証8
「ヨシノ、遅いよ!」
テムズ川に面した高級ホテルのペントハウスで待っていたサウードは、遅れてきた吉野の仏頂面を、ほっとしたように満面の笑みで迎えた。
白を基調とした配色にラベンダーと若草色をアクセントにした上品な設えのリビングルームで、思い思いに寛いでいたクリスとフレデリックも、吉野の姿を見て安堵して駆け寄っていた。
「ずっと連絡がつかないし、心配していたんだよ!」
「ごめん、スマホなくしちゃってさ。まぁ、戻ってきたんだけれどね」
吉野は曖昧に笑い、ポケットに手を突っ込んだままぐるりと部屋を見渡す。そのままつかつかと窓辺に進むと、皆に背を向けて、「すごいな――。ロンドンアイが目の前だ」
映画の大スクリーンさながらに両端を上質で重厚な明るいラベンダーのカーテンで挟まれた窓から、眼下に広がるパノラマ風景を一望する。
「ヨシノ――」
振り返った吉野を見つめ、皆、一様に押し黙っている。
「アレンは、大丈夫だった?」
クリスが我慢できないと言った態で、先頭を切って口を開く。
「そりゃ、ショックだよね……。いきなり腹違いの義妹がいるなんて知らされたら――」
「義妹――」
反芻する吉野に、「それにしても可愛い子だよねぇ。ヘンリーにしても、あの子にしても、アレンの家族は美形揃いだね」とクリスは、心から羨ましそうにため息をついている。吉野は俯いて、くっと皮肉気に哂った。
そんな吉野をじっと見つめていたサウードは、「ヨシノ、食事に行こうか。ここのレストランを予約しているんだ」と場を取り成すように声をかけた。
「へぇ……。だからホワイトタイ着用か。この制服なら、そうなるよな」
小首を傾げてクスクスと笑う吉野に、皆やっと緊張を解いて口々に話し出した。
「さすがのヨシノも、ここの料理には文句をつけないんだね!」
食事を終えて部屋に戻り、揶揄うようにふざけてじゃれるクリスに、「なんだよ? 俺ってそんなにクレイマーか?」と吉野は口を尖らせて抗議する。三人は顔を見合わせて、その通り、とばかりに頷いた。
「俺、別に何だって食う……。てこともないか――」
思い返して言い澱んだ吉野に、フレデリックもクスクス笑いながら重ねて言った。
「きみって、美味しくないものを食べるくらいなら、飢えているほうがマシって感じだよ! その辺、アレンもすごかったけれどね。――そういえば、アレンときみがハンバーガーを半分こして食べている画像がアップされていたよね。驚いたよ! あのアレンが、あんなジャンクフードを口にしているんだもの!」
言ってしまってからはっと顔色をなくすフレデリックに、吉野は別段気にしたふうでもなく、「ジャンクだって、あそこのやつは旨いんだぞ。今度連れてってやるよ」と、にっと笑う。
眼下に広がる夜景の中、ひと際目立つ大観覧車ロンドンアイが青や赤にその色を変えながら、全面のリングにダイヤモンドを散りばめたかのように点滅を始めた。
「カウントダウンだ!」
「六、五、四、三、二、一!」
背後で流れるテレビ放送に声を合わせた。
ビッグベンの鐘が鳴り響き、冬の夜空に盛大な花火が打ち上がる。
「新年おめでとう!」
窓に張りつくようにして歓声を上げ、花火を眺めるクリスとフレデリックの背後で、サウードと吉野はソファーに腰を下ろして、ほぅ、とため息をついていた。
「米国は、まだ明けていないんだな――」
「一緒に見たかったね」
サウードも残念そうに呟いた。
「なぁ、なんでお前ら、そんなに俺に気を使ってんの?」
吉野は、絶え間なく打ち上げられる花火を凝視しながら囁くように訊いた。
「なんかよく判らないけど、いろいろ騒がれているからか?」
サウードは困ったように微笑み、遠慮がちに目を伏せた。
「きみは、あんなふうに噂されて気にならないの?」
「何のこと?」
「ぶっちゃけ、きみ、どっちとつき合っているの?」
「はぁ?」
眉をひそめて向き合った吉野の顔を押し黙って眺めていたサウードは、突然腹を抱えて笑いだす。
「大衆って、ほんと、怖いね」
吉野は黙りこくったまま不愉快そうに窓の外に視線を戻した。
「馬鹿か。サラとはほとんど話したことがないし、アレンはダチだぞ。それに男だろうが――」
「いや、あれだけ綺麗だともう、性別なんて関係ないんじゃない?」
「お前、あいつのことをそんな目で見てるのか?」
冷たい吉野の口調にサウードは苦笑して、宥めるように彼の肩に手をかけた。
「まさか、世間一般の話だよ」
「皆、暇なんだな。アレンも変に顔が知れ渡っちまったから仕方ないのかな――」
吉野は苦々しそうに顔をしかめている。
「きみって、意外と――」
言いかけて、じっと悔しそうに歯噛みして花火を食い入るように眺めている吉野の心情を慮って、サウードは言葉を呑み込んだ。
アレンじゃなくて、きみだよ。皆、きみのことが知りたいんだ。
野生動物のように自由で、美しくて、繊細なのに、きみは自分の事となると驚くほど無頓着だ――。
「十年後、僕らは何をしているかなぁ――。二十四歳、大学はもう卒業しているよね。院に進んでいるかなぁ、それとも、働いているかなぁ――。ねぇ、十年後もこうして一緒にカウントダウンを迎えようよ!」
色取り取りに輝く夜空を背に振り返って、クリスが恍惚とした顔をして大声で言った。
「ね、約束だよ!」




