家6
「この案件は時間がかかるよ」
会社から戻ってくるなり渡された書類にざっと目を通すと、ヘンリーは考え込むように薄く目を細めた。視線だけで吉野をちらと見る。そのぼんやりとした様子にクスリと笑みを浮かべる。
ヘンリーはひと息ついてネクタイを緩め、スーツの上着を脱いで背もたれにかける。それだけの間を置いて、吉野から返事があった。
「解っている。だからあんたに頼みたいんだ」
吉野は向かいの一人掛けソファーで足を組み、コンサバトリーのガラス越しに広がる芝生を落ち着かない様子でじっと眺めている。
「時間がかかってもいいのなら、やるだけの価値はありそうだね。解った。うちの弁護士に話を、」
「あんたのところの関係者を入れないで欲しいんだ」
吉野は、ふいっと外の景色からヘンリーに視線を戻した。
「あんたの祖父ちゃん、ガン・エデン社の大株主だろ? あんたと、あんたの祖父ちゃんが喧嘩しているように思われたくないんだ」
「マスコミに?」
「あいつに」
若干憂いを帯びたその鳶色の瞳に、ヘンリーは頭を振って微笑を湛える。
「あの子には、判りはしないよ。うちは前にもガン・エデン社を訴えている」
「これだけじゃない。同時に原油でも揺さぶりをかけてやる。ガン・エデン社の株価下落と、原油先物で、それなりに痛い思いを味あわせてやるよ」
憎々しげな口調と、つい今しがた見せた表情とは打って変わった楽しげに輝く吉野の瞳に、ヘンリーは思わず苦笑しながら額を押さえる。
「きみ、相当お祖父様を恨んでいるみたいだ」
「当然だろ。殺されかかったんだぞ」
唇を捩じ上げて、吉野はにやっと笑う。報復は当然の権利だと言わんばかりに。
「きみの要望は最大限に応えるようにしよう。それで、きみはどうしたいんだい?」
吉野がサラに調べるよう頼んだ四つの特許。それはどれも日本の中小企業の持つ情報通信用ガラスに関する特許で、使用された製品のあまりない一見無価値なもののように思われた。だがその技術がガン・エデン社の携帯端末に使用されているのだ。吉野は特許侵害で訴訟し、損害賠償、この技術を使用した製品製造・販売の中止を要求したいと言っているのだ。
「これらの特許な、もう俺が買い取ってるんだ。この会社、盗まれたことにすら気づいてないんだよ。ホント、あいつらには宝の持ち腐れだったな。二束三文で売ってくれたよ」
吉野は自嘲的に笑って言った。
「もとはさ、祖父ちゃんのアイデアだったんだ。うちの専門じゃないし、祖父ちゃん欲がないからさ、アドバイスだけして何も貰ってないんだ。それをさ、あの野郎が平気な顔をして盗んで行きやがった――」
ぐっと息を呑み込んで押し黙り、ぎっと唇を結ぶ。だが吉野はすぐに吐息を漏らすと、さも可笑しそうにクスクスと笑いだす。
「皮肉だと思わないか? 日本の企業はさ、銀行は金貸してくんねぇし、大企業は買い叩くばっかで、祖父ちゃんの発明、全然評価してくれなかったのにさ。一番、祖父ちゃんの価値を解って、評価して、欲しがっていたのが、世界一の大企業で、盗っ人のカールトンだなんてさ!」
そんな吉野をじっと見つめながら、ヘンリーは憂い顔で呟く。
「正当な報酬を支払いさえすれば、世の悲劇はぐっと減るだろうにね」
「それじゃあ、あんたの会社みたいに、万年赤字になるんだよ!」
声を立てて揶揄うように吉野は笑った。ヘンリーも思わず苦笑している。彼の言う通り、研究開発に力を注ぎ込んでいる今の段階で、売上はとてもじゃないが開発費に追いついていない。サラの運用するファンドで資金繰りをしているのが実情だ。
「だからさ、裁判に持ち込んで、ガン・エデン社の製造・販売差し止めを勝ち取ってさ、この機に一気にシェアを奪い取るんだ」
「判決まで一、二年はかかるよ」
「世界中にTSをばらまけるくらいに製造するには、それくらいの準備期間があった方がいいだろ?」
痛いところを突かれ、ヘンリーはまたもや苦笑する。
話題性と人気のわりに製品の生産がまったく追いついていない現状だ。飛鳥とサラによって次々と開発される技術革新に製品モデルが定まらず、全世界に広めるための決め打ちができないのも一因ではあったが。
それに加えて――。
「きみがここを選んだのには理由があるんだろ? このコンサバトリーで何がしたいんだい?」
ヘンリーは、こんな重要な話をしているというのに、相変わらずどこか上の空な様子の吉野を問い質した。
「ああ、アレンが映像酔いしたっていう宇宙の映像が見たいんだ。それに見本市で使ったやつも。この温室、総TSガラス張りなんだろ?」
窓枠というよりは額縁のような白塗りの縁と、その上に載る三角屋根のガラス天井をぐるりと見廻しながら、吉野は珍しく真面目な、真剣な口調で告げている。
「でも、ちょっと待っててくれる? アレンの奴、まだ戻ってこないんだ。池にはまってずぶ濡れになったっていうのに! あれじゃあ、風邪ひいちまう」
イライラとまた視線を芝生に戻し、立ちあがる吉野を驚いたように見上げて、ヘンリーはクスクスと笑った。
「そんな自己管理もできないほどの、子どもでもないだろうに」
「あんた、あいつのボケっぷりを知らないからだよ!」
吉野は唇を尖らせて言うと、「すぐに戻るから」と、吹き抜ける風のようにコンサバトリーから駆けだしていた。




