一族6
「何言ってんだよ! 俺、お前に隠しごとなんかしてないし、嘘もついてないぞ!」
吉野はプールの中から声を張りあげる。
「嘘つき!」
石の欄干に両手をついて、アレンは罵りの言葉を繰り返した。
「お前、俺になにも訊かないだろ!」
「…………」
「俺はいつでもお前にどうしたい? なにしてんの? て、訊いてるだろ? お前が俺に訊いたことがあるか? お前、いつも俺の顔色を伺って、あれこれぐちゃぐちゃ考えるだけで、なにも言わないじゃないか! 知りたいなら訊けよ!」
返ってきた言葉に、アレンは唇を噛んで膝を折りしゃがみこんでしまっていた。その通りだった。なにも言い返すことができなかったのだ。――それでも、欄干に置いた震える指先に力を込め、アレンは声を絞りだすようにして訊ねた。
「さっきの人は、誰?」
「本当に知らない奴だよ。でも、あいつと同じ顔をした男なら知ってる。マルセッロ・ボルージャ・デ・ルベリーニ、スペイン分家当主だよ。どっちが本物なのかは知らないけどさ」
「また、ルベリーニ……」
アレンは深く息をつく。
「そんな奴にベタベタ触らせるな!」
アレンの上に、苛立ちがまたふつふつとぶり返してきていた。
「俺だって嫌だけどさ、こっちの奴らってみんなあんな感じじゃん。もういい加減慣れたよ」
吉野は水中でブラックタイを外し、上着を脱いでいる。放りだされた上着がぷかぷかと水面を漂っていた。
「僕は嫌だ!」
アレンは腹立ちのあまり叫んでいた。
「僕は、きみが他の奴らにベタベタされるのを見るのは嫌なんだ」
「お前、それは我儘だぞ!」
吉野は水中に革靴も脱ぎ捨てる。
「どうして? 僕はきみが好きなのに!」
涙交じりのアレンの声に、吉野は一瞬黙りこんだ。だがすぐに、呆れたように首を傾げた。
「安易にそんなこと言うなよ。――お前さぁ、俺とキスしたい? 俺とやりたいって思うの? な、違うだろ? お前、一度だって俺のことそんな目で見たことないじゃん! お前の好きは、ただの子どもっぽい独占欲だよ」
「きついねぇ――。可哀想に」
大広間に続くフランス窓を閉め、立ち塞がるようにそこに背をもたせているロレンツォは、苦笑気味に呟いて、ちらりと傍らのヘンリーに目をやった。
「そう? 彼の言う通りだよ」
「恋じゃないのか?」
「あの子、いつもヨシノのことをローマ法王に謁見するカトリック信者みたいな目つきで見てるよ」
「そりゃまた、強烈だな」
「恋というより信仰だね、あれは」
紫煙を燻らせながら、ヘンリーは苦笑し肩をすくめる。
「来いよ!」
プールの水を跳ねあげながら、吉野は開きかけた蕾に似た欄干のバラスターに隠れるようにしゃがみこむアレンを見あげ、にかっと笑う。
「遊んでやるから! お前、つまんなくて淋しかったんだろ! そんなにパーティーが嫌だったんなら、出なくて済む口実を作ればいいだろ!」
泣き濡れていた顔をあげ、上着を脱ぎ捨て靴を脱ぎ、蹴散らかして欄干に足をかけたアレンは思いっきり空を蹴った。
激しい水音とともに、ケラケラと笑い声が響きわたる。
「ああやって地獄までもついていくのかね、あの子は」
咽喉を鳴らすようにして笑うロレンツォに、ヘンリーはゆっくりと煙を吐きだし、「さあてね」と薄く笑う。
「で、僕は、マルセッロ・ボルージャが双子だなんて話、初耳なんだけどね。嘘つきで、秘密主義で、隠しごとばかりのルベリーニ君?」
偶然に出会った獲物を逃すものかと追い詰めるような、いたぶるような自分を見つめるセレストブルーの瞳からそっと視線を逸らし、ロレンツォは空を仰いだ。屋敷から漏れる灯りで薄い輝きしか見いだせない星空に、息を吐きつけるようにため息を漏らす。
「双子は忌子だ。わかるだろ?」
「一人を選ばなかったのかい?」
「選んださ」
「それがどうして、ヨシノに悟られることになったんだい?」
「こっちが聞きたい。母親と俺以外、家族だって区別がつかないんだぞ、あの二人は。さっきのアスカの弟に絡んでいた奴がスペイン分家の当主だよ」
「どうしてヨシノに? 絡む相手が違うだろう?」
「ところがだな、影の兄貴の方がヨシノを選んだんだ」
「忠誠を誓う相手に?」
ロレンツォはため息交じりに頷いた。
「当主はそれを承服できない」
「問題点は?」
ロレンツォのまどろっこしい話しぶりに、ヘンリーは若干の苛立ちを見せ始めている。諦めたようにロレンツォは、ゆっくりと噛みしめるように言葉を紡いだ。
「影の方に聖痕がでたんだ。あいつの言うことがルベリーニの掟になる」
「それはまた御大層な――」
肩を震わせて笑うヘンリーの綺麗に磨かれた革靴を、ロレンツォは靴先で小突いた。
「これで俺たち一族は、長い歳月命を繋げ増やしてこられたんだ」
「百年に一度、一族に現れるかどうかの聖痕の持主の導きで?」
涙を滲ませて忍び笑うヘンリーを、ロレンツォは不愉快そうに見つめているが、なにも言い返しはしなかった。
「で、かの聖痕の持主は、宗主のきみよりも上なのかい?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「実に興味深いね、きみたち一族は。あの子がどう動くか、ますます楽しみになってきた」
ときおり大きくバシャッと跳ねる水音に、笑い声が混じる。ガラス越しに響く室内の喧騒に紛れ、かき消されていく子供らしい歓声と水を叩く音に、ヘンリーは目を細め、懐かしむような柔らかな笑みを浮かべて――。
「どうしてかな、役に立つ彼よりも笑い興じている彼の方が、僕はよほど好きだよ」
「そう言いながらお前は、役に立つあいつを手放さないんだ。それがアスカの意に反していても!」
「横から掠め取られるくらいなら、鎖につないでおくさ」
ヘンリーは指先に挟んでいた煙草を白いテラスに落とし靴先で踏み消すと、踵を返しガラス戸を開けた。間際にロレンツォを一瞥したセレストブルーの瞳が室内の人工的な光に晒され、ガラス玉のように冷たく光って見えたのは思い違いだと、ロレンツォは思いたかったが。
その一瞥が彼の足をすくませた。ロレンツォはその場に縫い留められたように、ヘンリーの後を追う一歩を踏みだすことができなかった。




