリン国際コンクールで優勝経験のあるエドガー・ウイズリーなど、そうそうたる顔ぶれだ。それにしても、学校側もよくこの人数を受け入れたものだと、新学期の始まりを告げる礼拝堂のミサでは、明らかに異質な元エリオット校生達を遠巻きに眺めながら、ウイスタンの生徒たちの間で様々な憶測が交差していた。
「先輩と同じ寮になれると思っていたのに」
エドガー・ウイズリーは不満気に口を尖らせている。
「ここは音楽に力を入れているからね。カレッジ・スカラーとは別に音楽に特化した奨学制度があるんだ。僕もきみと同じ音楽奨学制度を受けたんだけれどね。まぁ、大人の事情ってやつで、カレッジ寮に回されてしまったんだ。でもきみが来てくれるなんて嬉しいよ。また一緒に演奏できるのが楽しみだ」
ヘンリーは優しく笑って言った。
大人の事情なんて、まるで分からない。けれど、エリオットにいた頃には想像もできなかったヘンリーの優しい言葉に、エドガーは今にも泣きだしそうだ。
エリオット校では、ヘンリーは校内の人種差別主義者に怒り、抗議の実践として自主退学したとまことしやかに囁かれている。
そんな理由などには頓着なく、エドガーはコネを総動員して情報を掴み、エリオット校創立祭を最後に学校から姿を消したヘンリーを追いかけて転校してきたのだ。エリオット校、そして約束されたエリートコースを捨てることになるかもしれない選択に、不安がなかったと言えば嘘になる。だが、こうして久しぶりにヘンリーの姿を見てその声を聴くと、それだけの価値がある決意だったと、自負せずにはいられない。
礼拝が終わり、皆それぞれ自分が受ける学科のある校舎に散っていく。
そんな学生たちの群れの中、エドワードはヘンリーの肩を抱いて耳元で囁いた。
「お前、謀っただろ?」
「なんのことかな?」
「誰が自分について来るか試したんだろ? そのためのパフォーマンスだ」
ふふ、ヘンリーは口先で微笑んだ。
「きみは来ないと思っていたよ」
「エリオットも、ウイスタンも大した差はないさ。お前がいないとつまらない。それだけだ。まだ知らないやつらや、知っていても泣く泣く諦めたやつらがまだまだいるぞ。今頃、お前がここにいるのが知れ渡って、エリオットは大騒ぎだろうさ」
エドワードは肩を揺すって豪快に笑う。
「で、お前の目的はどいつだ?」
「ずいぶん聡くなったな、エド。アーネストに聞いたの?」
「あいつの家がガーディアンなんて聞きゃ、勘繰りたくもなるだろ?」
「まだわからないよ。まったくの見込み違いかもしれない。それにしても残念だな。僕はきみの鈍いところが気にいっているんだが」
「おい、ずいぶんな言い様だな」
ヘンリーはクスクス笑い、足を進めながら、斜め前を歩く杜月飛鳥をちらりと眺めて眉をしかめた。
堂々と歩けと言ったのに!
飛鳥は肩を落とし、俯いたまま、とぼとぼと歩いていた。朝に整えた髪も、もうぐしゃぐしゃだ。まるでこれから刑務所にでも入れられに行くみたいに覇気がない。一般入試とは別の厳しい選抜試験を勝ち得てここにいるカレッジ・スカラーは、皆、黒のローブを見せびらかすように翻し、誇らしげに歩いている。そんな中で、飛鳥のみすぼらしい姿は明らかに異質で異様だ。
これが、僕の目的だって? とてもじゃないが、恥ずかしくて言えない。
「おい、あれだろう?」
エドワードが視線で飛鳥を指し示す。
ヘンリーは不愉快そうに眉を寄せた。
「複層ガラス特殊加工の国際特許を持っているやつだ」
「何だって?」
「去年からウイスタンは、アジア圏からの留学生を制限しているんだ。その規則を自ら破っての受け入れだ。何でも三校に願書を出して、その三校で奪い合い、ここが競り勝ったらしい。お前にしろ、あいつにしろ、学校の宣伝には事欠かないな、ウイスタンは」
エドワードは、ヘンリーに視線を移して肩を叩いた。
「みんな、大昔に英雄が在籍したってだけの遺跡へ通うよりも、生きた英雄と同じ時間を共有したいからな。ここは、そんな風潮をよく解ってる」




