追加
TSを所有していることが、一種のステイタスとなった。
シンボルカラーの青紫のメタリックなボディー以外、取り立てて他のタブレットとの差はないのに、一度、空中画面を立ち上げれば、周囲から感嘆の声が上がる。その瞬間の持ち主の誇らしげな顔といったら、まさしく未来をリードする先駆者にでもなったようだ。
だが、タブレットとしては高額すぎる値段と少なすぎる生産台数のせいで、オークションでの鰻登りに法外な値段での中古品取引に、TSと偽った詐欺まがいの商品までが出てきて、不満と対応の遅れを糾弾する声も高まっている。
年末の発売日以降、一ヶ月が過ぎてもCEOであるヘンリー・ソールスベリーは沈黙を守ったままだった。
「アーニー、苦情対応は落ちついてきた?」
ケンブリッジのフラットで、黙々と日々の事務的な作業をこなしていたアーネストは、申しわけなさそうな色を含んだ飛鳥の声に、「かなりね。やっぱり、空中操作の違和感に馴れるまでが問題だったね」と、眼前に浮かぶTS画面の報告書を目で追いながら答えるた。
「それにしても、開発者のきみが、いつまで経ってもパソコンだとはねえ……」
呆れたように笑い面を上げる。そして、いつの間にかパソコン画面から離れてソファーに深く身をもたせかけている飛鳥の疲れきった様子に、今さらながら気づいて眉をひそめた。
「アスカ、」ローテーブルの上のティーポットから、上品なアンティークのカップにお茶を注ぎ、ソーサーごと持ち上げて飛鳥の胸元まで届ける。
「ありがとう」
飛鳥は目を眇めて受けとると、しばらくの間、ティーカップの中でゆらりと揺らぐ金色の紅茶をぼんやりと見つめていた。と、急に何を思ったのか、人差し指をその表面に突っ込んでいた。
「熱っ!」
「大丈夫! 火傷していない?」
慌てるアーネストの目に、曖昧な苦笑を浮かべる飛鳥が映る。
「ごめん、平気だよ。――空中画面の指先への抵抗感をもう少し、強くしてみようかと思って。もっと指に負担がかかるくらいの方が、かえって触れている実感が持てるんじゃないかな……、サラに言って、」
言いかけて、飛鳥は押し黙る。
「僕がやるよ」
虚ろな目で空を見つめたまま呟いていた。
「コンセプトはこうだよ。まるで、水面を叩くような柔らかさ――」
小さく息をついて、ぐいっと自分自身を励ますように微笑んだ飛鳥を、アーネストは気遣うように見つめた。
「アスカ、無理しないで」
「スイスに行くよ」
飛鳥はまた、沈み込むようにソファーにもたれていた。
「ヘンリーがいなくても、進められるよ。彼が戻ってくるまでに、できるところまで僕がやる」
目を瞑って、眠っているかのようにじっと動かない飛鳥に、アーネストは何と声をかけていいか判らないまま、重苦しい沈黙が流れていた。
いつの間にか居間に入ってきたデヴィッドが、飛鳥の背後から腕を廻してぎゅっと抱きしめていた。
「アレンはいつ帰ってくるの~? ヨシノから連絡は?」
弟の明るい声に、アーネストはほっとしたように息をつく。飛鳥は頭を反らせてデヴィッドに顔を向けると、首を横に振る。
「TSネクストのポスター、撮りたいんだけれどなぁ……」
デヴィッドはソファーを乗り越えて座ると、自分でカップに冷めかけたお茶を注いで、一気にごくごくと飲み干す。
「アレンは成長期だからね~、今の中性的な雰囲気でいられるのも、わずかな間だけだもの」
「判らないよ。どうしてアレンは戻ってこないの?」
飛鳥の問いかけに、「今回は、フェイラーも怒っているだろうからねぇ――」とデヴィッドとアーネストは、困ったように顔を見合わせる。
「いわゆる~、駆け引きだよぉ~。ヘンリーが、TSにアレンを引き込んだから~」
「サラのことは、ヘンリーのお母様も、お祖父様も、知っていたはずなんだ。サラが、サラ・スミスでいる分には問題はなかったんだよ。でも今回、ヘンリーが、って言うよりも、リチャード叔父さんがサラを認知して戸籍に入れたからね。これでサラにも相続権が発生したんだ。フェイラーとしては、困った問題になったってことさ。特にアレンの素性に関してがね」
「フェイラーも、頭を悩ましているってところかなぁ~。だからさぁ、ヘンリーは、まだ動かないのぉ?」
デヴィッドも困り顔で溜息をつき、口を尖らせて上目遣いで兄を見る。
眉をひそめて聞いている飛鳥に、アーネストは安心させるように、ふわりと厳しい表情を崩してにっこりと微笑みかけた。
「心配いらないよ。この件に関しては、ヘンリーの持っているカードの方が強い」
「そのカードを切るかどうかは判らないけれどねぇ」
今まで見たことのないようなデヴィッドの冷たい視線に、飛鳥以上にアーネストが驚き、嗜めるように眉をひそめた。
「お前、アレンに情でも移ったの?」
「判っているよ~」
デヴィッドはぷいっと膨れっ面をする。
「でも~、アレンはもうTSの顔だよ~」
気まずい沈黙を破るように飛鳥は顔を上げ、「僕は、僕に出来ることを頑張るよ」と、遠くを見るようだった、ぼんやりとした瞳に力を戻して、奥歯をぎりっと噛みしめた。




