挑戦3
コズモスの奴らは、飛鳥のことを舐めきってやがる――。
ヘンリーの言う意味が良く判った。
リック・カールトンもTSのポスターも口実にすぎない、飛鳥の名代としてオープ二ング・セレモニーに参加して欲しいと、ケンブリッジの館で、珍しく殊勝な様子のヘンリーに、吉野は頭を下げられたのだ。
米国では、『杜月』とコズモスのバランスが上手く取れていないから、と。
『杜月』とコズモスは対等だ。『杜月』の技術がなければTSは成り立たない。だが、米国での『杜月』の認識は、倒産しかけていた三流どころの、買収吸収した部品会社でしかない。
――傲慢で身の丈を解っていない連中に、誰が主人かきちんと教えておかないとね。
ヘンリーは、目を細め薄く笑っていた。
空港に迎えにきた、米国支部の連中の慇懃な態度。アレンと吉野に対するあからさまな扱いの差。同じエリート意識の塊にしても、紳士然としたオブラートに包んである分エリオット校生の方がマシに思える。
そしてあの技術屋連中の舐めきった目つき――。
ヘンリーの飛鳥を表に出そうとしない方針に、吉野は心底感謝した。
まぁ、うちの親父じゃ荷が重いよなぁ……。
ちょうど二年前のこの時期に行われた、『杜月』とコズモスの合併会見を思いだし、吉野はやるせないため息を漏らす。当初飛鳥を代表責任者に据えるはずだったアーカシャーHDも、結局は父親に役職を引き受けてもらい、世界中を飛び廻ってもらっている。
あの、のんびりおっとりの親父にしちゃ良く頑張ってくれているよ……、と苦笑いしながら思索していたので、吉野はアレンに呼ばれていることに気づかなかった。
「ヨシノ!」
ふくれっ面をして唇を尖らせているアレンに、やっと目を向け「何?」と返す。
「何を考えているの?」
アレンは不安や怯えがすぐ瞳に出る。吉野が感じている不快感を敏感に感じ取って、吉野以上に傷つくのだ。自分が差別主義者といわれていたのに、そんな差別的な扱いに過敏なほど反応する。
「お前の瞳な、心配事があると紫の色合いが深くなるんだ。知ってた?」
吉野はにっこりして言った。
「ヘンリー、あれでいいのか?」
今は、ディナーの席上なのだ――。
ヘンリーと米国支部店長のサリー・フィールドとの会話がふっと途絶えたところで、吉野はさすがに思考を中断させ、ヘンリーに意識を戻す。
「完璧。きみって根っからのポーカープレーヤーなんだね。きみと同じテーブルに着くのは心してかからなきゃ、ってつくづく思うよ」
「テーブルって……。今も同じテーブルだよ」
吉野は、にっと笑う。
「そして、まだ降りていないよ、俺。あんた、まだ何か俺に望むことがある?」
「きみの好きにするといい」
ヘンリーは、にこやかに答えた。
訳の分からない会話にアレンはそっと目を伏せる。サリー・フィールドは、そんなアレンに一生懸命に話しかけている。だが、アレンは聞こえないフリをしてずっと無視しているのだ。
「アレン、」
さすがにヘンリーが眉根をしかめてたしなめる。
「失礼、東部訛りは聞き取れなくて」
ぷいっと、窓の外に顔を向けたアレンに、サリーは残念そうに苦笑して肩をすくめる。眼前には百万ドルといわれる夜景が広がっているのに、完全にヘソを曲げてアレンは不貞腐れている。吉野は、自分に向けられた背中にかかる、彼の金髪の束を引っ張った。
「俺さ、デザートいいや。お前、俺の分も食う?」
しかめっ面でくるりと振り返ったアレンは、吉野と目を合わせたとたんに、ふんわりと微笑む。
吉野はいつもデザートは皆とは違うものを注文して、後から、アレンやクリスに、食べる? と訊ねるのだ。きっと今日もそうすると思って、アレンは自分の分は急いで食べておいたのだった。そして、アレンが怒った顔をすると、必ず食べ物で釣ろうとしてくるのも彼の思惑通りだ。
アレンはすっかり機嫌を直して、きちんと椅子に座り直した。
「メシ食わないくせに、菓子ばっかだもんな、お前は」
吉野は呆れ顔で笑い、それでも自分の皿をアレンの前に滑らせた。
「毛並みのいい猫は、野良犬になついているみたいね」
クスクスと、サリーは赤い唇に微笑をたたえヘンリーの耳許で囁いた。
アレンの、フォークを持つ手が止まった。吉野はアレン側の手の指先で、真っ白なクロスのかかるテーブル上を、コッコッ、コッコッ、とリズミカルに叩いた。いかにも、退屈しているかのように。
い・ち・い・ち・お・こ・る・な
素知らぬ顔をして窓の外を眺める吉野の横顔に、アレンはちらりと目を遣った。そして小さく微笑して、眼前の皿の林檎とウォールナッツのナポレオン・パイにナイフを入れる。食べながら、吉野の靴に自分の靴先を軽く小突き合わせる。
こ・の・お・ん・な・き・ら・い
吉野は口に含んだコーヒーを思わず吹きだしそうになる。慌てて手で覆って、くっくっと肩を震わせて笑う。
気持ちは解る。こんな舐めるような目つきで視られていたのでは、アレンだって堪らないだろう。
三十代? もう少し若いか……。
同じ年頃の女の子のみせる、純粋な憧れや思慕とはまるで違う。何なんだろう、この不快さは――。そう、毛並みのいい猫、ペットだとか、さっきのケーキだとかを見るような、愛玩物を見るような目つき。こっちの人格なんてまるで考えてもいないような――。
吉野は笑いを噛み殺しながら、ヘンリーと明日の予定について話し始めたサリーを洞察していた。
まぁ、こいつが雇っているのだから、それなりに優秀なのだろう。バドリだって全米でも屈指の工科大学を卒業したエリート中のエリートだ。即戦力として十分な腕もあった。おそらく、この女だって――。
栗色の髪をきっちりと、一筋たりとも乱すことなく後頭部でひっ詰め、一つ一つのパーツを強調した化粧をして、光沢のある黒の鎧のようなビジネススーツを着たサリー・フィールドは、まるで闘う女戦士だ。その女戦士が、時折、会話の相手から目を逸らし、アレンを盗み見る。
ヘンリーにのぼせない女、てのも、珍しいのかもしれない。ふと、この女の勝因はそこか、と吉野は思い至る。
ヘンリーは、アレンに何をさせたいのか――。なぜ、アレンがここに必要なのか、それだけが判らない。
思考の中に深く潜りながら、吉野は隣に座るアレンの向こう側に聳える摩天楼と、金粉を散らしたようにどこまでも続く光の粒の広がりを、まるで、一つ一つ数えてでもいるかのように、じっと見つめていた。




