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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第一章
42/805

  カレッジ・ホール3

 広大なエリオット校の敷地内には、3つのガーデンがある。

 その中でヘンリーが好んで使うのは、川沿いの道にある薔薇園、フェローガーデンだ。遅咲きのピンクやオレンジの薔薇が盛りを過ぎたとはいえ、いまだその香しい芳香を漂わせている。


 ガーデンの片隅にある、雨に晒され塗料のはげ落ちたベンチに腰掛けるヘンリーの姿を、高く伸びた薔薇の生け垣が、まばらに遊歩道を行きかう生徒たちから隠してくれる。ベンチの背もたれに寄りかかるようにして眠っているヘンリーの横に、エドワードがそっと腰かけた。


「お前、また、眠れなくなっているのか?」

 普段でも怒っているように見える厳つい目を更に眇めて、エドワードが静かに尋ねた。

「そういうわけじゃない。勉強しているんだ。真面目にね」

 ヘンリーは、そのままの姿勢で目だけ開けて答えた。

「なんだって進路をいきなり変更したんだ? 経営に進むんじゃなかったのか?」

「ちょっとした軌道修正さ。大学は電子工学部に行く。今の経営学部はもう骨董的価値しかない。僕の学びたい分野で行く値打ちがあるのはIT分野だけなんだ」


 ヘンリーは、けだるそうに頭を起こし、金色の髪をかき上げた。


「約束はどうなる?」

「僕が父の貿易会社を継いで、きみが外務省に入って、英国の財政赤字を変えてやる、ってやつ?」

 エドワードは、口をへの字に結んだまま頷く。

「ちゃんと覚えてるよ。大学院はビジネス・スクールに進むよ。院の方は評価できるからね。アーネストも、きみも、どうしてそう心配症なのかな?」

「お前が何も言わないからだ」

 エドワードは憮然と答えた。

「心配ばかりするから言えないのさ」

 ヘンリーは脱力したように笑って言った。

「その疲れ切った顔を見ていたら、言いたくもなるだろうが」と、大きな手でヘンリーのひたいにかかる髪をかき上げて頭を掴み自分の方に向けさせる。

「クマができているぞ。顔色も悪い」

「乱暴だな」

 エドワードはそのままヘンリーのひたいをペチッと叩く。

「しっかりしろ」

 ヘンリーは顔を伏せてクスクス笑った。


「時間を作れ。お前に土産があるんだ」

 エドワードはヘンリーの耳元に顔を寄せて囁いた。


「共感覚、知りたいだろ?」

「きみ……」

 ヘンリーは眉を寄せて言いよどむ。

「土曜の夜、ボート小屋。来るだろ?」

「考えておく」

 ヘンリーは立ち上がり、エドワードを促した。

「授業が始まるよ」


 遊歩道に戻り、二人で肩を並べて校舎に向かう途中、「ソールスベリー先輩!」と、ヘンリーを呼び止める声がした。


「こんにちは、先輩」

 エドガー・ウイズリーが息を弾ませて追いかけてきていた。

「やぁ、久しぶり」

 ヘンリーは振り返り声をかけると、足を止める事もなく歩き続ける。

「先輩、今年のコンサートは……」

「またお使いかい? 僕はもう関係ないよ」

「客演で出てもらえませんか?」

「きみがいるじゃないか。でも、もう僕の真似はやめた方がいい。去年のカプリースはつまらなかった。今年は期待している」


 ヘンリーが冷たく言い放つと、エドガーはその場に立ち竦んでしまった。




 遊歩道を足早に進みながらエドワードは、ヘンリーの肩を組み小声で訊いた。


「あのちっこいのが、先生の今のお気に入りか?」

「そうみたいだね」

「またかわいらしいのを――。あいつ、大丈夫なのか?」

「さぁ、あの人の好みは金髪碧眼だろ」

「細身のな」


 エドワードは、腕でヘンリーの肩をバンバンと叩きながら笑った。


「厄介な心配ごとがひとつ減ったのは、素直に嬉しいぞ!」





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