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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第一章
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インターリュード

 柔らかなクリーム色の壁に挟まれた、ピンクの薔薇の柄の入ったカーテンが、開け放たれた窓辺で揺れている。差しこむ夏の西日はきつく、そこに立つ人の影をオリーブグリーンの絨毯の上に長く刻む。


 ヴァイオリンを奏でるヘンリーの手からは、とりどりの珠玉がこぼれ落ちる。落ちては跳ね返り、リズミカルに舞い散り乱舞する。ヘンリーの奏でる音は、サラを宇宙に放り込み、優しく、柔らかく、穏やかに包み込むのだ。

 


 ヘンリーが腕を怪我して帰ってきた時、サラは心配で心配で卒倒しそうだった。

「ぜんぜん大した怪我じゃないんだよ、ほら」


 彼はそう言って、ヴァイオリンを奏でてくれた。


 以前は大きな波のうねりのようだったのに、今は小さな宝石の粒のダンスだ。ヘンリーは、以前よりもずっと楽しそうに見える。




 ヘンリーは学校に戻らなかった。


 辞めてきたんだ。新学期から別の学校に行く。


 そう言って笑った。


 今回の夏期休暇は、いつもよりちょっと長く一緒にいられるね。


 そう言っていつもよりたくさん、ヴァイオリンを弾いてくれた。


 ただ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾いている時だけ、彼は少し懐かしそうで、淋しそうで――。

 自分の心を細かく砕いて光の粒にして、サラにではない誰かに、もっとずっと遠くにいる誰かに、放射しているようだった。




 僕は、一度だけ、きみの見ている世界を垣間見ることができたよ。

 友人に、薬物を盛られたんだ。ひどいだろ?

 でも、そのおかげで、分かったんだ。

 きみの住んでいる世界は、美しすぎて僕は怖かった。

 そして僕の今いる世界は汚すぎて、いつかきっときみを傷つける。

 だから、きみと同じ世界に住むよりも、この世界からきみを守ることが、僕にとっての正しい選択だ。

 きみを傷つけるもの、きみを侮辱するもの、きみを貶めるもの、辱めるものすべて、僕は絶対に許さない。




 曲が終わり、空間を満たしていた宝石たちが蒸発するかのように消えていく。


 サラは、ヘンリーをぎゅっと抱きしめた。


「この一瞬が永遠ならいいのに」


 ヘンリーは、サラの髪を優しく撫でてやりながら呟いた。


「Elle est retrouvée,  (見つけたよ)

 Quoi? ―L’Éternité. (何をさ? -永遠)

 C’est la mer allée  (海と交わる太陽だ)

 Avec le soleil」    



 窓の外では、太陽が遠くに霞む緑の地平線に沈もうとしていた。








作中のフランス語詩は、アルチュール・ランボーの「永遠」の冒頭です

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