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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第五章
277/805

  投資8

 煌びやかなシャンデリアの下、華やかなドレスをまとい甲高い笑い声を立てている御婦人方や、いかにも成功者の風格を醸しだしているタキシード姿の紳士でごった返す大広間を、二階の回廊の大理石の手摺にもたれて見下ろしていた吉野は、「いないな」と残念そうに呟き、それ以上目当ての人物を探すことを止めた。


 サウードの友人という形で、フェイラー家主催のパーティーに参加している吉野とサウードは、会場であるフェイラーの大邸宅に着くなり、ずっと年末から連絡の取れないアレンの姿を探しているのだ。


「待って、見落としがあるかも……」

 同じように階下を見渡していたサウードは、諦めきれない様子で振り返る。

「いないよ、俺、目はいいんだ。ここから、あのバルコニーの入り口にいる男の頭を射抜けるくらいにね」


 吉野は今いる場所から遥かに離れた、総ガラス張りの窓際に立つ顔すら朧にしか判別できない男に狙いを定めて弓を構える仕草をする。ただのフリだと判っているのに、彼のその獲物を狙うような厳しい視線に囚われ、サウードは声を失い身動ぎひとつできず固唾を呑んで見守った。


「パシッ」と、架空の矢を放つ。


 冷たく凝視していたその男から視線を戻すと、吉野は何ごともなかったように、にっといつもの笑顔を見せた。


「ここにいて。見つけてくるよ」

 言い残すと同時に、目を見開いたまま自分を見つめているサウードを置いて、階段を下りていく。



「イスハ―ク、あれは誰だ? あのヨシノが狙っていた男は?」

 ふーと息を吐いて緊張を解くと、サウードは件の男性を再び目で探した。

「リック・カールトン、ガン・エデン社のCEOです」

 傍らのイスハ―クは確認するようにちらと眼下に目をやると、表情のないまま答えた。




 待つというほどもなく、吉野はじきに戻ってきた。

「判ったよ、アレンの部屋は二階の南端だ。体調が悪いから部屋にいるだろうって。ボーイにチップをはずんだらすぐ教えてくれた」

 さっそく歩きだしながらも、サウードは首を傾げる。

「ここから行けるのかな? アレンの部屋って住居部分にあたるわけだろ、一般客は入れないようになっているんじゃないのかな」



 その疑念の通り廊下は行き止まり、三人は当惑して立ち止まることになる。


「階段が別なんだと思う」

 サウードは記憶を探るように眉を寄せる。

「この時代の建築は、たしか――」

「外から探すか。部屋の当たりがついたら、中に入ればいい」

 事もなげに吉野が言うと、「きみ、また窓から入ればいいって思っているだろ?」サウードは呆れ顔で吉野を凝視する。

「思わないよ」

「本当に?」まだサウードは疑わしげに見つめている。

「これくらいの規模の家ってさ、セキュリティーがしっかりしているだろ? さすがにそんなヤバイ真似はできないよ」

 吉野は苦笑いして肩をすくめた。






 暗く影ったバルコニーの下、調えられた芝生の上をサクサクと歩きながら、吉野は頭上にそびえる広大な邸宅を見上げていた。


「建物の外見は英国マナーハウスと変わらないのに、庭の趣味はまったく違うんだな」

「え、外観だって違うよ、ここは十九世紀フランス・ルネッサンス様式だよ。でも、確かに英国みたいな庭造りや、主人自ら植物の世話をするっていうのは、こっちでは聞かないね」


 とりとめのない雑談を交わしながら百部屋は越えるという屋敷の南側に回り、直下たつ壁面を見上げた。二階の端といっても、幾つもの窓に明りが灯っている。どれが、アレンの部屋なのか皆目見当がつかなかった。





「見つけた」


 頭上を見上げていた吉野が呟いた。

「ピアノの音がする。間違いない、あいつだよ」

「どうやって中に入ろう……」


 ここに来るまで一向に出入り口が見つからなかったのだ。


「ああ、そこの彫刻を伝って行くよ」

 吉野は平然と言うと、屋敷の角に立つ剣をかまえた騎士像を指さした。

「セキュリティーに引っかかるんじゃなかったの!」

 呆れて大声をだしたサウードに、吉野はしぃーと唇の前で指を立てる。

「監視カメラなんかないよ、この周りには。赤外線も反応しない、大丈夫。それに窓をぶち割るわけじゃないしな」


 言い終わるよりも早く、背伸びして中空に埋め込まれた騎士像の台座に指先をかけたかと思うと、石造りの塀の取っ掛かりに足をのせてよじ登っている。呆れ顔だったサウードもすぐに諦めたように苦笑して、背後に控えるイスハ―クに「お前も行け」と命じていた。








 煌々とした灯りに照らされた室内では、バァーンッ、と乱暴に鍵盤を叩く音が響き渡り、「絶対に嫌だ! 人前には出ない!」とアレンの鋭い声があがっていた。

「僕は、病気療養中なんだろう? 都合のいい時だけ見世物に使われるのは嫌だ!」



 窓ガラスをノックしようとした吉野は、躊躇い拳を止めた。神経を高ぶらせて怒るアレンの背中越しに、同じ顔の少女がいる。身を隠すよりも早く、その彼女と目が合ってしまった。


 息を呑み、驚愕している姉の表情に、アレンは訝し気にその視線を追って振り返る。


 仕方ないなと小さく哂い、吉野は窓ガラスをノックする。


 駆け寄り、震える指先で窓の鍵を外しながら、アレンは信じられないものでも見るように目を見開いて、ガラス越しの吉野を見つめた。見つめているのに、どんどん視界がぼやけて、目の前の吉野が滲んで判らなくなっていく。



 やはり、これは夢なんだ。吉野がこんなところにいるわけがない――。



 ぎゅっと力を入れて閉じた瞼からこぼれ落ちた涙を、吉野の指がそっと拭った。


「おい、泣くなよ。お前が元気にしているか、見にきただけなんだからさ」

 恐るおそる目を開けると、吉野が困ったように首を傾け微笑んでいる。


「ヨシノ……」


 なんて言っていいのか、判らなかった。言葉が見つからない。


「ヨシノ……。そのホワイトタイ、上級生しか、しちゃ駄目なんだよ」


 本当にどうでもいいような言葉が、口からついて出ていた。


「固いこと言うなよ。お前そういうところ、兄貴そっくりだな。仕方がないだろ、お前ん家の招待状のドレスコードにブラックタイ着用ってあったんだよ。タキシード持ってないんだ、俺。それにホワイトタイでも入れてくれたぞ、お前ん家」


 大真面目に答える吉野を見つめていると、いつの間にかアレンの涙も止まっている。


「きみ、正面玄関から来たの?」

「当たり前だろ」

「ちょっと、アレン、どういう事!」



 背後で忘れてしまいたい厄介ごとが金切り声を上げる。さっき以上に腹立たしくて、きっと睨みつけて振り向くと、彼女はまた変な顔をして窓辺を見つめて大声を――、上げる瞬間に、吉野の長い指がその口を覆っていた。


「ごめんな。俺たち、すぐ帰るからさ」


 キャルの耳許で囁いて、吉野はそっと手を外す。


「帰るの?」

「うん、子どもの時間はもう終わりだからな」


 笑って、アレンの腕を引っ張ってバルコ二―に出ると、身を乗りだして大きく手を振った。バルコニーの陰にはイスハ―クが立っている。キャルの悲鳴の原因は彼――。アレンはイスハ―クに右手を差しだした。


「来てくれてありがとう、イスハ―ク」


 無言で握手を交わし、イスハ―クはバルコニーの下を指し示す。アレンも吉野に並んで、地上で待つサウードに思い切り大きく手を振った。




「じゃ、もう行くよ」


 再び泣き出しそうに伏せられたアレンの顔を見て、吉野は一瞬迷い、「一緒に来る?」と戸惑いがちに訊ねた。アレンの唇が震え、きゅっと口角を上げる。想いを振り切るように大きく首を横に振る。


「ありがとう、ヨシノ。でも、僕がこの家を出る時は、堂々と正面玄関から出ていくよ」

「そうか」


 吉野はいつもと変わらぬ様子で、にかっと笑った。


「俺も次にここに来る時は、正面からお前を迎えにくるよ。待ってろよ」


 それだけ言い残し、吉野はバルコニーの手摺に足を掛けると、ひらりと飛び越える。イスハ―クもそれに続いた。




「飛んだ――」


 いつの間に背後にいたのか、キャルが駆け寄ってバルコニーから下を覗き込んでいる。アレンもまた、夜の闇に紛れるテールコートの三人組の後ろ姿をいつまでも目で追っていた。


 僕はきみを待たないよ、ヨシノ。

 僕の方から、必ず君たちのところへ帰るから。

 待っていて、僕を待っていてね――。



 手摺に手を掛けたまま、アレンは崩れ落ちるようにその場にしゃがみこんだ。嬉しさと、淋しさと、悔しさがごちゃ混ぜになって一気に襲ってきていた。奥歯に力を込め、息を止め、深く深く息を吐いた。顔を上げて、ぼんやりと薄暗い芝の上に視線を漂わしている姉に告げた。


「キャル、ピアノを弾いてもいいよ。でも曲目は僕に決めさせて」



 まだこの家のどこかにいるに違いない彼らに、この想いが届くように――。








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