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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第八章
464/805

約束

「この行列、どこまで続いてるの?」

 春の改装で三階に移動した執務室の窓から表通りを見下ろしていたデヴィッドは、呆れたような頓狂な声をあげている。

「今だけだろうけれど、近隣に迷惑だよね」

 ヘンリーも執務机からくるりと椅子を回して窓を覗く。

「警備員は出てる?」

「三人ほど」


 ロンドン本店でのアレンの立体映像公開から一週間経っても、いまだ人気衰えずで、連日、観光地さながらの見物客が詰めかけている。道を塞ぐ行列が通行の邪魔にならないよう、交通整理にまで人員を割く始末だ。

 店内は混雑しすぎないように入場制限と時間制限まで設けている。TSネクストの予約リストも飛ぶように埋まっていくが、生産が追いつかない現状では嬉しさよりも憂いの方が先に立つ。


「人気ばかりが先行してもねぇ」と、苦笑混じりに呟くヘンリーに、デヴィッドも呼応して頷く。

「新製品が出ないからって、忘れられるよりはマシでしょ」

「確かにね」

 二人してぼんやりと眺めていた窓から視線を戻し、顔を見合わせる。

「――それで、」

「言わない」

 言い淀みながら切りだそうとしたデヴィッドを、ヘンリーは聞く前からにっこりと微笑みで遮った。


「まずいんじゃないの?」

「対策は立てるよ」

 眉を潜めるデヴィッドに、ヘンリーはあくまで涼しい顔で応えている。

「心配要らないよ。アスカの映像を解析できるなんて、サラとヨシノくらいだ。映像酔い対策はしてあるし、」


 だがデヴィッドは、ぽかんとヘンリーを見つめている。ヘンリーは「ん?」と首を傾げて言葉を止めた。


「映像酔い対策?」

 ヘーゼルの瞳が不思議そうに丸まっている。

「それと、麻薬様作用のことだろう? ちゃんと対処しているよ、この睡蓮池の立体映像にしてもね」

「他にも何か?」と、ヘンリーは訝しげに見つめ返す。


「ああ、サラが仕組みを解き明かしたって言っていたね。アスカちゃんには言わないんだ?」

「彼の創る世界は完璧なんだ。壊したくない」


 黒い革張りの執務椅子の肘掛けに頬杖をついて自分を見上げるヘンリーに、デヴィッドは窓枠にもたれたまま、ゆっくりと首を振る。


「だめだめ、ヘンリー。そんなんじゃ、また、アスカちゃんに家出されるよぉ」

 継いでいきなりケラケラと声を立てて笑い崩れている。

「きみはぁ、面倒事は全部自分で処理しようとするからさ、駄目なんだよ!」


 渋面を作って睨むヘンリーを、デヴィッドはヘーゼルの瞳に力を込めて見返した。


「アスカちゃんにはぁ、知る権利があるだろ? 自分が作ったものなんだから。対策は一緒に考えればいいじゃない。アスカちゃんなら、ちゃんとできるよ。作品を壊さずに問題をカバーする事くらいね」

「――きみに諭されるなんて、思いもつかなかったよ」


 膨れっ面のヘンリーは、にっと相好を崩し息をつく。


「それでさ、やっぱり危険なの、睡蓮池も――? そんなふうには感じなかったけどなぁ」

「アレンの静止画像で視点を固定してあるんだよ。池だけなら酔う確率も高いし変性意識にも入りやすいよ。でも、この映像ではそこまで深く入り込まないはずだよ。それでも多少の多幸感は、皆、感じていると思うけどね」


 心地良い。

 一言で言うとそうなる。飛鳥の映像を見ていると幸せな気分に浸れる。だからこうも人を惹きつけるし、何度もリピーターが訪れることになる。まるで中毒患者のように……。

 それが魅力なのだ。素晴らしい作品には多かれ少なかれそんな一面がある。「危険」の一言で切って捨てられるわけもない。


あの子(アレン)の魅力なのか、アスカちゃんの映像の魅力なのか、混合されると厄介だね」

 ふっとデヴィッドは表情を曇らせた。



 取材は一切断っているにも関わらず、SNS等で拡散されたこの立体映像は、すでにもう「天空の池から下界を見下ろすナルキッソス」とご丁寧な題までつけられて、インターネット上で広まっている。

 池と美貌の少年が、かの神話を連想させるのだろう。その美貌にもかかわらず、自己愛よりも自己嫌悪や羞恥心で顔を染めることの方が多い内省的なアレンに、相応しい名称とも思えなかったが――。

 不明瞭なスナップ写真ですら熱狂的に支持され、鮮明な本物を見ようと連日の行列ができているのだ。



「また、学校の様子も訊いてみないとねぇ。でも違うんだよ、僕が訊きたかったのはね、」

 気持ちを切り替えるために、デヴィッドはわざとしかめっ面をして言葉を切った。


「ヨシノのこと!」

「口紅?」

「知ってるの?」


 デヴィッドはまた頓狂に声を高める。

 立体映像公開日すら本店にいなかったヘンリーなのだ。その翌日からも、ロンドン本社とスイスの工場や研究施設とを行ったり来たりで忙しく立ち働いていて、顔を合わせてゆっくり話をする機会さえ持てなかったのだ。


「アスカに聞いたよ」

「心配していたでしょ」

 デヴィッドの真顔に、ヘンリーは微笑んだまま首を傾げる。

「特には」

「なんでぇ! 相手はあの、」

 言いかけて顔色を変え、デヴィッドはあらぬ方向に視線を漂わす。


「誰だい?」

 ヘンリーが薄らと笑っている。

「教えてくれるよね?」


 畳みかけるように続く彼の柔らかな口調に、デヴィッドは口をへの字にして天を仰いだ。





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