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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第六章
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  迷路10

 涙に濡れた目を瞬かせて、フレデリックは不思議そうに振り返った。


「お前の兄貴はな、生徒会内に蔓延っていたドラッグを一掃するために闘っていたんだ。そのためにヘンリーの動画で資金を作り、生徒会選挙の投票操作をしかけて、悪しき慣習を断ち切ろうとしていたんだ。直接にお前の兄貴をボコって死に至らしめたのは当時の生徒会の奴らだろうけど、大元はこいつだ」


 吉野は、目の前の男を顎でしゃくる。


「『そんなの、友人じゃない』ヘンリーはそう言ったんだろ? この言葉には続きがあったんだ。『きみは、僕を見くびっているのかい? そんな危険なことに一人で立ち向かうなんて。相談してくれれば、僕はいくらでもきみの力になったのに。それが、友人ってものだろ?』って。嘘じゃないよ。ヘンリー自身に聞いたんだ。お前の兄貴が死んで、後悔して、苦しんでいたのはヘンリーも同じだったんだ」


 涙がとめどなく溢れていた。何か言わなければ――、と口を開いたけれど声にならなかった。フレデリックは、その場にくずおれて声をあげて泣いた。その震える背中からそっと腕が廻され抱きすくめられた。白く細い手首が胸元で交差される。激しく嗚咽する度に、その腕に力が籠められる。背中から、肩にのせられ頬に触れる柔らかな感触から、じんわりと伝わる熱で、フレデリックの昂っていた心にもゆっくりと凪が訪れる。「ありがとう――」囁くような声で、やっと、それだけ言えた。


「僕も、殴っていいかな?」

 マクドウェルの頭上で憎々し気な声が響く。

「セディの(かたき)だ」


 言うよりも早く、パトリックはマクドウェルの胸倉を掴み殴り飛ばしていた。吉野は顔を背け、眉をしかめていた。



「さぁ、次はこっちだ」


 吉野は小さく溜息をつくと、出入り口で陣を張るように並び、呆然と立ち尽くしている二人の生徒会役員を見張っている寮長連中に歩み寄り、そのうちの一人、ガラハッド寮の寮長の前で立ち止まった。


「逃げ損ねたな、マシュー・モーガン」


 問われたマシューは、俯いて顔を背けたまま応えなかった。


「パトリック、俺、もういいだろう? 後はお前らで、こいつら三人締めあげて関係者を吐かせろよ。証券詐欺の被害総額が出たら、俺んとこ連絡入れて。金は、取り返すからさ」


 吉野は大声で、パトリックにこれからの指示を告げる。


 泣き止んで立ちあがり、だがいまだ肩で大きく呼吸しているフレデリックの背中を、アレンは労わるように擦っている。


「殴らなくていいの?」


 その手前で足を止め、吉野は優しく声をかけた。フレデリックは、無理に作ったような笑みを浮かべて首を横に振る。


「それだけ? 僕にはなんの説明もないの?」


 アレンが、セレストブルーの瞳に怒気を含ませて面をあげ、吉野を睨んでいる。


「ごめん。怖い思いをさせて――」


 すっとフレデリックから離れたアレンは吉野の前に立つと、激しく平手を打ち下ろした。パシッという音とともに、みるみる吉野の頬が赤く染まっていく。


「それだけ? フレデリックに怪我までさせておいて! ――言ってくれていれば、こんなことにはならなかったのに! 僕はいくらでも協力したのに!」


 目に涙を滲ませてきつく詰るアレンに、吉野は困ったように唇を尖らせる。


「だってお前、嘘つくの下手じゃん……」


 またも右手を振りあげるアレンに、吉野は慌てて飛び退いた。


「うわっ、やめろ! お前、細いくせに腕力だけは人並み以上なんだからな! 解ってんのか!」


 背後から聞こえたクスクス笑いに、アレンは手をひっこめて腹立たしそうに声の主を睨みつける。


「そりゃ、怒って当然ですよ。この男をおびき出すための囮に使われたんですものねぇ」


 フィリップが、唇の前に人差し指を立てて、猫のように目を細めて笑っている。


「ヨシノ、僕を嵌めたの?」


 アレンは疑わしそうな視線を吉野に向けて、呟くような小さな声で訊いた。


「違う! 誤解だよ、誤解! だいたいさぁ、俺の傍にいたらこういう事になるのは解ってたんだよ。だから、お前ん家から帰ってきたら、つごうよく、俺、孤立できてて安心してたのにさぁ。お前とベンがよけいなお節介焼いて、下手なかばい建てしてくれるから……、」

「よけいなお節介? 下手なかばい建て?」


 アレンはまたもや拳を握りしめる。


「違う! 待て、殴るなよ! 落ちつけ、アレン!」


 両手を前に突きだして慌てふためく吉野の姿に、寮長連中の中から失笑が漏れる。いつも取り澄まして高みから見おろしているような杜月吉野のこんな姿は、そうそう拝めるものじゃない。


「だからな、こいつの雇い主はな、スタンレー銀行でさぁ、俺にちょっかいかけてくるのは解ってたし、」


「スタンレーって? まさか、あの米国の投資銀行?」

 寮長の一人が隣に小声で訊ねる。

「おそらくは」

 問われた方も、自信なげに囁き返している。


「あいつら、いつも、ターゲットの身内を危険な目にさらして脅しをかけてくるんだ。だから狙われるとしたらお前だろうな、と思って、」

「どうして僕?」


 アレンは厳しい表情のまま、小首を傾げる。


「消去法だよ。サウードはまず有り得ない。あいつに手を出したら国際問題だ。クリスもない。シティと全面戦争になる。あとは、お前か、フレデリックだ。お前、俺の恋人だって噂になっていたから、インパクトとしてはお前だろうなって――」


 悔しそうに唇を噛むアレンに、吉野はひたすら謝り倒している。


「ごめん、本当にごめん。お前は絶対に安全だって解ってたからさぁ……。だから、これはチャンスだ、って思ったんだよ」


 吉野は急に声のトーンを変え、静かに言い添えた。


「エリオットは、警察が安易に踏みこめない代わりに、犯罪組織もたやすくは入りこめない英国一安全な学校だ。だから俺をいたぶって脅迫しようと思ったら、エリオット出身のこいつに渡りをつけるしかないんだ。あいつら、お前を誘拐するフリをしてみせたけれど俺が動じなかったから、案の定こいつを使ってきた。な、ここまできたらさ、フランクの敵を討ってやりたくなったんだよ」


 吉野は、マクドウェルに向かって顎をしゃくる。アレンは、訳が判らない、といった風情で、今度は頼りない声で訊ねた。


「どうして僕は絶対安全だって思っていたの?」

「こいつ」


 吉野はフィリップを指し示す。だがアレンから怪訝な視線を返され、吉野は目を見開いてアレンを見据えた。


「お前、まさか、本当に知らなかったの?」

 素っ頓狂な声を挙げ、「お前さぁ、ヘンリーの弟だろ? 貴族名鑑くらい目を通せよ!」と呆れたように吐息を漏らす。


「ド・パルデュは、」

「ルベリーニ、フランス分家当主、フィリップ・ド・パルデュは、あなたの(しもべ)です」


 フィリップは、優雅にアレンの傍に片膝ついてその手を取り、唇を寄せる。


「何する気? 気持ち悪い!」


 すかさずアレンはその手を引き抜いて後退る。吉野は眉を寄せてアレンを睨めつけ、「接吻を受けろ。ヘンリーはそうしたぞ」と低い声で告げた。アレンはふくれっ面のまま、顔を背け、それでも嫌々ながら右手を差しだした。

 その手の甲に、今度こそフィリップは接吻を捧げ、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。おおっ! と、背後からどよめきが起き、拍手が打ち鳴らされる。


「ルベリーニの接吻に立ち会えるなんてね――」


 周囲から漏れ聞こえる声に、アレンは不安そうに眉根を寄せている。


「世代交代だ」

 吉野はほっとしたように、にっと笑った。








「チェックメイト」

 ヘンリーの言葉に、ロレンツォは断末魔の声を漏らし、大袈裟に両手を挙げた。

「いいのか? フランス・ルベリーニを弟に渡して。接吻を受けるのは、お前のはずだったろう?」


 もうロレンツォは、目の前のチェス盤にはなんの未練もないかのように、手の内の駒を弄んでいる。


「どうだっていいよ。こっちの方が面白い。みての通り、アレンはヨシノの言いなりだよ。さぁ、彼はフランスを手に入れてどうするだろうね? ガストンのシティに、アラブ最大の政府系ファンド、それにルベリーニが加わったとなると、米国に戦争でもしかけるかな?」


 ソファーに深く身を沈めて、ヘンリーはクスクスと笑った。だが、一瞬にしてその笑顔が凍りつく。その視線の先にある二階の手摺から、飛鳥が真っ青な顔で見おろしていたのだ。



「吉野になにをしたの? きみも吉野が欲しいの? 誰もがあの子を欲しがるみたいに……、吉野のことを金の成る木だと思っているの? きみも、あいつらと同じだったの?」


 詰る飛鳥の声に、ヘンリーはその場に立ちすくみ、眉根を寄せて言い訳するように首を振る。


「違う、アスカ、」

「僕は、きみの言うことを、ちゃんときいてきただろう? 言われた通りにしてきただろう? きみは、まだ満足できない? 吉野になにをさせる気なんだ? いったい、きみは、どこまで貪欲なんだ!」


 言い捨てて踵を返し走り去る飛鳥の背中を、ヘンリーは、暗澹たる思いで、成すすべもなく見送っていた。






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