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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第六章
346/805

  家出2

 ジャックの背後から現れたパトリック・ウェザーに、皆、一様に身を固くして視線を伏せていた。吉野一人がにっと笑って立ちあがる。

「俺に用?」

 吉野は頷くパトリックの傍に歩みより、親し気に微笑みかけながら重ねて訊ねる。

「ここでいいの? それとも場所を変える?」

 もごもごと低い声で喋るパトリックに頷いて、二人は皆から離れた出入り口寄りの席に着く。




 残されたテーブルに集うクリスたちは、チラチラとそんな二人に目を遣りながら声を潜めて囁き合っている。


「あの二人、どうなっているの?」

 クリスが怪訝そうに、アレンとフレデリックの顔を交互に見つめる。だが二人とも小さく首を振るばかりだ。そんな中で、サウードが静かな声で、「ヨシノが監督生代表のパトリック・ウェザーに協力を求めたんだよ」と、声を潜めて説明した。



 今年度の監督生システムは、例年とは勝手が違う。通常は成績上位者二十名の中から選ばれる監督生代表は、そのほとんどの構成メンバーであるキングススカラーのカレッジ寮寮長が兼任する。だが今年度は、寮長は、前寮長の指名によりケネス・アボットが、監督生代表は投票によりパトリック・ウェザーが選ばれている。長期入院で留年を余儀なくされ奨学生を降ろされたのだが、翌年には優秀な成績でカレッジ寮に戻ってきたケネスは、今年度の生徒総監になることが決定していたからだ。規則で監督生代表を兼任することができなかったのだ。

 だが、生徒会や各寮の寮長を処罰する権限は監督生代表にある。


「いつから、そんな話になっていたの?」

「さぁ? 僕が聞いたのは本当に最近だから……」


 冷めたアレンの口調に、サウードは無表情なまま、曖昧に言葉を濁す。


 どんなに言いつくろったところで、吉野がアレンを危険を伴う囮に使った事実は誤魔化しようがない。いくらGPSをつけ、極秘で護衛をつけていたとはいえ、命の危険に晒され怖ろしい思いをしたのだ。アレンが怒るのも当然だ、とサウードは内心思っていたのだ。だからこそよけいに、今回の詳しい経緯を彼に話すのははばかられた。



「僕も兄のように合気道を習おうかな」

 だがアレンは特に怒っているふうでもなく、いたって真面目な顔をして話題を変えた。

「自分の身くらい守れないと、ヨシノの傍にはいられない、てことだよね? 家にいた頃の毎日のカリキュラムには護身術もあったんだけど、ちっとも真面目にしなかったから――。今頃になって後悔だよ」


 クスクス笑うアレンに、僕もそう、と、妙に共感した様子でクリスが頷く。ふっと視線を感じて、アレンは口許をほころばせたまま吉野のテーブルに目線を向けると、パトリックが気まずそうに目を逸らせた。





「元気そうだ」

 あらぬ方を向いて、ほっとしたように呟くパトリックに、「あの程度の事で病むような、やわな奴じゃないよ」と吉野はにっと笑う。

「あいつは、俺が知っている誰よりもしなやかで、強いよ。――こっちに呼ぼうか?」

 パトリックは小さく首を振った。



「――でも、十五名程度の処分ですんだのなら良かったな」

 間をおいて、吉野は声を低めて囁くように話を戻した。

「セドリックのお陰だな。生徒会を降りた時に、内部をかなり掃除していってくれたから。ガラハッド寮さえ綺麗にできれば、組織的なルートは切れるはずだよ」

「きみ、あの頃から知っていたのか?」

「うん。臭いでね。……ベンくらいだよ、気がつかなかったのは」

 吉野は口に指を当てて、クスリと笑う。

「あの連中の中にいて、塵ほども染まらないんだもんな。ある意味すごい奴だよ、ベンは」


 眉根をよせきつい視線を向けるパトリックに、吉野は澄んだ鳶色の瞳を細めて微笑みで返した。


「馬鹿にしているんじゃないよ。周囲に流されないベンも、流されても、自分でその流れを断ち切って立ちあがれるセドリックも、本当にすごいなって思ったんだ。素直にカッコイイな、って。さすがエリオットのヒーローだよ。――でも、」


 吉野は身体の向きを変え椅子に横座りして背もたれに肘をかけ、皆のいるテーブルを振り返る。そしてもう一度、顔だけパトリックに向けると、

「あいつに許しを求めるなよ」と、静かに呟いた。


「あいつがセドリックを殺してやりたいって言うなら、俺、喜んで協力するから」

 吉野は立ちあがると、「もう、いいだろ?」と返事を待つことなく、すいっと仲間の待つテーブルに戻っていった。一人残されたパトリックは、彼らから顔を背けるように横を向き、奥歯を噛みしめ、そして諦めたように嘆息していた。





「帰るか」

 皿に残っていた冷めきったフィッシュ・アンド・チップスを律儀に食べ切ると、吉野は皆の顔を見廻した。フレデリックやクリスは、いまだ考え事でもしているかのようにテーブルに着いているパトリックを気にしながら頷く。アレンとサウードが、椅子から立ちあがった。



「おーい、坊主! 客だぞ!」

 階下からのジャックのだみ声に苦笑しながら吉野は首を傾げる。

「またかよ――。次は誰だと思う?」

 悪戯っ子のような瞳を皆に向けると、「ド・パルデュ……」とアレンが嫌そうに呟き、「うーん……。生徒指導の先生?」とクリスが応じる。

「ラザフォード卿の使いの方かな。今日のこと連絡したから」

 フレデリックは思いだしたように言い、「きみのお兄さん」とサウードは自分のスマートフォン画面を向けながら、吉野を見つめた。


「この界隈を警備していた近衛から連絡があった。本当に関係者かって」


 向けられた画像を確かめもせず部屋を飛びだしていく吉野を、呆気に取られて見送りながら、「イスハ―クに逃げろ、て言い損ねた」とサウードは首を傾げて吐息を漏らす。


「ヨシノ、絶対、飛んだね。階段……」

「彼、下にいたの?」


 アレンが心配そうに出入り口に目をやった。パトリックが踊り場から階下を覗きこんでいる。皆、釣られた様に一斉に駆けよると彼に続いた。






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