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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第五章
300/805

  記憶6

 トントンと足取りも軽く階段を駆けあがり、パブの三階にある部屋に鍵を差しこみドアを開けた。案の定、中には吉野がいて制服のままぐっすりと眠っている。


「おい、起きろよ」

 蘇芳はベッド脇の椅子にまたがって背もたれに両腕をかけ、顔をのせて吉野を覗きこむ。

「おう、ずいぶん遅かったな」

 すぐに目を開け、吉野は半身を起こして腕時計に目をやると、「やべぇ、もうこんな時間かよ」と舌打ちして顔をしかめる。


「メシは?」

「お前のダチと、学校のカフェテラスで食ってきた」

「どいつ? アレン?」

「うん、アレンと、クリスとフレディ」

「フレディ? ……ああ、フレデリックか……。黒髪の方? 同じ寮にもう一人フレッドがいるからさ、皆、あいつのことフレディって呼ばないんだよ」


 吉野は立ち上がって「下で何か食い物もらってくる。お前、なんかいる?」と大きく伸びをする。

「いや、いい。たらふく食ってきた。あ、じゃ、コーヒー頼むわ」

「了解」


 はみ出たシャツを片手で無造作に黒のピンストライプのスラックスにつっこみながら、吉野はドアノブに手を伸ばす。そんな吉野を蘇芳はクスクス笑い、「お前のそのだらしない恰好、父さんに見せてやりたいよ」と揶揄った。


「やめてくれよ――。師範のことはマジに尊敬しているんだぞ」

「この猫かぶり!」


 ケラケラと響く笑い声を無視して、吉野はドアをバタンと閉めた。





「お前のダチ、いい奴ばっかだな」

「だろ?」


 じきに戻ってきた狭い部屋の小さな書き物机に、カレーや、サンドイッチを目いっぱいのせたトレーを置き、吉野は順繰りに頬張りながら頷いている。今度は蘇芳がベッドヘッドにもたれ、足を投げだしてゆっくりとコーヒーを飲んでいる。


「日本の学校とどっちがいい?」

「学校なんてどこも変わんねえよ」

「こんな設備が整っていて何でもできる学校なんて、日本にはないじゃん。学校案内してもらって、マジびっくりした。ジムまであるんだもんな!」

「弓道場はない」

「作れば?」


 蘇芳はこともなげに言う。


「前みたいに稼いでさ。これだけ広い敷地があるんだから、寄付して作って下さいって言えば、やってくれるんじゃないの? 俺、父さんに頼んでさ、イギリスの弓道連盟で先生してくれそうな人、探してやるよ」


 無邪気に笑う蘇芳に吉野も目を伏せたまま、くっくっと釣られて笑い出す。


「いいな、それ」

「もうポーカーはやんないの?」


 蘇芳の問いに、吉野は苦笑しながら首を振る。



 以前『杜月』が潰れかけたとき、蘇芳を始めとする多くの友達が自分たちの小遣いをかき集めて、この金を借金の足しにしてくれ、と吉野にくれたことがあった。工場がなくなるとか、家を取られるから引っ越さなきゃいけなくなるとか、ひどい噂ばかりが広まっていたのだ。

 その頃には、吉野のポーカーの師匠である木村もどこにいるのか判らなくて、吉野は自分が唯一可能な方法で金を稼いだ。そのわずか数万円の金を参加料(バイ・イン)にして、オンラインポーカーのトーナメントに参加したのだ。ゲームに勝ち進む度に皆に報告した。その度に皆、興奮して、大喜びで、吉野を力いっぱい応援してくれたのだった。



「あの後、無茶苦茶怒られたんだぞ!」

「そういや、そうだったな!」


 二人は顔を見合わせてゲラゲラ笑いあった。


「賞金も返したんだっけ?」

「うん、でも、金受け取ってから返すまでの間にさ、すげー為替が動いてさ、15%ほど、為替差益が出たんだ。その金で飛鳥をここのサマースクールに行かせてやることができた。そこであいつに会ったんだ。結果的には、それで『杜月』は助かった。お前らのおかげだよ」


 吉野はにっこりと眼を細めた。だがすぐにその瞳から笑みを消した。敏感にその意味を察した蘇芳は、身体を起こしベッドに放りだしてあったショルダーバッグを手元に引き寄せると、中から白い紙袋を取りだした。


「ほら、忘れないうちに渡しとく。おじさん、心配していたぞ。また発作がでてるんじゃないのかって」

「もしもの時のためだよ、心配いらいないって言っておいて」


 吉野は袋を受けとると、椅子の背もたれにかけたローブのポケットに捻じこむ。


「あいつ、あのころの兄ちゃんと同じ顔色だったな。青白くって、目が落ち窪んでいて、頬こけててさ、目の周りが真っ黒なの」



 吉野は背を向けたまま、黙って食事を続けている。その背中に、努めて冷静に聞こえるように蘇芳は声をかける。


「夏は、帰ってこいよ」

「帰れたらな、飛鳥次第だよ」


 振り向くことなく、吉野はぼそりと呟いた。





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