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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第七章
384/805

  空白5

「映像酔いって、確か統計じゃ、映像から離れても二、三時間は続くって……」

 確認するようにデヴィッドを見ると、彼もすぐに肯定して頷いた。

「日本のデザイン学校でも習ったけどぉ、そんなに直ぐに回復しないはずだよぉ」

 ふたりは顔を見合わせ、訝しげにもう一度アレンの顔をじっと見つめた。彼は青い顔をしたまま、やはり辛そうに掌で額を支えている。


「今は? まだ揺れてる?」

 飛鳥の問いにアレンは小さく頷く。

「迷宮イベントのときは、空からクノッソスを見おろしていたらすーと揺れが収まって、ふわっと身体が軽くなったんです。本当に空に浮かんでいるみたいに」

「NYは?」

「あの宇宙の画面の上に立ったら、空間を漂っているみたいな気分になって。酔っているって言っても、気持ちいいような酔いで――」

「それ、ヤバイんじゃない?」

 デヴィッドが眉をよせて呟いた。

「脳内モルヒネ……」

 飛鳥の呟きに、デヴィッドも首を捻りながら、「恐らくは――」と頷く。


「今はまだ気分悪い?」

 飛鳥は頷いたアレンの肩をそっと擦る。

「今回はなんでだろう?」

「途中で止めたから」

 サラの透き通るような声がした。

「もう一回、」

「今は駄目だよ」

 飛鳥は厳しい顔で首を横に振る。

「とりあえず、もう一度問題点を洗いだそう。きみはもう休んでいて」

 飛鳥はくしゃりとアレンの髪を撫でて、額をこつんと彼のこめかみに当てて囁いた。

「本当にごめんね。こんなことをさせてしまって」





 そのままアレンは空色のクッションに頭を預け、ソファーに横になった。ふわふわと身体が浮いているような錯覚はいまだ続いていた。


 しばらく眠ったのだろうか? どことなく夢心地で瞼をもちあげ、ローテーブルを挟んだ向かいに腰かける人を、ぼんやりと見つめた。


 煙草を挟んだしなやかな指先がスローモーションのようにゆっくりと動き、薄い唇に運ばれる。けぶる睫毛はわずかに伏せられ、その下の瞳がどこを見ているのかは判らない。彼の指先が、ローテーブルに置かれた灰皿に、トンっと煙草の灰を落としたとき、秀でた額にさらりと金の髪が一筋落ちた。


 夢のようなその一コマを、アレンはただ、ぼんやりと見つめていた。



「どう、少しはマシになったかい?」

 兄の声に、これは夢ではない、とアレンは驚いて飛び起き、慌てて頷いた。

「大丈夫です!」

「アスカがひどく心配していた」

「すみません」

 アレンは恐縮そうに身体を縮こませる。

「お前が謝ることじゃないよ。辛いだろうけれど、もうしばらく彼に協力してやってくれるかい?」


 真っ直ぐに向けられたセレストブルーの瞳に見つめられ、アレンは身が引きしまる思いだ。こんなふうに兄と向かいあって話すのは、あのとき以来ではなかろうか。あの、フェローガーデンの桜の木の下の――。身体が震えているように感じるのは、緊張のせいなのか、さっきの映像酔いのせいなのか、彼には判別できなかった。


「立てるかい?」

 ヘンリーは手にしていた煙草を揉み消して立ちあがり、すっとしなやかな指先をアレンに差し伸べた。おずおずとそこに自分の手を重ねる。彼の兄はしっかりとその手を握りしめ、立ち上がるのを支えてくれた。


「せっかくヨシノがお前のために理由をつけてくれたんだ。お前もぼーっとしていないで、この休暇を有意義にすごせるように考えるんだよ」

 こんなにも優しく言われ、アレンは驚いて兄の顔を穴の開くほど見つめてしまっていた。

「どういうことですか?」

「アスカは頑固だからね、当分、彼、ここには来られないだろう? お前が僕とすごせるようにって、ヨシノはケンブリッジを出たんだよ。それらしい理由をつけてね。まぁ、それが全てでもないけれどね。あの子は秘密が多そうだし。いろいろと勘繰られたくないこともあるみたいだからね」

 ヘンリーは、クスクスと笑いながら、くいっと顔を傾ける。


「調子が戻ったようなら昼食にしよう。食べられそう?」

「はい」

 アレンは上の空で頷いた。

「皆、待っているよ」


 いまだふわふわとした覚束ない足取りで兄の後に続き、二人はダイニングに向かった。



 コンサバトリーからティールームを抜け、廊下に出る扉を開けたところで、ヘンリーはふと思いだしたように立ち止まり、アレンを振り返った。


「お前、僕の父の見舞いについて来るかい? これからもソールスベリーの息子として生きていくのなら、一度くらい会っておいてもいいだろう? それとも、もし本当の父親の方に会いたいのなら教えてあげるよ。あの(ひと)も、祖父も、決してお前に話したりしないだろうしね」


 突然に落とされた爆弾に、これはやはり夢なのだ、自分はまだ目が覚めていないのだ、と、アレンはその場に立ちすくみ、ぼんやりと上手く働かない頭で、静かに自分を見据える兄の顔を見つめ返していた。








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