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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第八章
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  約束2

 吉野の言うことは、いつも正しい。


 常緑の芝生をのんびりと歩みながら、アレンはぼんやりと吉野から厳しく諭された助言を反芻している。


 入寮日に吉野が危惧した通り、新入生の間ではネクタイをだらしなく締めるのが流行った。最初はカレッジ寮から。それから間を置かずして新入生全体に。ネクタイを締めるのが下手だからといって、注意は受けても罰則を科せられることはない。わざとネクタイを緩めた新入生は、アレンとすれ違う度に期待で瞳を輝かせていた。

 アレンは、自分の思慮のなさが情けなかった。



 次の一週間が過ぎる頃、アレンは吉野に対処法を教えてもらう。

 全体朝礼のあとの皆が見ている前で、新入生のひとりにアレンは声をかけた。黒縁眼鏡に黒髪のいかにも勉強一筋といった真面目そうな子にした。華やかなアレンのファンにはあまりいないタイプの子だ。


「きみは、いつもきちんと制服を着こなしているね。他の子もきみを見習ってくれればいいのに」

 そこでにっこり笑って肩をぽんと叩く。シナリオ通りだ。その子は真っ赤になってアレンを見あげ、その場で石になった。


 まるで伝染病でも広がるように、周囲の新入生たちが慌ててネクタイを締め直す。アレンは笑みを絶やさず頷きながらその場を離れる。退場。一件落着。



「ねぇ、フレッド、やっぱり僕には監督生なんて大任は無理なんじゃないのかなぁ」

 傍らを歩くフレデリックに憮然とした面を向け、アレンはため息混じりに愚痴を零す。ハーフタームを終え、新学期からもう二ヶ月が経つというのに、彼にはいまだに勝手が判らないのだ。

「ヨシノがいないと僕は何もできないただの案山子(かかし)だ」


 こんなに綺麗な案山子がいるわけがない――。


 そんな言葉をぐっと呑み込み、フレデリックは優しげに首を振る。


「生徒指導なんて初めてなんだから判らなくて当然だよ。彼はさ、生徒指導の真髄をよく知っているからね。だって三年間も、毎日欠かさずお世話になってきていたんだからね!」

 片目を瞑ってくいっと首を傾げたフレデリックに、アレンも釣られて口許をほころばす。

「おいおい覚えていけばいいんだよ。僕だって一学年生の学年代表になったばかりのころは、本当に緊張していたんだよ」


 眉根をあげて懐かしそうに微笑みながら諭していたフレデリックだが、なにげなく見上げた学舎の一点に吸い寄せられるように見据えていた。その瞳に緊張を走らせ、表情を凍りつかせている。


「それよりきみ、ロンドン本店の3D映像のことで何か言われたりしていない? その、嫌なこと。からかわれたり――」

 内心の動揺を押し隠して、フレデリックはちらと傍らの友人に視線を移して訊ねる。首を傾げてしばらく考えていたアレンからは、「特に何も」と簡潔な返事だ。

「学校側にはアーネスト卿が話してくれたし、先生方も未来を創りあげる新技術への貢献だから頑張りなさい、て」

「生徒会の連中は?」

「何も」

 アレンのきょとんとした瞳に、フレデリックは誤魔化すような笑みを作る。


「ヨシノはどうしているんだろう――」


 自分で思っていた以上に情けない声だった。

 アレンが首を傾げている。

 フレデリックは慌てて手を顔の前で振りまわす。小さな虫でも追い払うように。

「ほら、やっぱり授業に引っ張っていかないとさ、まずいだろ。数学はいいにしても他の教科がさ」




「キングスリー!」


 頭上から太い声が落ちてきた。

 フレデリックは一瞬覚悟を決めるようにぎゅっと眉根を寄せ、面をあげると学舎の二階を見あげる。


「なんでしょう、マーカイル先輩?」

 窓から身を乗りだしている燃え立つ赤毛を緊張した面持ちで見据え、声を張りあげる。

「午後の合同会議、監督生執務室でいいのか?」

「はい。変更はないはずです。遅れるので、失礼します!」


 フレデリックは踵を返すとアレンを促すように背中に手を当て、歩調を速める。


「キングスリー!」


 レイモンド・マーカイルが窓越しに手を振っている。フレデリックは振り返り軽く会釈を返した。



「アレン、彼には気をつけるんだよ。生徒会役員だからさすがに無視しろ、とは言えないけどね。必要外の会話はしなくていいからね」


 真っ直ぐに前を見据えたままフレデリックは声を低めた。自分に声をかけていながら、じっとアレンを見つめていたあの空色の瞳を腹立たしく思い返しながら。


「なんで?」

 アレンの澄んだセレストブルーの瞳が不思議そうに揺れる。

「彼はきみにご執心なんだ。それに、」


 あいつ、きみの過去を知っている――。


 口に出すのも腹立たしい言葉を腹の奥にしまいこみ、フレデリックは固く口を結んだ。


「きみ、最近ヨシノの話をしなくなったね」

 唐突に話題を変えられ、アレンはまたきょとんと目を丸くする。

「なんで?」

 重ねて訊ねられた問いに、黙ったまま下を向いて歩いていたアレンは、物憂げに面をあげて小さく微笑んだ。

「――なんでって、監督生になったからだよ。彼は一貫して銀ボタンで、みんな彼の功績を認めている。僕も自分の役割を果たしたいと思っているだけだよ。いつまでもヨシノに甘えていたんじゃ駄目だろ?」

「そんなこと……」

 どうでもいいじゃないか、とでもいいたげにフレデリックは大きくため息をつく。


「彼は自由な鳥みたいな人だよ。いつも追いかけていないと見失ってしまうよ」


 呟かれた言葉は、アレンに、というよりも、自分自身に向けられた独り言のように淡々としていた。





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