煌き2
二日には帰ってくるはずだったヘンリーとアーネストは、予定変更して日本の『杜月』へと赴き、結局英国には戻らずにニューヨークへとんぼ返りした。そして学校が始まると、吉野とアレンもエリオットへ戻っていった。
急に静かになったケンブリッジの館で、飛鳥とサラはいつものようにコンピューターに向かい合い、とくに会話を交わすわけでもなく黙々と作業に打ち込んでいた。
サラが寝込んでいる間、一番甲斐甲斐しく世話を焼いていたのは意外なことに吉野だった。人一倍どころか三倍は食べる吉野を含む男子四人の世話に忙しいメアリーに代わり、サラのために消化に良い食事や、日に五度のお茶まで用意していた。
もっとも用意しただけで、なかなか起きて部屋を出ることのないサラの傍に付き添っていたのは、もっぱら飛鳥かデヴィッドだったが……。
それでも、日に何度かはひょっこりと部屋を覗きにくるアレンにしろ、ぶっきらぼうに「食欲は?」とか、「食いたいものある?」とか訊きにくる吉野にしろ、サラとの距離は以前よりもずっと縮まったように飛鳥には思えた。
そんなことを考えていて、自然に頬を緩ませながらモニターを見ている飛鳥に、サラは不思議そうな瞳を向ける。
「何かいいアイデアが浮かんだの?」
「ん? そうだね。やっぱりTS看板は今までとは仕様を変えなきゃ、て吉野が言ってたよ。景観重視の観光地ならともかく、遠くからは見えないんじゃ看板としての役割を果たさないって。確かにそうだよね。ロンドンならまだしも、ネオン看板のないニューヨークなんて想像できないもの」
それに見る角度で突如現れる今の街頭TS看板では、視界の変化に対処できずに、ドライバーが事故を引き起こしかねない、とも。
試作品が商品として世に出回るまで、想像し得るすべての問題に一つ一つ対処するために、ヘンリーはラスベガスの見本市の始まるぎりぎりまで世界を駆け巡っているのだ。
この静かな館から出ることなく常に安全圏にいる自分に後ろめたさを覚えつつ、「きみがサラの傍にいてくれるから安心して闘えるんだ」というヘンリーの言葉に、飛鳥は無理やり自分を納得させている。
無意識に漏れた飛鳥の深いため息に、サラが訝しげに顔を傾げた。
「今日のアスカは変ね。何もないのに笑ったり、ため息をついたり」
「いろいろと思いだしていたんだ。『杜月』の頃は、朝が来るのが吐き気がするほど苦痛だったのにって」
言いながら微笑んだ、ちっとも嬉しそうに見えない飛鳥の笑顔に驚いたのか、サラは大きな瞳を見開いて訊ねた。
「ずっと苦痛だった? 今も?」
「今は違うよ。ここではすべてが順調だもの。ヘンリーの力量だね」
「もう苦しくない? アスカはずっと苦しかったの?」
「サラ、ごめん。誤解させちゃったみたいだね。もう苦しくないし、以前だってずっと苦しかったってわけじゃないよ。きみにヘンリーがいるように、僕には吉野がいてくれたからね。今も昔も変わらないよ。僕はあいつがいるから頑張れるんだ」
サラはほっとしたように微笑みを返し、目を細めて笑っている飛鳥を、吉野みたいだ、と思う。以前の飛鳥はこんな笑い方はしなかったのに。吉野の癖が移ったみたいだ。それが兄弟だ、ということなのだろうか。
「飛鳥の一番はヨシノ?」
「そうだよ。家族だからね。きみとヘンリーと同じだ」
「ヘンリーの一番は私じゃない」
真っ直ぐなサラの瞳を見つめ返し、飛鳥はふわりとした笑みを湛えて首を振る。
「ヘンリーに好きなひとがいても、やっぱり一番はきみだよ。だって家族だもの。好きの種類が違うんだ」
サラは頭を傾げてちょっとの間飛鳥を見つめると、くるりとモニターへ向き直った。
「アスカ、ここのガラス粒子なんだけれど……、」
青白く光る画面をじっと見つめたまま尋ねられた質問に、飛鳥は立ちあがり、身を乗りだしてその視線の先を覗き込む。
「アブドの機嫌、直ってただろ? これでしばらくは、お前の身は安全だよ」
「あのパーティーで? きみ、彼に何を約束したの?」
「米国のシェール油田の権利」
学校が始まり、久しぶりに再会したサウードに、吉野は片目を瞑ってにやっと片唇を跳ねあげる。
サウードの家で盗聴器を発見した以上、自分がいない間にまた仕掛けられているかもしれない。調べて取り外させるにしても、どれだけ信頼できる下僕がいるかすら判らない状況だ。繊細な話を電話でするのは躊躇われた。ロンドンに出向こうにも、デヴィッドが目くじらたてて口を挟み、ついて来ると煩い。
カレッジ寮のサウードの部屋に戻り、二人はやっとまともに話せる時間を持つことができたのだ。そのせいか、顔を見合わせて笑い合い、緊迫した話題に似合わないほど肩を力を抜いている。
「石油を売っている僕たちが、油田を買うのかい?」
「まぁ、国じゃなくてアブド個人か、あいつの兄貴の投資になるだろうけどな」
「どういうこと? 僕には、きみの考えは理解の範疇を超えているよ」
吉野と向かい合わせにベッドの端と端に胡座をかき、サウードはクスクスと笑う。
「今回の原油の暴落、かなりのシェール採掘会社が倒産するからな。二束三文で売りに出される採掘権を買い漁るんだよ。じきに原油価格はある程度戻る。そしたらシェール採掘再開だ。これからはさ、石油価格に一番影響力を持つのはOPECじゃなくなる。シェール採掘量で価格決定するようになるんだよ」
「どうして? シェールはコストに見合わないんじゃなかったのかい?」
サウードは眉をひそめて尋ねた。吉野が以前説明してくれた内容とは、話が変わっている。それは、状況も動いている、ということだからだ。
「年から年中掘っているから採算が合わなくなるんだ。高く売れる時だけ採掘して、需要が落ち、価格が下がれば採掘を止める。これからのシェールはそんな形態になるんだよ。受給を睨みながら採掘量を調整して、石油の価格決定権をお前らから奪い取るんだ」
「きみ、僕らの味方なの? 敵なの?」
苦笑するサウードに、吉野は高らかな笑い声をたてた。
「米国にその権利を渡すな、ってことだよ。アブドの本来の敵は誰だか、思いださせてやったんだ」
はっとして顔を強ばらせたサウードを、吉野は楽しそうに目を細めて眺めていた。




