カレッジ・ホール7
五月に入り、ASレベル夏期試験がスタートした。二カ月に渡る試験期間中には、年間を通しての最大の行事である創立祭があり、四、五学年生が祭典の要となる『ボートの行列』の漕ぎ手となる。その後ハーフタームを挟んで、次期生徒会選抜投票、二十名の監督生の決定と、次年度、最終学年を迎えることになる四学年生は、他のどの学年よりも浮足だっていた。
創立祭を数日後に控えた五月最終土曜日の昼に、カレッジホールで恒例の正餐会が行われた。通常は、キングズスカラーの食堂として使用されるこの歴史あるホールは、月に一度、生徒会役員、監督生を招待しての正餐会が催される。
ドロップ型のシャンデリアのほの暗い明かりの下、使い込まれた木製の細長いダイニングテーブルには白いテーブルクロスがかけられ、正式なセッティングがされている。
西側の天井近くにあるステンドグラスの窓からは、とりどりの色ガラスを通して柔らかな色彩が注がれていた。
百名を超える生徒と教師が着席し、食事が始まると、それまで静まりかえっていたホールもさざ波のような話し声が流れ始める。
創立祭は、家族や友人を学校内に招き入れ案内できる特別な日だ。この日の話題も、誰を呼ぶか、誰が来るかに終始していた。良家の子弟の集まるエリオット校では、その家族が集合するこのイベントは、アスコット競馬場並の社交場となるのだ。
「きみは今年も誰も呼ばないのかい、ソールスベリー?」
今まで誰もが気にかけ、そして意識して避けてきた話題を、生徒会メンバーの一人があえて口にした。
「予定はないね」
ヘンリーはそっけなく答える。
彼に家族の話題は禁句だった。
周囲のキングススカラーたちに緊張が走っていた。だが皆、黙って成行きを見守っている。
「きみ、1つ2つ下に妹がいるそうじゃないか。ぜひ紹介して欲しいね。きみに似て美人なんだろう?」
周囲の気まずい雰囲気に気づいていないのか、それともわざとなのか、その生徒は喋り続けている。
「妹も金髪碧眼?」
「さぁ、どうだったかな。しばらく会っていないから」
「アメリカの石油王の一族だったよね、きみのお母さん」
ヘンリーがだんだんとイラつきを増してきている。さすがに事情を知るキングススカラーの一人が助け舟を出した。
「僕のうちも、来られるかどうかわからないんだ。水曜日だし」
「服がないのかい? 野外なんだし、ドレスコードはそこまで厳しくないぞ。配管工の作業着でさえなけりゃ、入ってこられるさ」
クスクスとそこかしこで笑いが漏れる。卓越した成績で選ばれたキングススカラーは、中流や、中流上位の家の子がかなりの数を締めている。ヘンリーや、エドガーのような貴族の子弟の方が少ないくらいだ。その生徒は家族を馬鹿にされ、真っ赤になって黙り込んでしまった。ヘンリーの青紫の瞳が冷たさを増していた。
背後で、どっと笑い声が起こった。エドワード・グレイのテーブルだ。
「グレイは、インド旅行で知り合ったインド美人を招待したらしいぞ!」
「気をつけろ! 毎日カレーを食わされるぞ!」
「おい聞けよ。インドっていったって外交官の家だぞ。純粋に英国の教育に興味を持ってだな、」
エドワードは、慌てて弁解するように声を張り上げた。
「興味を持って結婚! カラードの我が子もエリオットに!」
「教えてくれ、青い血に黒い血を混ぜたら何色になるんだ?」
さっきまでヘンリーに絡んでいた生徒も、ターゲットをエドワードに変えて煽り始める。
「由緒あるエリオットも、そのうち雑種の収容所か!」
「雑種で悪かったな」
ヘンリーが静かに立ち上がった。
辺りが一瞬で静まり返る。
「だ、誰もきみの話はしていないよ」
エドワードを囃し立てていた一人が、しどろもどろに言い訳する。
「僕のことだろ? 青い血とアメリカ成金の雑種だ。みんな知ってる」
「きみは違うよ! きみのお母さんだって、元をたどれば英国貴族じゃないか! きみぐらい完璧な青い血はそうそういないよ!」
ヘンリーはおもむろに上着を脱いで、片袖を捲り上げた。
「僕の妹はカラードだよ。僕の血は青く、妹の血は黒いのか? 僕たちは、一つの茎に咲いた二つの花だ。同じ血が流れている」
ヘンリーがテーブルに置かれたナイフを手にすると、周囲だけでなくホール全体に糸を張ったような緊張感が走った。全員が、固唾を飲んで彼を見守っていた。
ヘンリーは丁寧にナプキンでナイフを拭くと、いきなり自分の左腕を切り裂いた。辺りに鮮血が飛び散り、真っ白なテーブルクロスに点々と赤い染みを滲ませる。
血の滴る片腕を高く上げ、彼は静かに、けれど力強く言い放った。
「この血は何色だ? 血の色に青だの黒だのあるものか。薄皮一枚の下には、誰にだって同じ赤い血が流れているんだ」
静まり返ったホールでは、誰一人身動きひとつできなかった。
「僕を貴族と呼ぶのなら、僕にとって貴族の証は血の色なんかじゃない。何を考え、どう行動するかだ。『高貴さは義務を強制する』、そんなことすら知らない連中と同席する気にはなれない」
ヘンリーは言い終わると、テーブルを離れホールを後にした。
朱色に黒の幾何学模様が描かれたホールの床に、深紅の血痕だけが、ポツリポツリと残されていた。




