カレッジ・ホール3
広大なエリオット校の敷地内には、3つのガーデンがある。
その中でヘンリーが好んで使うのは、川沿いの道にある薔薇園、フェローガーデンだ。遅咲きのピンクやオレンジの薔薇が盛りを過ぎたとはいえ、いまだその香しい芳香を漂わせている。
ガーデンの片隅にある、雨に晒され塗料のはげ落ちたベンチに腰掛けるヘンリーの姿を、高く伸びた薔薇の生け垣が、まばらに遊歩道を行きかう生徒たちから隠してくれる。ベンチの背もたれに寄りかかるようにして眠っているヘンリーの横に、エドワードがそっと腰かけた。
「お前、また、眠れなくなっているのか?」
普段でも怒っているように見える厳つい目を更に眇めて、エドワードが静かに尋ねた。
「そういうわけじゃない。勉強しているんだ。真面目にね」
ヘンリーは、そのままの姿勢で目だけ開けて答えた。
「なんだって進路をいきなり変更したんだ? 経営に進むんじゃなかったのか?」
「ちょっとした軌道修正さ。大学は電子工学部に行く。今の経営学部はもう骨董的価値しかない。僕の学びたい分野で行く値打ちがあるのはIT分野だけなんだ」
ヘンリーは、けだるそうに頭を起こし、金色の髪をかき上げた。
「約束はどうなる?」
「僕が父の貿易会社を継いで、きみが外務省に入って、英国の財政赤字を変えてやる、ってやつ?」
エドワードは、口をへの字に結んだまま頷く。
「ちゃんと覚えてるよ。大学院はビジネス・スクールに進むよ。院の方は評価できるからね。アーネストも、きみも、どうしてそう心配症なのかな?」
「お前が何も言わないからだ」
エドワードは憮然と答えた。
「心配ばかりするから言えないのさ」
ヘンリーは脱力したように笑って言った。
「その疲れ切った顔を見ていたら、言いたくもなるだろうが」と、大きな手でヘンリーのひたいにかかる髪をかき上げて頭を掴み自分の方に向けさせる。
「クマができているぞ。顔色も悪い」
「乱暴だな」
エドワードはそのままヘンリーのひたいをペチッと叩く。
「しっかりしろ」
ヘンリーは顔を伏せてクスクス笑った。
「時間を作れ。お前に土産があるんだ」
エドワードはヘンリーの耳元に顔を寄せて囁いた。
「共感覚、知りたいだろ?」
「きみ……」
ヘンリーは眉を寄せて言いよどむ。
「土曜の夜、ボート小屋。来るだろ?」
「考えておく」
ヘンリーは立ち上がり、エドワードを促した。
「授業が始まるよ」
遊歩道に戻り、二人で肩を並べて校舎に向かう途中、「ソールスベリー先輩!」と、ヘンリーを呼び止める声がした。
「こんにちは、先輩」
エドガー・ウイズリーが息を弾ませて追いかけてきていた。
「やぁ、久しぶり」
ヘンリーは振り返り声をかけると、足を止める事もなく歩き続ける。
「先輩、今年のコンサートは……」
「またお使いかい? 僕はもう関係ないよ」
「客演で出てもらえませんか?」
「きみがいるじゃないか。でも、もう僕の真似はやめた方がいい。去年のカプリースはつまらなかった。今年は期待している」
ヘンリーが冷たく言い放つと、エドガーはその場に立ち竦んでしまった。
遊歩道を足早に進みながらエドワードは、ヘンリーの肩を組み小声で訊いた。
「あのちっこいのが、先生の今のお気に入りか?」
「そうみたいだね」
「またかわいらしいのを――。あいつ、大丈夫なのか?」
「さぁ、あの人の好みは金髪碧眼だろ」
「細身のな」
エドワードは、腕でヘンリーの肩をバンバンと叩きながら笑った。
「厄介な心配ごとがひとつ減ったのは、素直に嬉しいぞ!」




