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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第一章
37/805

  真夏のカフェテラス4

 “ヘンリー・ソールスベリー”


 サマースクール滞在中のベッドと机があるだけの簡素な二人部屋に戻った飛鳥は、パソコンを立ち上げ、彼の名前を検索欄に打ちこんでみた。


 あの子たちが自慢して回ったために、夕食時もその話題で持ちきりだった。あまりにしつこく聞かれて、本来なら自習時間のこの時間に、飛鳥は忘れ物をしたから、と部屋に逃げ帰ってきたのだ。やはりトップにあの動画が出てくる。あとは、SNS,ブログ。本人のものではないらしい。噂話や、ファンの書いたものなのだろうか――。


 飛鳥はイヤホンを差し込み、ヘンリーの動画を再生してみた。

 カフェでは落ち着いて見られなかったが、改めて聴くと、素人の飛鳥にも、彼が熱狂的に支持される理由がわかるような気がした。

 “嘆きの天使”。世界の荒廃を嘆き悲しむが、神の国の再構築を誓いこの世の楽園を約束する天使。って説明されたけど、そんな感じじゃない。

 どちらかっていうと、堕天使ルシファー。

 この世の何もかもに絶望して怒りまくって、神様にケンカ売ってやるって感じかな。でもそれだけじゃない。悪魔ではないんだよな。

 飛鳥は、ヘンリーの上品そうな、けれど、どこかピリピリとした神経質そうな顔を思いだし、クスリと笑った。

 天使だの悪魔だの、外野から好き勝手に言われて騒がれて、大変だなぁ、あの人も――。


「留学かぁ」


 ヘンリーの言葉を思いだしながら、飛鳥は頬杖をついてぼんやりと外を眺める。夜の八時を過ぎているというのに、窓外は、ようやく日没を迎えようとしているところで、赤レンガの街並みにかかる空は、薄紅から夜の闇を纏いつつあった。


 トントン、とドアがノックされる。開くと、サマースクールサポーターのアーネストが立っていた。

「体調が良くないの? 自習室にいないから心配したよ」

「すみません! ちょっと忘れ物をして。すぐ行きます」

 飛鳥は慌ててパソコンの電源を切り、ノート類を手にする。


 長い廊下を歩きだしたとたんに「ヘンリーが声をかけたっていうのは、きみのこと?」と、アーネストが直球で訊いてきた。


 またか――。


「はい。でも大した話はしていません」

 ネット上の人のプライバシーに関わる内容を、誰かれかまわずしゃべるほど飛鳥は無神経ではないつもりだ。

「話の内容よりも、ヘンリーが、きみに話しかけたっていうのに驚いてね」

 彼は、あくまで上品な優しい口調で喋っている。


 エリオット校の卒業生で現ケンブリッジ大学生のアーネストは、優し気で、穏やかで、よく気のつく人だ。5人いるサポーターの中でも、飛鳥たち留学生の間で一番人気だ。クルクル巻き毛のブルネットにヘーゼルの瞳、少し女性的な線の細い整った上品な顔立ちは、女の子たちの憧れを満たすのに十分で、こっそり日本語でエリオット王子さまと呼ばれている。


「ヘンリーはフレンドリーだけれど、よほどのことがない限り、自分から話しかけたりしないんだ。初対面の相手には、特にね」

 アーネストは、飛鳥に聞き取りやすいように、わざとゆっくりと区切ってしゃべった。

「きみ、ヘンリーに何をしたの?」


 え?


 飛鳥は思わずアーネストを見上げた。ヘンリーのような威圧感はないとはいえ、彼もやはり長身で、160センチしかない飛鳥からしてみると頭一つ分は目線が上だ。


 声音は優しいのに、目が笑ってないよ!


 飛鳥は肌が粟立つような緊張を感じていた。


「何かって。何もしていません。僕はカフェでネットをしていただけです。その、数学のサイトを見ていて……。ソールスベリーさんが声をかけてきたんです」

「彼、何て? 何て言ったの?」

「“シューニヤ”って言ったのか、って」


 飛鳥は渋々答えた。黙っていると、とって喰われそうな恐怖感に負けてしまったのだ。アーネストはいきなり声を立てて笑いだした。


「そっちかぁ! 心配して損しちゃった。ごめんね、きみ。しつこく訊いちゃって」


 そして手のひらを返したようにそれまでの緊迫を解いて、今度こそ本当にフレンドリーな瞳で笑いかけてくれた。


「ヘンリーは、お姫さまのこととなったら全身アンテナだな」

「お姫さま?」

「彼の宝物さ。ごめん、これ以上は言えない」


 アーネストは片目をつぶって人差し指を唇に当てる。


「きみ、彼の動画を見たことある?」

「はい、今日教えてもらって」

「あれのせいで、彼、けっこう嫌な思いをしていてね。ちょっと警戒しちゃったんだ。ヘンリーはただの生徒でロックスターとは違うんだ。きみの友達にも、あんまり騒がないで、って話してくれないかな」

 アーネストは真面目な面持ちで飛鳥を見つめる。

「分かりました。僕が言ってわかってくれるかは疑問だけれど。たぶん、アーネストさんから言われるほうが、みんなずっと聞くと思いますよ」

「どうして?」

「ヘンリーさんと同じくらい人気者だもの。――女子の間で」

 アーネストは一瞬怪訝な顔をしたけれど、ひたいに手を当ててクスクス笑った。

「それはいい。じゃ、言うだけでも言ってみるかな。だけどファーストネームにはミスターはつけないよ、トヅキくん」





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