憧憬3
不安そうに見つめる飛鳥に、ヘンリーはにっこりと頬笑みを返した。
「良い意味だよ。次から次へと素晴らしいアイデアで彩ってくれる、そう言いたかったんだ」
「うん。吉野はすごいだろ。僕なんかとはできが違う」
飛鳥は再びTSの映像を再生して、「それで不備ってどこ? サラが何か見つけたの?」と、真剣な視線を画面に向ける。
「彼に訊いてみないとね――」
低く呟かれたその声を訝しんで飛鳥は画面から視線を逸らして、ヘンリーに戻した。
「何を?」
「意図だよ、この最後の場面の。とても美しくて絵画的だけど、宗教色が強すぎると、ときに反発を招いてしまうからね」
きょとんと首を倒す飛鳥を優しく見つめて、ヘンリーはくすりと笑う。
「そうなの? じゃあ、アレンの天使バージョンもやめた方がいいのかな?」
「そうだね、検討するよ。いつまでも天使のレッテルが貼られたままでは、あの子も嫌かも知れない」
少し考える様子で視線を漂わせたヘンリーは、突然、あっと声をあげると、すいと戸外に指先を向けた。
「雪だよ、アスカ。もう今日の仕事は終わりにしよう。せっかくのイブなんだし」
ガラス上に流れるコンサート映像の大画面を囲む背景は、夕闇に沈む常緑の乾いた芝が広がっている。その上に、しんしんと雪が降り落ち始めていた。飛鳥はぶるっと身震いする。暖房が入っているにもかかわらず、急に冬の寒さを肌に感じたのだ。小さく吐息を漏らしてTS画面の電源を落とした。そして、差しだされていたヘンリーの手を取って立ちあがる。
と、彼は、そのまま飛鳥の手の甲を唇へと導く。ぎょっと見あげた飛鳥に、「きみの才能に」とヘンリーは薄く微笑んでキスを落とし、さらりと離れた。
いずれ世界がきみのその才能の下に跪く。間違いなく――。
下手な小細工なんて必要ない。
その事を一番理解し、信じているのは吉野だろうに。
「こんな――、敬意の表し方は日本人には理解できないよ!」
「そう? じゃ、きみもそろそろ慣れておいた方がいいよ。人前で恥をかかないためにもね」
「そんな機会あるわけないだろ! だいたい、こんなことをするのは王侯貴族くらいのものだろ!」
真っ赤になって頬を膨らませる飛鳥に、ヘンリーはくすくすと笑いながら言い返した。
「忘れたの? 僕にしてもその一員だってこと。嬉しいよ、この事実を忘れてしまえる人は、そうそういるものじゃないからね」
忘れるわけないじゃないか――。
ヘンリーは称賛する側ではなく、される側の階級だということを。
そうやってきみは、いつも僕をからかって笑うのではないか。
と、言葉にして告げることなく、飛鳥は、上品に微笑み佇んでいるヘンリーからぷいっと顔を逸らした。
「ほら、行くよ、アスカ」
天井に取りつけられた紫がかった光を放つ温室ライトが萎む花のように消え、室内は闇に包まれる。開け放たれたドアから差し込む温かな灯りを見やり、飛鳥もため息を一つ残してヘンリーの後に従った。
翌朝の窓の外は、一面の雪に覆われていた。
珍しく皆揃っての朝食だ。朝に弱いアレンも、緊張した面持ちで食卓についている。
クリスマスの朝食といっても、特に普段と変わりはない。取りたて会話もないまま、カチャカチャと、皿の上をいききするカトラリーの音だけが響いている。
大方食べ終わったころに、ヘンリーはティーカップを片手に飛鳥に声をかけた。
「僕はこれから夕方までロンドンに行ってくるからね。きみも今日くらい、仕事はよしてゆっくりするんだよ」
「出かけるの? クリスマスなのに? ロンドンに行ってもどこのお店も閉まっているだろ?」
「店に行くんじゃないよ。家族でクリスマスをすごすんだよ。父と一緒にね」
なにげないヘンリーの言葉で食卓に緊張が走る。アレンは口に運ぶ途中のフォークを、そのままに握りしめて固まってしまっている。サラはじっと動かずに無表情な瞳で目の前の皿を見つめている。
飛鳥の瞳にも険が宿っていた。ヘンリーを睨めつけ、詰問するような口調で口走った。
「きみ、一人で?」
「家族でって言ったろう? サラとアレンも一緒だよ。だからきみは、」
顔を伏せて黙り込んでしまった飛鳥に、ヘンリーは続ける言葉を失っていた。額から掌で覆われた飛鳥の頬を涙が伝い落ちているのだ。
やがて飛鳥は、声を詰まらせながら応えた。
「うん。――僕も、今日くらい、ゆっくりするよ。一日中、寝ていようかな。だから、みんな、ゆっくりしてきて……」
「ごめん。ヨシノがいないのに――」
「ありがとう、ヘンリー。僕は、きみが、きみの家族を大切にしてくれるのが、何よりも嬉しいんだ」
やっと胸のつかえが取れたように、飛鳥は囁いて息を吐いた。そして立ちあがりざま、拳でさりげなく涙を拭う。
「二度寝、してこようかな。昨夜は寝るのが遅かったから」
ダイニングルームのドアを開け、振り返って飛鳥はにっこりと笑った。
「メリークリスマス」
「メリークリスマス、アスカ」
パタン、と締められたドアに向かってヘンリーは苦笑混じりに呟いた。
「僕は、きみにそんなに心配かけていたんだね……」
ふとあげた視線の先では、アレンが猛烈な勢いで残りの朝食を口につっ込んでいる。まるでそうしなければ泣き崩れてしまいそうな自分を、奮い立たせるように。
「ちゃんと噛まないと、喉に詰めるわ」と、サラのライムグリーンの瞳が、呆れたようにアレンを見つめていた。




