廃墟の城跡2
ヘンリー・ソールスベリーは、窓際の自分の机に頬杖をつき、窓の外に広がる中庭を見下ろしながらため息をついていた。
「終わったかい?」
どうして東洋人というのは、こうも奥ゆかしいというのか、シャイというのか……。
時間が過ぎても現れなかった杜月飛鳥をようやく拾いあげて寮に連れ帰り、夕食に行くために制服に着替えるように、彼を急かしただけなのだ。入寮初日の晩餐から遅刻では彼もきまずいことになるのではないか、というヘンリーの気遣いのつもりだった。
だが、たかがそれだけのことに、彼は顔を赤くして固まってしまった。しかたなく、二人分のベッドと机に占められた、たいした空きのない部屋で、彼は紳士らしく飛鳥に背を向け窓の外を眺めている。
日本人は、同性にでも女性並みの気遣いが必要なのか?
彼は、確かに外見は女性と区別がつかないくらい小柄で、きゃしゃに見える。髪も長すぎる。女性だと言われればそう見えなくもない。だが見た目はともかく、中身までそうである必要はないだろうが!
どうしてこの男をサラが気に入ったのか、彼には皆目見当がつかなかった。これからの一年間を同室で過ごすことを想い、ヘンリーは自分の浅はかさを呪うしかないこの事態に、落胆していたのだ。
「お待たせしてすみません。着替えました」
ヘンリーは内心の想いを押し殺して立ち上がり、窓から室内へと体を返した。そして今度は彼の方が、唖然として固まってしまう。
「――トヅキ、僕がこんなことを言うことで、気を悪くしないで欲しい。だが、その制服はきみの体形にあっていないんじゃないかな?」
明らかに高すぎるカラーの位置に始まって、指の先まですっぽりと収まって見えないほどの袖丈。肩も落ちている。トラウザーズはだぶついて引きずるようだ。ヘンリーには、とてもこれが自分の着ているのと同じ制服には見えなかったのだ。
「学校に用意していただいたんですけれど、僕は小柄で」
「真っ直ぐに立って」
机の引き出しからソーイング・セットを出し、ヘンリーは飛鳥の足元に膝をついた。
「え?」
「時間がないから仮留めだけしておく。大丈夫。これでも寮生活は長いからね。こういうことには慣れているんだ」
言いながら、彼はあっという間にトラウザーズの裾を折上げザクザクと縫っていく。両足とも縫い上げると、「腕を下して」と、今度は袖丈に取りかかる。飛鳥は驚きすぎて言葉がでてこないようで、されるがままに従っていた。
「終わり。今日は仕方がないとして、すぐ近くに学校指定のテイラーがあるから早めに注文しておくといい」
ヘンリーは糸を切り終わると、膝をついたまま飛鳥を見上げた。
「制服――、高すぎて買えないから、お古を用意していただいたんです」
飛鳥はまた顔を真っ赤に染めあげ、消え入りそうな声で言い訳した。
「そう、じゃあ、後でもっとしっかり縫い直そう」
ヘンリーは立ち上がると、今度はだらしなく結ばれた飛鳥のネクタイを解き、結び直した。
「この結び方、なんて言うのか知らないけれど、日本式? きみにはプレーンノットの方が似合うと思うよ」
飛鳥はもう恥ずかしさと、いたたまれなさで、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「あとは、髪。僕のでかまわないなら」
ヘンリーは返事も聞かずに、自分の櫛と整髪料を取ってくると手早く飛鳥の長い髪を七三に分けて撫でつける。
「初めてきみの顔が見れたな」
東洋の神秘だな。
至近距離から見た髪を上げた飛鳥は、顔まで性別の区別がつかない。長く濃いまつ毛に縁どられた切れ長の大きな鳶色の瞳に、こぢんまりとした鼻、唇、滑るような肌。だが、その瞳は怯えるような影を宿し、唇は所在なげに小刻みに震えて魅力を半減させていた。
「ローブを忘れないで」
自分も漆黒のローブをはらりと羽織り、ヘンリーはドアを開けた。そしてふと振り返る。
「トヅキ、顔を上げて背筋を伸ばせ。堂々と歩くんだ。ここは英国だ。第一印象で階級が決まる」
そう言い捨てて、彼は返事を待つこともなく部屋を出ていった。
『柔にして剛』九藤朋さま画 杜月飛鳥




