約束11
しんと静まり返った広い医療棟の一番端にあるベッドから、ぼそぼそと低い話し声が漏れ聞こえる。横たわって点滴を受けているクリスの横で、アレンが不満そうに頬を膨らませている。
「どうして合同会議に僕たちだけが不参加なの?」
訊ねられたクリスも下唇をぐいっと突きだして、不満そうに首を振るだけだ。
「僕は治療中できみは付き添いだなんて、そんなの、ひどすぎるよね。だいたいなんだよ、この点滴! ちょっと、緊張しすぎて食事を取ってなかったからって――」
「加害者を公開裁判で吊るし上げていたからだよ」
いつの間に来ていたのか、フレデリックが疲れた顔でアレンの背後に立っているではないか。
「そんな場面を見たかった?」と彼は続けて、クリスのベッドの端に腰かける。
「コンサートの反省会でもある合同会議は、クリスが女の子にうつつを抜かして、大事な行事をすっぽかした――、って、そんなふうに始まったんだ」
クリスはきゅっと唇を噛んだ。反論できない。その通りだと思った。
「生徒会側の思惑ではね、アレンにクリスの抜けた演目をピアノ独奏でカバーさせて、後から、逆にそれをスタンドプレイだって糾弾するつもりだったらしいんだ」
「どういうこと?」
眉をひそめるアレンに、フレデリックは言いにくそうに言葉を継ぐ。
「コンサートを失敗させて、クリス――というよりも、きみを監督生から引責辞任させるために仕組んだんだろう、って」
ふぅ、とフレデリックは脱力してため息をつく。
「彼らは来年度こそ、きみを生徒会に引き込みたかったんだよ」
「そんな……」
顔色をなくすアレンを、フレデリックは同情的な視線で見つめている。
「ヨシノには、きみやクリスには言うな、って言われたんだけれどね。僕は、きみは知っておくべきだと思うんだ」
「じゃあ、僕のせいでクリスは――」
あんなに一所懸命に練習してきた発表会に出られなかった、ということ?
と、アレンは最後まで言い切ることができなかった。辛そうに眉を寄せ、唇を震わせて俯くアレンの膝の上で握りしめられた拳に、クリスがそっと掌を重ねる。
「きみのせいじゃないよ。それどころか、コンサートは、きみとヘンリー卿の活躍のおかげで、危機を乗り切って大成功だったんじゃないか!」
クリスは身体を起こし、アレンを慰めるようにその肩を抱く。
「そのこともさ、エリオットの自主性と威信を侵害された憂慮すべき対応だったって――」
「ああ言えば、こう言う!」
陰鬱なフレデリックの報告に、クリスはいよいよ憤慨して堪らずに大声を上げた。
「学校行事を妨害しようなんて、生徒会の奴らこそ根こそぎ辞任させればいいんだ!」
クリスは右腕に付けた点滴の管をひきちぎらんばかりに拳をベッドに叩きつける。
「その通り! 実際そうなったよ! 吉野の会議の運び方といったら、戦慄を覚えたよ。こんな調子で生徒会の奴らに喋るだけ喋らせてさ、さぁ、監督生は引責辞任しろってところまで言わせてから、『で、お前たちが言っているその女ってのは、お前の親戚なんだってな? こいつがお前たちとその女がクリスを監禁するところを見ていた、って証言してるんだけどさ、どういうことなのか、それも説明しろよ』って証人を呼んで、今まで自信満々で喋っていたそいつと、彼女が写っている証拠写真をバサッ!」
待ってましたとばかりにフレデリックは、ここぞとばかりにその表情と口調を変えた。大きく腕を広げて、写真を振り撒くフリをしてみせる。
「以前アレンが水をかけられたことがあっただろ? 吉野は、最初から犯人の狙いは、アレンを生徒会に引き込むことだと推察して、警戒してたんだ」
「どうして?」
不思議そうに見返すアレンに、フレデリックは困ったように口を濁す。
「それは、まだ――、詳しくは聴いていないんだけど」
本人に向かっては、とても言えないこともあるのだ。
「それで、結局どうなったの?」
「直接きみの監禁に関わっていた役員二名が辞任だよ。四学年のジャーミッシュと、ルノー」
「ラグビー部の? 次のキャプテンっていわれている奴だろ!」
前回以上の大声で叫んだクリスに、フレデリックは、しぃ! と人差し指を立てる。
「でもクリスは、実際に監禁なんてされていないだろ? だのにどうして証拠写真なんかがあるの?」
「控え室の前で彼らが会っていたのは事実なんだ。親戚だっていうのもね」
「でも、僕を拘束した奴らって、外部の大人だったけどなぁ」
アレンも、クリスもとても納得いかないようだ。フレデリックも頷きながら説明を続ける。
「それがまた、ややこしいんだよ」
フレデリックはゆっくりと、代わる代わる二人に目をやる。
と、二人とも、もう当事者というよりは、ゴシップニュースに興味津々で聞き耳を立てている部外者――、といった風情で身を乗りだし、好奇心で瞳を輝かしている。
「これは内緒なんだけれどね」
フレデリックは二人にことさら顔を寄せて声を低めた。
「今、この学校には七十名からのルベリーニ一族がいるんだ。ルノーはフランス系ルベリーニなんだ。それで、ヨシノと対立しているのが、スペイン系のマルセッロ・ボルージャの一派。彼はフィリップの叔父にあたるんだ。ヨシノが言うには、自分とマルセッロの対立のせいで、彼が、その、クリスの彼女とか、配下のルベリーニ一族を使って嫌がらせを仕掛けているってことで……」
しん、と静まり返った気まずい沈黙を破るように、アレンは伏せていた顔をあげた。
「それはきっと違うよ」
そして、意思の強さを感じさせる落ちついた澄んだ瞳で、フレデリックをじっと見つめた。
「ヨシノはいつだって自分のせいだって言って、僕の持つべき荷物まで背負い込んでしまうから。――僕に隙があるからつけ込まれたんだ。兄ならきっとそう言う」
「そうだよ! 僕だって彼女に騙されてい――、た、なんて、僕が……、」
今までクリスの胸の奥底に追いやって蓋をしておいた事実を、つい勢いで口にしてしまっていた。続きは言葉ではなく、涙となってぼろぼろと溢れていた。あの時彼女から注がれた、打って変わった冷たい視線が鋭い刺となって胸に突き刺さっているのだ。その痛みに、今さらながらクリスは気づいたのだ。
「クリス――」
今度はアレンが、ぎゅっとシーツを握りしめる彼の拳に手を添える。
しばらくの間、声を殺して泣いて、クリスは顔を高くあげてにっこりと口角をあげる。
「平気だよ。――僕は、ガストン家の、男だからね。権謀術数飛び交う歴史を生きぬいてきた、先祖のたくましい血を受け継いでいるんだ」
「そうだよ。きみは、最高にかっこいい男だよ。僕が保証する」
つられて泣きだしてしまいそうな唇を引き結び、アレンもぎゅっとクリスの上に重ねた掌に力を込めた。そして彼に負けないように頭を高くあげて、にっこりと極上の微笑を返したのだ。




