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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第七章
413/805

  追跡2

 ヘンリーはパリからロンドンに戻るなり、真っ直ぐにマーシュコートにあるマナーハウスに向かった。

 夏の乾いた空気の中、飛鳥はテラスの欄干に腰かけ、身体を捻って背後に広がる深緑の庭を見おろしていた。


「お帰り、ヘンリー」

 カチャリと開けられたガラス戸の音に振り返り、自分を迎えてくれるいつもと変わらない飛鳥の笑顔に、ヘンリーの胸が軋む。

「ヘンリー。TSパネルの遠隔操作と、一括操作できるソフトを考えているんだ。そのために必要な通信技術の増強をサラと話していて、」

「アスカ、僕はきみに謝らなければいけないことが、」

「いいんだ」

 辛そうに、絞りだすように発せられたヘンリーの言葉を、小さく首を振り、飛鳥は柔らかく遮る。

「きみのせいじゃない」


「僕の責任だ。僕がヨシノを巻き込んだから、」

「それは違うよ、ヘンリー」

 飛鳥は静かにヘンリーを見つめている。そして、辛そうに眉を寄せるヘンリーに首を傾げる。

「ヘンリー、どうしてきみが気に病むんだい?」

「当然じゃないか。ヨシノはまだ未成年でコズモスの社員でもない。それを充分知っておきながら、僕は彼を危険な場所に配置したんだ。彼の怪我は僕の責任だ」

「僕にはあれを操作するのは吉野だって判っていた。吉野じゃないと完璧は望めないことも。吉野に任せれば安心だって――。いつも吉野に甘えているのは僕なんだ。だから、」


 言い募るヘンリーに物悲しいげな微笑みを返し、欄干からテラスに足をおろして飛鳥は姿勢を正した。


「ありがとう、ヘンリー。吉野の命を守ってくれて。殿下のつけてくれた護衛の人にもお礼を言わなきゃ、それにウィルも――。みんな、コズモスのみんなも、あんな、危険な中で、みんな、ありがと……」

 込みあげてくる嗚咽を抑えきれず、飛鳥は口を堅く結んで俯いた。

「アスカ――」

 肩を震わせて涙を噛み殺す飛鳥の頭を、ヘンリーは駆け寄ってしっかりと抱きかかえる。

「――僕はどこか、解ってなかったんだ。――銃とか、――爆弾とか、テロも、戦争も、闘うってことも……。いつもイメージだけで、ただ漠然とそんなのは嫌だって思うだけで……」

 くぐもった声で訥々と話す飛鳥の髪をそっと撫でながら、ヘンリーは「うん」と相槌だけを打つ。

「映像の銃口ですら怖いと思うのに、本物の銃の前に身を晒して、闘っているみんなのことに、ちっとも気持ちが、及んでいなかった。ごめん、ヘンリー、ごめんなさい……」

 しゃくりあげながら、飛鳥は言葉を絞りだしていく。

「きみたちが、きみが、無事で良かった」


「――アスカ、ヨシノは……、ヨシノの顔には傷が……」

「生きて、帰ってきてくれれば、それでいい」


 ヘンリーは、荒く肩で呼吸する飛鳥の背中を優しく擦ってやった。何度も、何度も。いつまでもそうしていたかった。慰めているのか、慰められているのか判らなかった。いつもそうだ。始まりからそうだった。


 彼はこういう人間なのだ。


 こちらが謝ろうとしても、決して謝罪させてはくれない。自分が先に謝って、そこで扉を閉めてしまう。決して扉の内側には入れてくれない。一人で泣いて、自分だけを責め続ける。いつまでも、いつまでも――。

 怒鳴られ詰られる方がよほどいい、頭ではそう思いながらも、ヘンリーの口からはほっと安堵の吐息が漏れていた。逃げだされないだけましなのだ、と。自分の失態に愛想をつかされ、「きみでは駄目だ」と切り捨てられることばかりを思いあぐねていたのだから。


「ヨシノのこと、全部、知っているんだろう? どうしてきみは僕を責めないんだ? きみの大切な家族を危険な目に遭わせてしまったのに。CEOである僕の責任なのに」

 ヘンリーの苦しげな呟きに、飛鳥の手が彼を軽く押して身体を引き、顔をもたげる。

「前に言ったろう? 僕は吉野に自由に生きて欲しいんだって。でも僕はあいつの保護者として、あいつが間違ったことをするなら、それを止めて正さなきゃいけない。サラのパソコンをハッキングしたり、金融市場を荒らしたり、そんな無法は許さないよ。でも、今回は違うだろ?」 

 自分を落ち着かせようと、飛鳥はわずかばかり息を継ぐ。

「あいつはテロを防ぐためにあそこにいたんだ。僕はそんなあいつを誇りに思う。きみも、コズモスのみんなも。そうだろう? 怪我をしたのだって、あいつだけじゃない。最前線で闘っていたきみを、どうして僕が責められるんだ? それに、吉野が自分の意思で行ったことでどんな結果になったとしても、僕はその結果を受け止めるよ。あいつを信じているから」


 飛鳥はくるりとヘンリーに背を向け、欄干に肘をついて眼下に広がる深緑のガーデンルームに目を向けた。


 肌を焼く強い夏の日差しの下、乾いた風がさやさやと低木の梢を揺らして通りすぎていく。遠くかすかに聞こえる小鳥の囀りに静寂が浮かびあがる。


「ここは平和だね、ヘンリー。ここに来てから、今回の仕事を依頼されてから、いろんな事を考えたよ。これからの事。起こりうる事、いろいろね」

 飛鳥は肘をついたまま、肩越しにヘンリーを振り返った。

「僕が怒っているとすれば、それはきみに対してじゃない。僕自身にだよ。あまりにも愚かで、おめでたい自分自身に対してだ」


 ヘンリーに向けられた背中は拒絶ではなく、飛鳥らしい毅然とした意思を感じられた。その鳶色の瞳にはもう涙はなく、いつにも増して冷静で深い静けさを湛えている。ヘンリーはじっとその場に立ち尽くしたまま、そんな彼の瞳に捕らわれていた。


「僕たちはもっと話し合わなきゃいけない。これから来るであろう、TSの軍事利用を断固拒んで、平和と、人類の進歩のためにこの技術を生かしていけるように」


 確固たる決意を感じさせる飛鳥の言葉に、ヘンリーはふわりと微笑んでいた。




 

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