石造りの壁の中6
「どうだった?」
アーネストは消灯前の見回りを終えて自室に帰ってくるなり、膝にノートパソコンを載せてキーボードを叩いているヘンリーに声をかけた。一般の寮生は十時に消灯だが、寮長には制限は設けられていない。
その為、ヘンリーは、消灯後はアーネストの部屋で勉強を続けるのが常になっていた。
三学年にして、学習内容は最終学年レベルのヘンリーの我儘を、寮監も見て見ぬふりをしてくれていた。
「ん? 何が?」
まともに聞く気もないのか、ヘンリーは生返事でパソコンのモニターを追いかけている。
「エドガー・ウイズリーさ」
「ああ……。噂通りだな」
ヘンリーは顔も上げずに答える。
アーネストは深くため息を付いて、
「机を使っていいよ……」
と、ヘンリーのパソコンを取り上げて机の上に置いた。
「お茶でも飲む?」
「もうすぐ終わる」
ヘンリーは場所を移動して作業を続けた。
こうなると、だめだ……。
アーネストは、諦めて電気ポットで湯を沸かし、紅茶の準備を始めた。
「で、何だって?」
ヘンリーがこちらを向いたのは、それから数時間は経ってからだった。
ソファーに座ったまま寝掛かっていたアーネストは、眠そうに目を擦った。
「何だ? 疲れているのか? 寝ていていいよ」
「いや、聞きたい。エドガー・ウイズリー、あの場所に来たんでしょ?」
「ああ。キャンベル先生も、手回しが良くなってきたな。新入生を使うなんて」
「ちゃんと、きみの好みを押さえているしね」
「取りあえず、僕のヴァイオリンにウイズリーがピアノ伴奏してくれるらしい。音楽のキングススカラーが伴奏じゃ通らないだろうから、おそらく別で、ソロヴァイオリンを弾かせる。オケは最上級生が首席奏者ってところでおさまるんじゃないか。ウイズリーは、なかなか気が強くて負けず嫌いだな。僕に張り合ってきたよ」
ヘンリーは、面倒くさそうに報告する。
「それで、きみは出てくれるの?」
「先生次第だな」
「今の時点で、オッズは五倍で出ないが優勢だよ。それとは別で、生徒会はきみが出るんだったらチャリティーチケットの値段を引き上げるって言っているよ」
「どこまで僕で稼ぐつもりなんだ? 前にデヴィッドにやった入試予想問題だって、相当稼いだんだろう? あれ、まだ使っているのかい?」
「コピーで二百ポンド。新しいのを作ってくれたら、軽く十倍の値段がつくよ。いまだに人気衰えずだね」
ヘンリーは顔をしかめて、蔑むような口調で言った。
「ここのやつら、みんな、おかしいんじゃないのか? せいぜい、ウイズリーが先生と上手く交渉してくれるように祈っておくといい」
「いつ決まるんだろうね?」
「ウイズリーに聞いてくれ。とにかく僕は、キャンベル先生と顔を合わせたくないんだ」
ヘンリーは嫌悪感を隠すこともなく、吐き捨てるように言った。
「相変わらずだねぇ」
アーネストは、ソファーに頭をもたれさせて薄く笑う。
「むこうも相変わらずだった。べたべた触りやがって」
入学当初よりはマシになったものの、もう少し人あしらいが上手くならないものか。そうやって露骨に拒絶するから、余計に惹きつけられるんだよ……。
アーネストは、また、パソコンに向き直ったヘンリーの背中を眺めながら憂慮し、顔を曇らせる。
「お茶、入れようか? どれくらいかかる?」
「朝までには終わらせたい。コーヒーがいい」
ヘンリーは振り返りもしない。
「ヘンリー、勉強も大事だけれど、この学校でそれ以上に大切なのは人間関係、みんな人脈を作りにきているんだ」
「判っている」
「だったら、もう少しみんなに協力してくれてもいいんじゃないの?」
「協力するも何も、僕をネタにしていつも勝手に盛り上がっているじゃないか? 賭けでもなんでも好きにすればいい。僕は、遊んでいる暇なんてないんだ」
「きみを見ていると、なんでそんなに必死なのかわからないよ。成績優秀、今更詰め込む必要なんてないじゃないか」
アーネストは、今までずっと疑問に思っていた問いをぶつけてみた。ヘンリーは学年を重ねるごとに睡眠を削り、食事時間まで削って勉学に打ち込む。昔はこんな子じゃなかったはずだ。
「僕は凡人だからな。少しでも、サラに近付きたいんだ。同じ景色を見ることはできなくても、ほんの片鱗でもいいから、サラの見えている世界が知りたい」
ヘンリーは、やっと画面から顔を逸らせて振り返り、アーネストを真っすぐに見つめた。
「きみのお姫さまは、そんなに遠いの?」
「僕なんかより、ずっと未来にいるんだ」
義妹の話をする時だけ、きみは本当に自慢げな、誇らしそうな顔をする……。
ヘンリーは、再びモニターに視線を戻した。
きみは、僕を見ない。
常に、目の前を擦り抜けて、真っすぐに未来を見つめている。
みんな、きみのその一途な姿勢に魅了される。
きみが、義妹を思うように、僕も、おそらくみんなも、きみの見ている世界を知りたいし、その世界を共有したいんだと、どうして気付いてくれないんだろう?
前を向いて進むだけでは、誰かと視線が絡み合うこともない。永遠の片想いだ。
この学校内では誰よりもきみの近くにいるのに、寂寥感が水紋のように広がってきて、時々溺れそうに息苦しくなる……。
アーネストは、モニターに向かうヘンリーを背後から抱きしめ、すっと離れて言った。
「OK、ヘンリー。きみが彼女に追いつけるように、もう邪魔はしないよ」
『差し伸べる者』アーネスト・ラザフォード 九藤朋さま画




