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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第七章
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  一族6

「何言ってんだよ! 俺、お前に隠しごとなんかしてないし、嘘もついてないぞ!」

 吉野はプールの中から声を張りあげる。

「嘘つき!」

 石の欄干に両手をついて、アレンは罵りの言葉を繰り返した。

「お前、俺になにも訊かないだろ!」

「…………」

「俺はいつでもお前にどうしたい? なにしてんの? て、訊いてるだろ? お前が俺に訊いたことがあるか? お前、いつも俺の顔色を伺って、あれこれぐちゃぐちゃ考えるだけで、なにも言わないじゃないか! 知りたいなら訊けよ!」


 返ってきた言葉に、アレンは唇を噛んで膝を折りしゃがみこんでしまっていた。その通りだった。なにも言い返すことができなかったのだ。――それでも、欄干に置いた震える指先に力を込め、アレンは声を絞りだすようにして訊ねた。


「さっきの人は、誰?」

「本当に知らない奴だよ。でも、あいつと同じ顔をした男なら知ってる。マルセッロ・ボルージャ・デ・ルベリーニ、スペイン分家当主だよ。どっちが本物なのかは知らないけどさ」

「また、ルベリーニ……」

 アレンは深く息をつく。


「そんな奴にベタベタ触らせるな!」

 アレンの上に、苛立ちがまたふつふつとぶり返してきていた。

「俺だって嫌だけどさ、こっちの奴らってみんなあんな感じじゃん。もういい加減慣れたよ」


 吉野は水中でブラックタイを外し、上着を脱いでいる。放りだされた上着がぷかぷかと水面を漂っていた。


「僕は嫌だ!」

 アレンは腹立ちのあまり叫んでいた。

「僕は、きみが他の奴らにベタベタされるのを見るのは嫌なんだ」

「お前、それは我儘だぞ!」


 吉野は水中に革靴も脱ぎ捨てる。


「どうして? 僕はきみが好きなのに!」


 涙交じりのアレンの声に、吉野は一瞬黙りこんだ。だがすぐに、呆れたように首を傾げた。


「安易にそんなこと言うなよ。――お前さぁ、俺とキスしたい? 俺とやりたいって思うの? な、違うだろ? お前、一度だって俺のことそんな目で見たことないじゃん! お前の好きは、ただの子どもっぽい独占欲だよ」




「きついねぇ――。可哀想に」


 大広間に続くフランス窓を閉め、立ち塞がるようにそこに背をもたせているロレンツォは、苦笑気味に呟いて、ちらりと傍らのヘンリーに目をやった。


「そう? 彼の言う通りだよ」

「恋じゃないのか?」

「あの子、いつもヨシノのことをローマ法王に謁見するカトリック信者みたいな目つきで見てるよ」

「そりゃまた、強烈だな」

「恋というより信仰だね、あれは」


 紫煙を燻らせながら、ヘンリーは苦笑し肩をすくめる。




「来いよ!」

 プールの水を跳ねあげながら、吉野は開きかけた蕾に似た欄干のバラスターに隠れるようにしゃがみこむアレンを見あげ、にかっと笑う。

「遊んでやるから! お前、つまんなくて淋しかったんだろ! そんなにパーティーが嫌だったんなら、出なくて済む口実を作ればいいだろ!」


 泣き濡れていた顔をあげ、上着を脱ぎ捨て靴を脱ぎ、蹴散らかして欄干に足をかけたアレンは思いっきり空を蹴った。


 激しい水音とともに、ケラケラと笑い声が響きわたる。




「ああやって地獄までもついていくのかね、あの子は」


 咽喉を鳴らすようにして笑うロレンツォに、ヘンリーはゆっくりと煙を吐きだし、「さあてね」と薄く笑う。


「で、僕は、マルセッロ・ボルージャが双子だなんて話、初耳なんだけどね。嘘つきで、秘密主義で、隠しごとばかりのルベリーニ君?」


 偶然に出会った獲物を逃すものかと追い詰めるような、いたぶるような自分を見つめるセレストブルーの瞳からそっと視線を逸らし、ロレンツォは空を仰いだ。屋敷から漏れる灯りで薄い輝きしか見いだせない星空に、息を吐きつけるようにため息を漏らす。


「双子は忌子だ。わかるだろ?」

「一人を選ばなかったのかい?」

「選んださ」

「それがどうして、ヨシノに悟られることになったんだい?」

「こっちが聞きたい。母親と俺以外、家族だって区別がつかないんだぞ、あの二人は。さっきのアスカの弟に絡んでいた奴がスペイン分家の当主だよ」

「どうしてヨシノに? 絡む相手が違うだろう?」

「ところがだな、影の兄貴の方がヨシノを選んだんだ」

「忠誠を誓う相手に?」

 ロレンツォはため息交じりに頷いた。

「当主はそれを承服できない」

「問題点は?」


 ロレンツォのまどろっこしい話しぶりに、ヘンリーは若干の苛立ちを見せ始めている。諦めたようにロレンツォは、ゆっくりと噛みしめるように言葉を紡いだ。


「影の方に聖痕がでたんだ。あいつの言うことがルベリーニの掟になる」

「それはまた御大層な――」


 肩を震わせて笑うヘンリーの綺麗に磨かれた革靴を、ロレンツォは靴先で小突いた。


「これで俺たち一族は、長い歳月命を繋げ増やしてこられたんだ」

「百年に一度、一族に現れるかどうかの聖痕の持主の導きで?」

 涙を滲ませて忍び笑うヘンリーを、ロレンツォは不愉快そうに見つめているが、なにも言い返しはしなかった。

「で、かの聖痕の持主は、宗主のきみよりも上なのかい?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える」

「実に興味深いね、きみたち一族は。あの子がどう動くか、ますます楽しみになってきた」


 ときおり大きくバシャッと跳ねる水音に、笑い声が混じる。ガラス越しに響く室内の喧騒に紛れ、かき消されていく子供らしい歓声と水を叩く音に、ヘンリーは目を細め、懐かしむような柔らかな笑みを浮かべて――。


「どうしてかな、役に立つ彼よりも笑い興じている彼の方が、僕はよほど好きだよ」

「そう言いながらお前は、役に立つあいつを手放さないんだ。それがアスカの意に反していても!」

「横から掠め取られるくらいなら、鎖につないでおくさ」


 ヘンリーは指先に挟んでいた煙草を白いテラスに落とし靴先で踏み消すと、踵を返しガラス戸を開けた。間際にロレンツォを一瞥したセレストブルーの瞳が室内の人工的な光に晒され、ガラス玉のように冷たく光って見えたのは思い違いだと、ロレンツォは思いたかったが。


 その一瞥が彼の足をすくませた。ロレンツォはその場に縫い留められたように、ヘンリーの後を追う一歩を踏みだすことができなかった。





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