カレッジ・ホール2
ヘンリー・ソールスベリーが、音楽のクラスを取らないらしい。
新学期早々、こんな噂が校内を駆け巡っていた。
ヘンリーは、キングズスカラーの音楽試験で満点をつけて合格した。
そのため、音楽での奨学生ではないにも関わらず、学校側からの要請で音楽のクラスを取らされていた。授業に最低限しか参加しない、演奏会に参加しない我儘が通っていたのはそのためだ。
クリスマス・コンサート後、ヘンリーは、動画サイトへの自分の映像公開を、プライバシー及び肖像権の侵害だとして学校への抗議を申し入れ、音楽クラスからの離脱を勝ち取った。おもてだっては言われないものの、音楽主任のキャンベル先生との確執は知れ渡っていたので、キャンベルは、とうとうヘンリーを取り逃がした、と陰で散々な嘲笑が囁かれた。
だが、それ以上に驚かされたのは、今まで文系科目を選択してきたヘンリーが、理系科目にガラリと選択を変えてきたことだ。理系から文系への変更はあっても、その逆の前例はほぼない。皆の予想通りには動かないヘンリー・ソールスベリーは、再び時の人だ。
音楽選択拒否の本当の理由は、大学の進路に直結するAレベルの科目選択のためらしい。それまでヘンリーと同じ選択教科を取っていた友人たちは衝撃を受け、同じクラスで授業を受けたいがために頑張ってきた連中は落胆して言葉も出ない。
今期、ヘンリーが取った授業とかぶる科目が一つもないなんて!
「お前の頭の中はどうなっているんだ?」
出会い頭、エドワードはヘンリーを恫喝した。
「声が大きい。うるさいよ、エド」
ヘンリーは、鬱陶しそうにエドワードを見やると、足取りを緩めることもなく綺麗に刈られた芝生を突っ切って行く。
「おい!」
「これからコンピューター学なんだ。遠いんだよ。時間がない」
ヘンリーは迷惑そうにちらりとエドワードを見て早口で言った。殴りつけたい衝動を抑え、エドワードはヘンリーを睨めつける。
こいつだけは、本当に――。
「ちゃんと説明しろ」
「その辺のやつに聞けよ。僕以上に知っている。僕の知らないことまで知っているからね、あいつらは」
「ハリー!」
ヘンリーはやっと立ち止まって苦笑いする。
「ハリーって呼ぶな。急かされている気分になる。ランチの後なら時間が取れる。ガーデンで待ってろ」
それだけ言うと、彼はエドワードの背をトンと叩き、足早にいってしまった。エドワードも、怒りで頭を沸騰させながらも、それ以上追わなかった。
この夏、エドワードは父親に連れられヒマラヤに登った。いつかはエヴェレスト登頂が彼の夢なのだ。これからの2年間はシックスフォーム進学のためにこれまでのように遊んではいられない。夏期休暇一カ月間のインド旅行とヒマラヤ登山は、受験に専念できるようにとのプレゼントだった。
そして新学期に一週間遅れで戻ってきたら、そっくりなやつが入れ替わったんじゃないかと思えるほど、ヘンリーは別人になっていたのだ。
いや、初日はちゃんとヘンリーだった。日曜日に池で会った時は、ちゃんと彼の知っているヘンリーだった。おかしいのは授業が始まってからだ。選択科目をすべて変えたことだって、エドワードは一言も聞いていない。訊きたくても、まず彼は捉まらない。
俺は本当にあいつの友人なのか?
これまで抱いたことのない、言いようのない苛立ちが、彼の内側から溢れていた。
石造りの回廊に囲まれた内庭に立ちすくみ、エドワードは奥歯をギリギリと噛み締める。
あいつは、いったい何を考えているんだ?
ともに過ごす時間が長くなればなるほど、わからなくなるなんて……。
エドワードは、深く息をつき、秋晴れの空を仰ぎ見る。




