カレッジ・ホール4
エリオットと隣町を分ける川にかかる橋の麓に、学校所有のボート小屋がある。
そこから更に上流に上った場所にある、今は使われていない朽ちかけたボート小屋は、エリオット生の間では特別な場所だった。土日や休日に、寮内や校内ではできない事をするために、この場所は使われてきたのだ。
この場所の使用権と使用ルールは、生徒会とセレクトと呼ばれる二十名の監督生の間で厳格に定められ、使用中は絶対に邪魔をしない決まりだ。
普段、生徒会とセレクトは対立関係にあり仲が悪いとされているが、この一点での結束は固かった。時には、一般生徒には知られては困るような密談も行われる、彼らには必要不可欠の場所だったからだ。
ヘンリーが小屋に着いた時には、エドワードはすでに、埃っぽいソファーの上でくつろいでいた。小屋と言っても、以前は大量のボートが収納されていた大倉庫だ。だだっ広い空間の片すみに、汚い応接セットや壊れかけた椅子が何脚も置かれている。
「飲むか?」
明かりとりの窓から外灯の光が差し込んでいる他はこれといった光源のない薄暗い部屋で、エドワードはビール瓶を差しだした。
「いらない。知ってるだろ、臭いが嫌いなんだ」
ヘンリーは、彼の横に腰かけ上着を脱いだ。
「伯爵さまは、ワインじゃないとだめだったな」
エドワードは、鼻で笑ってローテーブルに置いてあるキャンプ用のランタンを灯した。
「僕は平民だよ。ビール以外はないの?」と、煙草を取りだし火を点ける。
「これならある」
エドワードは、テーブルの下からシャンパンの瓶を取りだした。
「冷えてる?」
「そこは我慢しろ」とニヤリと笑い、彼はシャンパンを勢いよくぬいた。溢れる飛沫をロックグラスに注ぎ、携帯プレーヤーのスイッチを入れる。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が流れ始める。
「乾杯!」
「何に?」
「俺たちの友情に」
「それは高くつきそうだな」
ヘンリーは薄く笑ってグラスを合わせ、一気に飲みほした。とたんに口を押えて前かがみに崩れ、テーブルにつっぷしていた。彼の手から滑り落ちたグラスを、エドワードが待ち構えていたかのように受け止める。
ぎゅっと顔をしかめ、激しく肩で息をしながら、やっとの思いでヘンリーは顔を上げた。
「何を飲ませた?」
「約束のものさ。心配するな、じきに治まる。すぐに天国が見えて――」
心臓の音が、ビッグベンの鐘の音のように鳴り響き、エドワードの言葉をかき消していた。辺り一面が明るく輝きだす。七色の光のスペクトルが乱舞している。まるで万華鏡の中に立っているかのように、目まぐるしく世界が、自分を軸に回転していた。
頭がくらくらする。とても立っていられない。地面が、空気が、波打っている。その輝く極彩色の波にはリズムがあった。一定の調和があった。ここから始まり、大きくうねってまた、ここに戻ってくるのだ。光の波が、音楽のように寄せては引いていく。このまま、この光の中で溺れてしまいたい――。光の波に自らを投じてみると、光はその身体ごと包み込んで、暖かくヘンリーを慈しんでいた。
音楽に包まれているのか。音を視て、音に触れているのか。
青、黄、紫――。その一つ一つに、温度があった。優しく、激しく、暖かい色彩たち。僕がこの一音、一音を愛するように、この一音も、僕を愛してくれている。
僕は、今、音楽のなかにいる。
「サラ……」ヘンリーの唇が小さく動く。
酩酊して倒れ込んでいるヘンリーをソファーに寝かせ、エドワードは、ぐびぐびとビールを飲み、ヘンリーが火を点け、置いたままにしていた煙草を吸った。
「きつい銘柄吸いやがって」
エドワードは顔をしかめて煙を吐きだした。




