真夏のカフェテラス3
黒いローブをさっそうと翻し足音も高く去っていく背中を、なすすべもなく見送って、飛鳥は嘆息していた。テーブルの上に置かれた豪華なティースタンドに、持てあますように視線をとめる。
お礼も言えなかったのだ。それに頂いていいかどうかもよく判らなかった。けれど、もったいないからいただくしかないか、と飛鳥は一番上の段の一口大のケーキに手を伸ばす。
「杜月君!」
同じ斡旋センターからサマースクールに参加している女の子たちが3人、息をはずませて走ってきている。
「今の人!」
1人が興奮した面持ちで甲高い声を上げる。
「もしかして伝説のキングススカラーじゃない!」
3人とも目を輝かせてお互いの顔を見合い、頷き合っている。
「はぁ? 何それ?」
「えー! 知らないのぉ?」
「私なんて、彼にひと目逢いたくてサマースクールに申し込んだのに! 画像なんか比べものにならないくらいカッコよかった! もう死んでもいい!」
一人は大げさに胸の前で手を組んで天を仰ぎ見ている。飛鳥には意味がわからない。怪訝な顔をしている彼に、比較的冷静な別の子が声をかける。
「彼、ヘンリー・ソールスベリーでしょ?」
飛鳥が頷くと、キャー、とまた歓声が上がった。
「このパソコン、ネットに繋がってる?」
また頷くと、彼女は手早く検索して動画サイトの画面を再生する。そこには、先ほどの彼がヴァイオリンを弾いている姿があるではないか。
「かっこいいでしょう! “嘆きの天使”、“パンドラの残した最後の希望”、今一番旬なアイドルが彼、ヘンリー・ソールスベリーなの!」
「アイドルなの、彼?」
飛鳥の間の抜けた質問に、その子は白い眼を向けながら大袈裟なため息とともに応えた。
「意味わかってる? ヘンリーは、エリオットの生徒。16歳。1000名以上いるエリオット生の中で70名しかいない選ばれたキングススカラーで、プロも絶賛するヴァイオリンの名手なの! そのうえ由緒正しい伯爵家の跡取りよ。本物のノーブルよ!」
「へぇー」と、飛鳥はまた間延びした返事をするだけだ。
僕と同い年……。とても見えないなぁ。
することも大人だし。
心のなかでだけ呟いて、飛鳥はヘンリーの残していったアフタヌーン・ティーセットを指さす。
「これ一緒に食べる? 僕には多すぎるし。その彼が奢ってくれたものなんだ」
キャー! とまた歓声が上がる。周囲の客が冷たい視線を投げかけていることにも気づいていないらしい。飛鳥は、周囲の目を気にして縮こまり、小声で訊いた。
「高校生でヴァイオリニストなの? その嘆きの何とかとか、パンドラがどうとかって?」
「彼の弾くこの『ツィゴイネルワイゼン』は、自然に涙が溢れてくるほどに切なくて、哀愁の漂う始まりなのに、曲が進むにつれて魂が浄化され、生きる希望に満ち溢れるような力強さで終わるのよ。それで、“嘆きの天使”とか“パンドラの残した最後の希望”て、絶賛されているの。そんなすごい演奏を、音楽学校の生徒でもなんでもない彼が弾いちゃうからすごいんじゃないの! わかった!?」
3人は、代わる代わる、半ば怒るように飛鳥に説明しながら、忙しなくスコーンやケーキをパクパクと食べている。
だが説明されたところで、クラシック音楽のことは飛鳥にはまったく解らない。とにかくすごくて有名な人らしい……。
それに飛鳥は彼が何者かということよりも、彼が残していってくれた情報の方が気にかかっていたのだ。
本当に“シューニヤ”の知り合いなのだろうか?
ヘンリーが去って行った赤いレンガ造りの建物の向こうに、飛鳥はもう一度視線を彷徨わせる。
そこに、彼がいるはずもないのに……。




