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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第八章
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  三叉路7

「ヘンリー、解ったわ!」

 居間でお茶を飲んでいたヘンリーに向かって、サラは吹き抜けの二階の手摺から身を乗りだして叫ぶように告げる。

「アスカの映像は、ガンツフェルト実験と同じ効果を引き起こすの」


 ガンツフェルト実験――。

 意識をはっきりと保ちながら、人間の脳が夢を見ている状態に至るための感覚遮断実験のことをいい、本来はESP開発のための実験のはずだ。


 怪訝そうに眉を寄せるヘンリーに、サラはいつもの彼女からは想像もつかない興奮した様子の大声で話しつづける。

「『全視野』で視野を均一にされ、感覚遮断でイメージを植えつけられなくても、突然、宇宙空間に放り込まれるのだもの」

「一気に変性意識状態に入るってこと?」

 信じられない、と小さく呟き、ヘンリーは声を高めて訊き返す。


「ヘンリー、コンサバトリーに来て」

「変性意識状態なんてごめんだよ!」

「大丈夫。映像を縮小して説明するから」


 それだけ言うとぱたぱたと走りさり、すぐに姿の見えなくなったサラに吐息をひとつ漏らし、ヘンリーは手にしていたカップに残っていた紅茶をくいと呷る。




 ヘンリーが遅れてコンサバトリーに入ると、サラはもう床の上に座ってパソコンを叩いていた。


「S(f)∝1/fa」

 きらきらしいペリドットの瞳がヘンリーを見あげる。

「アスカの宇宙は、フラクタル状に構成されている。映像で1/fのゆらぎを生みだして意識を変性させるの」

「そんなことが可能なの? ――いや、それよりも、それは意識して作られたものなの?」


 サラの横に腰をおろし、ヘンリーもノートパソコンを覗きこんだ。だがそこに並んだプログラム言語を見、理解しようと目で追ったところで自分がサラの得た結論に行き着けるとは到底思えない。


「判らない。けれど、そんな風にできているのだもの」

 サラの答えは単純明快だ。


 彼女は床の上に、3フィート程度に縮小された、今までにアスカが作った映像のサンプルを並べ始める。


「ニューヨークの宇宙、メイボールの各部屋、それから睡蓮の池。それに、これがヨシノが手を加えた宇宙」


 歌うようにサラが呟くと、天井から差し込む明るい日差しの下に深淵のような宇宙が現れる。ひと部屋ずつに分けられた迷宮の部屋、池というよりもやはり宇宙に似た睡蓮池。そして、もう一つ宇宙――。


「こうしてミニチュアにして並べてみるのも面白いものだね」

 立ち上がり、足下に広がる小さな世界を見おろしていると、まるで天地を創造過程の神の気分に浸るようだ、とヘンリーは軽く首をふって苦笑する。


「小さくすると判り易いでしょ。アスカの星は、一定のリズムで動いている。軌道に沿って線を描くとフラクタルになる」


 サラの指差す宇宙を覗き込むと、煌き動き回る星が彗星のような白い尾を引き、瞬く間に複雑な円が幾つも描かれている。複数の円が花弁の様に重なり合い、呼吸しているかのように絞み、また開く。


「これが本当の姿?」

 感嘆の吐息を漏らすヘンリーに、サラはちょっと小首を傾げた。

「じっと見てはだめ。呑み込まれる」

 慌てて目を逸らせたヘンリーを見て、サラはクスリと笑みを漏らす。

「この迷宮もそう。床の蔦の模様と壁の絵の動きが絡み合って1/fゆらぎのリズムを刻むの」

「つまり?」


 理屈は解っても、それが脳内に麻薬様物質を生じさせることになるという結果に結びつかない。

 じっと考え込むヘンリーに、サラは畳みかけるように言葉を続けた。


「心地いいの。リラックス効果があって。でも短調に繰り返される刺激でもあるから、脳が思考を停止させる。変性意識に入るとヨシノがアスカの宇宙に書き込んだ、サブリミナル効果のあるメッセージが効果を発揮するのだと思う」

 サラは、今度はノートパソコンを指し示した。

 その言葉に露骨に眉をしかめたヘンリーに、サラは淡々と説明を続ける。

「映像を見ても判らない。普通の視覚では認識できないもの。1/3000秒ずつ5分ごとに、一番幸せな場面を思いだすように書かれている」

「幸せ? 彼、あんなに泣いていたのに――」

 このヘンリーの問いには、サラも答えることはできなかった。


 サブリミナルとは、意識を飛び越え潜在意識にダイレクトに刺激を与えることで、本人の気づかぬ間に何らかのメッセージを刷り込み行動を操る手法のはず――。


 ヘンリーは深く嘆息し、再びサラの横に腰をおろす。


「何にせよ、サブリミナルは一種の洗脳だろ? 商業利用は禁止されている。実店舗では使えないよ。彼、何のためにアスカの映像に手を入れたんだろうね?」

 サラはその問いにも首を傾げるだけだ。

「私に、なぜは判らないわ。ただ事象を分解するだけ」

 不安そうに見つめ返すその瞳に謝るように、ヘンリーはにっこりと微笑んで、彼女の頭をくしゃっと撫でた。

「そうだね、それを考えるのは僕の仕事だ」


「そういえば、この中には見本市の映像は含まれていないんだね」

 ヘンリーはもう一度並べられている立体映像に視線を戻し、軽く首を傾げる。

「あれはもっと複雑」

 サラは、言いにくそうに眉根を寄せた。

「音と映像の相乗効果で、意図的に戦意を失わせるように作ってある。それこそ、サブリミナルな手法で」

「メッセージを織り込んであるの?」

 首を横に振るサラに、ヘンリーは怪訝そうに小首を傾げる。

「そうじゃなくて――。フラッシュバック。これは違法じゃない」


 これは短いカットを連続的に繋ぐことで、やはり視聴者の意識が気づかないうちに、意識下にメッセージを刷り込む手法だ。


「聖書に描かれた世界なら、わざわざ言葉でメッセージを織り込まなくてもキリスト教徒も、イスラム教徒も共通イメージを持っているはず。アスカはこの手法で、その部分を刺激した」


 サラはパソコン上に、飛鳥の作った黙示録をスローモーションで再生してみせた。そこには通常の視覚では捉え難い、聖書の場面が幾つも挿入されていた。


「原罪――」


 息を呑み呟いたヘンリーに、サラも小さく頷いて応えていた。






「S(f)∝1/fa」…このaは累乗です。すみません。上手く変換出来ませんでした。


三フィート…約一メートル

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