カレッジ・ホール5
ヘンリーが目を覚ました時には、夜はとっくに明けていた。だが、辺りは薄暗く、静かな雨音が天井を打っている。
ソファーに座ったまま眠っているエドワードの足を、ヘンリーは軽く蹴とばした。
「おい、起きろ」
「ん……」
寝返りを打って更に寝こけるエドワードを、ヘンリーは、今度は力を込めて蹴飛ばす。
「エド!」
「うるさい!」
逆切れか!
ヘンリーはイラッと眉をひくつかせ、上着を取ると埃を払い腕を通した。
「一生そこで寝てろ」と言い捨てて立ち去ろうとした時、エドワードが、ガバリと起き上がった。
「待てよ、ハリー。腹減ったな、何か食いに行こうぜ」
エドワードの寝ぼけた顔を見ると、ヘンリーは不機嫌そうに歪めていた頬を緩め、声を立てて笑いだす。
「やってくれたな。親友にいきなり薬を盛られるとは、さすがに予想できなかったよ」
「いい思いできただろう?」
エドワードは、バタバタと体を叩き大きく伸びをする。
「冗談じゃない。もう、こっちの世界に戻ってこられないかと思ったよ」
「お前はあの子がこの世にいる限り、地獄の底からでも這い上がってくるさ」
エドワードは、真面目な顔をして言った。
「否定はしないね」
ヘンリーは複雑な笑みを浮かべていた。
「で、僕に何を飲ませたんだい?」
「親父に貰った、軍が開発中の幻覚剤だよ。純度100%、混ぜ物なし、副作用なしの試験薬さ」
「僕を実験台にしたってわけ?」
「まさか、そんなわけあるか!」
二人は霧雨の降る川沿いの道を下って繁華街に出ると、行きつけのカフェの奥の席を選んで座った。もう昼近い時間だったが、客席はまばらだった。
「こんな小汚い恰好で人前にでるなんて、一生の不覚だよ」
ヘンリーは、顔を隠すように長い指で顎を覆っている。
「そうか? いつもよりずっとマシな顔をしてるぞ。ずいぶん元気そうだ」
ウエイターが、紅茶とクラブハウスサンドを運んできた。注がれた紅茶を一口飲むと、ヘンリーはつめたくエドワードを睨めつける。
「さっきの話だけれど……。自白剤だろ、軍が開発していたのは。幻覚作用が強すぎて実用化には至っていないのだったね。――僕に、何をしゃべらせたんだい?」
エドワードは、サンドイッチを頬張りながら首を振る。
「しゃべらなかったよ、お前は。何もね。ずっと泣いていたんだ。だから、何も聞けなかった」
エドワードは、顔を近づけて小声でそう告げた。
「音が視えただろ? すごく幸せそうな顔をして泣いていたんだ。お前の妹の見ている世界の片鱗を視ることができたんだろ?」
少し淋しそうな、それでいて優しい瞳でエドワードはヘンリーのセレスト・ブルーの瞳をじっと見つめていた。ヘンリーは、厳しい表情のまま微動だしない。
二人ともそれ以上何も言わず押し黙った。
窓の外に降りしきる雨は、止む気配もない。離れた席に座る観光客の外国語や、カチャカチャと食器を片付ける音が、静かな店内のBGMのように聞こえていた。
先に沈黙を破ったのは、ヘンリーの方だった。
「なら訊けよ。きみは僕から何を聴きだしたいんだ?」




