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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第八章
449/805

  影3

 いつものようにサウードの部屋でだらだらと寝転がっていた吉野が、いきなりがばりと起きあがった。机に向かっていたサウードを呼ぶ。


「サウード、お前んとこ、原油価格の下落にいくらまでなら耐えられる?」

「今でも厳しいのではないかな」

 書きかけのレポートから顔をあげ、サウードは鷹揚に微笑んで応える。

「一バレル40ドル切っても、耐えられるか?」

 さすがのサウードもその数字に絶句し、口元を引きつらせる。

「30ドルなら?」


 サウードはちらりと入口に立つイスハークに目を遣った。心得た従者は、黙ったまま指で数字を示して返した。

「二十九ドル。採算ラインは二十九ドルだよ。でもこれでは、確実に財政赤字は拡大する」と言いながら諦めたように嘆息し、小さく頭を振っている。


「一瞬でいい。ちょっとの間だけ我慢してくれ」


 吉野の真剣な表情を、サウードも漆黒の瞳で見つめ返している。


「きみのメリットは?」

「南米」

「南米のシェールガス対策?」

「リチウムだよ、欲しいのは。フェイラーが支援している現政権を失脚させて、ボルージャを復権させたいんだ」

「ボルージャ・デ・ルベリーニ? スペインの?」

 サウードは、訝しげに首を傾げる。

「ボルージャがルベリーニのナンバー・ツーの位置にいるのはさ、スペイン内の覇権じゃないんだ。南米の資源を抑えているからだよ。代々な――。宗家のルベリーニだってそうだろ。産業革命以降、英国に拠点を移している」


 産業革命――。いったい何代前の話なんだか。幼少期はイタリアで過ごすが、パブリックスクールから英国に留学してくるルベリーニ宗家の本拠地は、確かに現代の世界金融の中心でもある英国なのかもしれない。

 異国に暮らしながら、自国の文化、伝統を頑なまでに守ろうとするのは、自分たちだけではないではないか。


 サウードは、以前に会ったことのあるロレンツォ・ルベリーニの、どこまでもイタリア人である外見と雰囲気を思いだし、頬を緩める。

 だが同様に首を傾げてもいたのだ。原油価格とリチウム、ボルージャの繋がりが今一つ理解できなかったからだ。

 怪訝な顔つきのサウードへの吉野の説明はこうだ。


 原油輸出依存の南米諸国は現在の油価下落で現政権が揺らぎ、今までのような社会主義体制を維持できなくなっている。じきに海外資本に頼らざるを得なくなる。そこで現地のボルージャ一族を足がかりに南米に乗り込んで、一気にリチウムを抑えて安定供給を図るのだと。



「シェールの採算ラインは、今はもう五十ドルだ。今の値動きじゃ、原油減産が始まるまでまだもう少し時間がかかる。そこをさ、そんな少しづつ減産なんて、のんびりと撤退できるような暇を与えずにさ、一気に叩き潰したいんだ」

 いったん言葉を切って、吉野は鳶色の瞳を意地悪く輝かせた。

「減産してみたところで、原油価格はもう以前のようには戻らないのにな。それに今までみたいに、地政学リスクで原油価格をつり上げようとしたって無駄だって解ってるだろ?」 


 嫌味とも警告とも取れるその言葉に、サウードは諦観した笑みを浮かべた。だが、ふっとその柔らかな深い闇のような瞳を揺らして呟いた。


「紛争もテロも、僕たちが意図したのではないよ」

「知ってるよ。いくら金のためだって、自分の国を焼け野原にしたい王様なんていないよ」


 笑えない冗談に、吉野は自身でも苦笑し肩をすくめている。そして、同じように苦笑し視線を伏せたサウードを気遣ってか、声音を和らげて言葉を継ぐ。


「俺の顔の傷のことか? 気にするな。この傷はイスラム過激派のせいでついたんじゃないよ。俺を殺そうとしたのはさ、アレンの祖父さんだからさ。あの爺さん、ホント、現金! 助けてやったのにさ、シェール債の始末が付いたとたんに掌返しやがった!」

「ここまで原油価格が落ちれば、きみのせいだって思われても仕方がないよ。僕だって正直驚いたもの」


 原油価格は、一年半ほど前に吉野が予言した通りに半値まで下落していた。サウードの国にしても、先物取引でヘッジをかけてなお膨大な損失が出ているのだ。


「俺が仕掛けたわけじゃない。なるべくして、なったんだ。原油は生産過剰なんだよ。これからはリチウムに投資しろ」


 吉野は余裕綽々として、ふん、と鼻先で笑う。



「――それにリチウムはな、投資っていうよりもさ、本当に必要なんだ。TSの立体映像はすさまじく電気食いなんだよ。ルベリーニにリチウム開発会社に投資させるよ。バッテリーの開発からしなきゃいけない」


 困ったように頬を膨らませ、頭を掻く吉野に、「きみが、開発するの?」とサウードは、感心したように目を丸くする。吉野は、片唇をくいっと上げて笑った。


「まさか! 俺、そこまで万能じゃないよ。開発会社を買収する。その方が早いだろ?」



 リチウム電池の開発に、わざわざ原料から抑える必要があるのだろうか? 


 サウードは鷹揚に微笑み、原油価格をもう一段階下落させるための打ち合わせをしながら、頭では別の事を考えていた。


 吉野の、本当の意図を――。






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