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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第六章
324/805

  上陸6

 真の革命家が下層階級から生まれることはない。ガンディーしかり、レーニンしかりさ。

 自らが支配階級だからこそ、他からの支配を命を賭してまで拒み切ることができたんだ。民衆は旧支配者から新支配者に乗り換えるだけさ。新体制が、少しでも、自分たちを楽にしてくれると信じてね。


 人間てね、支配されたがる生き物なんだよ。本物の教養のある者だけが、己の存在の矛盾に気づくんだ。知性も教養も持ち合わせない連中は、自らが支配されていることにすら気づかない。

 でも、僕は知ってしまった。知性や教養があったところで、この事実に変わりはないってことを。それどころか、知性も教養もあるからこそ、自分よりもさらに強いものに支配されたがるってことにね。教会に通うよりも、神に見立てた身近な人間に跪く方が、こころの安定を得られるのさ。



 ヘンリーは、そう言って嗤った。さも、つまらなそうに――。





 あいつは、ここで何をやっていたのだろう? 


 上級生になっても、監督生にも生徒会役員にもならなかったのに、誰よりも絶対的な指導力と影響力を持っていた。そして、その全てを投げ捨てて出ていった。何がしたかったんだ? 何に失望したんだ? あいつは、アレンをいったいどうしたいんだ?


 情報が少なすぎる――。


 吉野は、ぼんやりと眼前に広がる常緑の芝生を眺めたまま、思い巡らしているのだ。





「ヨシノ! そんなところにいないで上がってこない?」


 頭上を見あげると、二階の窓からクリスとアレンが笑って見下ろしている。


「いや、いいよ。ここ、陽だまりが暖かくて気持ちがいいんだ」

 吉野は地面に座り込み、赤煉瓦の壁にもたれたまま顔だけ動かし返事をする。


「終わるまで、待っていてよ!」

「ああ」

 軽く手を振ると、上の二人も大きく手を振り返して頭を引っ込めた。




「ヨシノ、この間の続きを教えてくれる?」

 目を開けると、今度はサウードが眼前に立ち、覗きこんでいる。

「なんだっけ?」

 吉野の返事に呆れたように肩をすくめ、サウードは隣に腰を下ろす。

「ヘンリー卿の話だよ」

「ああ……」

 吉野は、コの字型に配置された、古めかしい音楽棟の中庭のだだっ広い芝生に視線を漂わせた。


「例えばな、アレンのポスターが出てから、ウェザーはアレンに護衛をつけただろ? 俺の時もだ。ベンが同じようにしただろ? ヘンリーからなんだよ。あいつが自分の取り巻き連中を、他寮生の嫌がらせからの防御壁に使ったんだ。そこからが伝統。一生徒に何かあったら全寮生で結束して守るべきだってさ」


 でも、アレンが一学年生の時、初め、チャールズはそうしなかった。俺一人に援護を求め、寮としての何の対策も講じなかった。あの、チャールズが――。


「それから、下級生の外出に上級生がつき添うようにしたのも、ヘンリーで――。それで、街でカツアゲに遭う回数も激減したって……」


 何かが、おかしい――。

 話しながら、吉野は左手の爪を噛む。


「ヨシノ」

 ふっと視線を向けた吉野の手を、サウードが仕方がないな、と軽く押さえている。

「その癖、久しぶりだね。――何か、悩んでいる?」

「いや」

 サウードは心配そうに吉野をじっと見据えている。


「えっと、なんだっけ? イスハ―クの噂か……。パトリックが俺に対してやっただろう? あれと同じだよ。噂の流し方も決まったルートがあるんだよ。それもヘンリーが作った。監督生と生徒会は一見仲が悪いだろ? でも、その実そうじゃないんだ。生徒会は監督生の傀儡でさ、監督生のほとんどがカレッジ寮生だ。ヘンリーの作った規律(ルール)が、あいつ自身がうちの寮の規範で、監督生がそれを全校生徒に広めているんだ」


 吉野は、悪戯っぽく笑って肩をすくめる。


「だからさ、俺も試してみたんだ。どの程度、有効かなって。だって、ああもアレンにびったりくっついていられちゃ、話もできないだろ?」

「それで、イスハ―クに目をつけられたら不敬罪?」


 サウードはちらっと、離れて立つイスハ―クの不愛想な顔を眺めると、肩を震わせて笑った。


「俺なんか、軽く百回は死んでいるな」


 首をすくめてみせる吉野と一頻り笑いあった後で、サウードは小首を傾げて訊ねた。


「でもきみの言う通りに、パトリック・ウェザーがヘンリー卿の意向で動いているとして、どうしてきみを放校処分にしようとしたのかな? そんな事をヘンリー卿は望まないだろ?」

「それが、ひとの心の不確定性ってやつだよ」


 吉野は面白そうに、にやっと笑う。


「あいつも、まさか杜月飛鳥の弟に、子飼いが手を出すなんて思わなかったんだろ。俺だって信じられなかったもん」

 苦笑するサウードに、「でも、なんか変なんだよ。その不確定性を加味してみても計算が合わないんだ。何かがまだ足りない……」吉野は、唇を突きだして、思いっきり渋面を作ってみせるのだ。サウードはサウードで、どう応えていいのか判らないまま、ただ黙ってそんな吉野を見つめていた。



「ヨシノ! なんて顔しているんだよ」

 頭上から落ちて来たクスクスと笑う声に、吉野もにっこりと微笑み返した。


「二人とも、お疲れ。今年もまた、パガニーニと、サラサーテ?」

「僕は、リストを弾くよ」


 柔らかく微笑むアレンを、吉野は眼を眇めて見あげる。逆光が、その金の髪を炎のように輝かせている。


 不確定要素だ――。


「どうせ超絶技巧練習曲第六番か、第三番だろ」

「当たり。今年は、第三番だ」

「俺が吹いたやつだ」

「負けないよ」


 アレンは、陽だまりの中で声を立てて笑った。クリスがその脇を肘で小突いて、じゃれついている。


「今年のツィゴイネルワイゼンは僕のものだよ!」




 神様はサイコロ遊びをなさるんだよ。ヘンリー、賽を振るのはお前じゃない。たとえここがお前の盤上でも、そうそう好きにさせるかよ――。



 そんな吉野の鬱屈とした想いとは裏腹に、三方を壁に囲まれた中庭には、明るい笑い声の残響が空気を震わせて響いていた。








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