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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第六章
354/805

  混乱2

「別に――」

 アレンは、上目遣いに自分を見あげる後輩を一瞥すると、ぷいっと背を向け歩きだす。そして、寮までの道程を、一度も振り返ることなく歩き通した。フレデリックやクリスは、時折背後を気にしながらもアレンの表情を伺って、黙ったまま俯き加減に従っていた。気まずい沈黙に包まれたフィリップは唇を噛みしめたまま、一、二歩後ろを地面を踏み固めるようなぎこちなさで彼らに続いていた。


 重厚なオーク材でできた扉が、彼の頭上でばたんと閉められる。寮の入り口のわずかな階段を、フィリップは上らなかった。奥歯を噛みしめ、踵を返して走るようにしてその場を離れた。



「ちょっと可哀想じゃない?」

 重苦しい分厚い扉を肩越しに伺い、フレデリックが呟く。

 アレンは視線を逸らしたまま応えない。そのまま背を向けて階段に足をかける。だが急に思い直したように振り返ると、「談話室でチェスでもしようか?」とにっこりと笑みをみせた。





 談話室では、数人がビリヤードに興じ、窓際のソファーでは上級生たちが新聞や雑誌を読んでいる。

 アレンたちは彼らから離れ、漆喰の白と腰板のこげ茶に分けられた壁際のソファーに陣取った。フレデリックが八角形のサイドテーブルを運んでくる。クリスは、セルフサービスのお茶を淹れにいっている。アレンは、手にしたチェスボードをサイドテーブルにのせた。


 ソファーに座り駒を並べながら、フレデリックは部屋の反対側でお茶を淹れているクリスをちらりと見遣り、声を潜めた。

「やっぱり、さっきのは良くないよ」

 伏せていた顔をあげたアレンは、正面の相手を真っ直ぐに見つめる。

「きみの良くない癖だよ。それだから誤解される」

 そう言った彼は、心配そうに顔を曇らせている。



 入学当初、アレンは人づき合いの悪さとちょっとした反応の冷淡さで、レイシストだと散々に言われてつまはじきにされた時期があった。寮内では、特に東洋人の吉野や、アラブ人のサウードのことを苦手にしていたから誤解されたのもあったと思う。フレデリックのようにつき合いも長ければ、けして人種で嫌っているのではなく彼なりの理由があるのも判るのだが、いかんせん、その彼なりの理由というのが特殊すぎて第三者には理解しづらいのだ。



「――でも、ごめん。僕たちがちゃんと説明しないのも悪いんだ。米国人のきみが、彼らのことを知らなくても当然なのに」


 声を落としていちだんとアレンに顔を寄せ、どう言ったらいいのか、とフレデリックは視線を彷徨わせ、言葉を探りながら淡々と続けた。


「ルベリーニ一族は、フェレンツェの本家と、フランス、ドイツ、スイス、スペインにそれぞれの分家一族がいて、きみがお会いしたロレンツィオ・ルベリーニが、現在の宗主だよ。その宗主の下に各分家の当主がいて、今のフランス分家の当主が彼、ド・パルデューだよ。成人するまでは、ロレンツィオ・ルベリーニが後見人」


 わかる? と、フレデリックは小首を傾げて言を止める。話の途中でお茶を運んできたクリスも、各自にティーカップを渡すと神妙な顔で隣に座った。






 監督生執務室の深紅の絨毯の上に西日が差しこみ、窓を背に置かれた執務机と、その前にドーナツ型に並べられた幅広の会議机の黒々とした影を刻んでいる。


「ヨシノ!」

 その影に半ば隠れるように置かれた暗い灰緑のソファーに寝そべる吉野を、フィリップが苛立たしげに見おろしている。

「うるさい」

 目を閉じたまま眉根を寄せた吉野が呟いた返答に、フィリップの眉が釣りあがる。


「おい、パット、部外者を入れるなよ」

 吉野は気怠げに半身を起こし、背後の本棚で資料を探しているパトリックを振り返る。

「きみも部外者だよ」

 パトリックは、振り返ることなく返事をする。

「じゃ、その部外者にあんたらの仕事を手伝わすなよ」

 吉野は背もたれに両肘をのせ、その上に顎を重ねて、くすくすと笑った。

「きみは銀ボタンの義務を果たすべきだろう? それに、この部屋は、一般生徒の相談を受け、導くためにも使われるのだ。きみの意見は聞き入れられないな」

 パトリックは、資料を手に執務机に向かいながら冷淡な調子で応える。



 口をへの字に曲げ腹立たしげに吉野を見つめていたフィリップは、矛先を変えて机についたパトリックに駆け寄ると、「代表、ヨシノに意見してやって下さい!」と鼻にかかるフランス訛りの甘えた声でねだっている。


「アレンのことなら、俺は取りもちはしない」

 吉野は立ちあがり伸びをする。

「俺に甘えるなよ。お前の叔父貴だって、ヘンリーの信頼を得るまで相当苦労したって聞いているぞ。自力であいつの関心も買えないような無能は要らない」


 口惜しそうに唇を尖らせるフィリップを見くだすように、にやっと嗤い、ソファーの端にかけていたテールコートに袖を通し、ローブを羽織る。


「お前のその顔も飽きた。可愛い顔をしてねだりさえすれば全てが思い通りになる、なんて信じているほど馬鹿じゃないって証明してみせろよ、いい加減にさ」


 吉野は面倒くさそうに頭を振り、黙ったまま二人の会話を聞いているパトリックに視線を合わし、打って変わってにっこりする。


「詐欺の被害額の賠償請求は伝えておいたから、今週中に返事を持ってくるよ」

「また明日」


 パトリックは、にこりともせずに応え、訝しげに片眉をあげた吉野に、言い添えた。


「どうせ、また、ここに寝にくるんだろう?」


 吉野はにっと笑って軽く片手を挙げ、執務室を後にする。



「きみにあんな口をきける奴が、この学校にいるとはね」


 パトリックは頬杖をついて呆れたようにフィリップを見あげる。そして、宵闇の瞳を深く燃え立たせ、屈辱に顔を歪めて拳を握りしめている彼の姿に、同情するように深く吐息をついていた。






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