石造りの壁の中3
「ツィゴイネルワイゼン……」
なんて哀しそうなんだろう……。胸が締め付けられる……。
教室内から漏れてくるヴァイオリンの音色に、エドガー・ウイズリーは扉を開けることを忘れてその場に立ち尽くしていた。
気が付くと曲はとっくに終わっているのに、その余韻にひたったままボロボロと泣いていた。
「さぼっていた割には、随分といい顔で弾くようになったじゃないか」
キャンベル先生の声だ。約束の時間をかなり過ぎてしまっている。
エドガーは慌てて制服の袖で涙を拭うと、ノックをして扉を開けた。
「おはようございます。先生、遅れてすみません」
教室内に視線を向けると、キャンベル先生が、ヴァイオリンを手にした生徒の両肩に手をおいて、どこか意地悪な、嫌味な頬笑みを浮かべている。
その生徒は背中を向けていたが、明らかな不快感を全身から漂わせていた。
気まずい空気にエドガーは目を伏せた。いたたまれなかった。
「初めまして、神童君」
すらりとしなやかな手が、伏せた視界に差し出される。その下の綺麗に磨かれた靴に、何故か既視感があった。その優雅な立ち姿に見覚えがあった。
跳ねる様に顔を起こし、背の高い相手を見上げて、驚きの余りエドガーは口をパクパクさせ、
「あの……。ありがとうございました!」
上ずった声で、やっとそれだけ口にした。
「何のことかな?」
何日も探し回っていたその人は、エドガーの手を軽く握ってにこやかに微笑むと、
「では、僕はこれで」
と、素早くヴァイオリンをケースにしまいにかかった。
「まぁ、待ちなさい。紹介がまだだろう」
キャンベル先生が、口元に皮肉な笑みを浮かべたまま引き止める。
「ヘンリー・ソールスベリー、三学年だ」
三学年! 最上級生だと思っていた! 僕とふたつしか変わらない!
エドガーは、先ほどにも増して目を丸くした。
「でかい目だな」
ヘンリーはクスッと笑ったが、表情を引き締めるとキャンベル先生に視線を移した。
「オケでは彼が第一の首席、僕は前座でピアノと演奏。それでいいでしょう?」
「久しぶりに出てきて、相変わらず我儘だな。前座ならソロでパガニーニだ」
「弾けるわけがないでしょう」
「できないわけがないだろう? エドガーだって弾ける」
エドガーの頭上で会話が飛び交う。おろおろして見守っていると、
「じゃ、彼が弾けばいい。僕は出ない」
捨て台詞を残して、ヘンリーは教室を出て行ってしまった。
あっという間のことに、エドガーはあっけに取られて見送るしかない。
「全く、天才君は我儘だな……。きみは、見習うなよ」
エドガーはオロオロと先生を見つめたが、訳が判らないので黙っているしかなかった。
「クリスマス・コンサートに出るように、説得してくれないか。同じ寮だろう?」
「え?! そうなんですか!」
「なんだ、知らなかったのか?」
入学して二カ月も過ぎたのに、全然知らなかった。上級生は恐れ多くて、関わるのは寮長くらいだ。それにしても、灯台下暗しとはこのことだ。二週間も探していたのに!
「全く、あいつは一筋縄ではいかない。頭が痛いよ」
ぼやくキャンベル先生に、思わず大きく頷いた。
僕もです、先生……。やっと会えたのに、思いっきり忘れられていました……。
エドガーは、キャンベル先生と顔を見合わせて、苦笑いするしかなかった。




