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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第五章
260/805

  証7

「ヨシノ、いいかげんに起きなよ~」

 何度呼んでも微動だしない。ソファーに寝そべってうたた寝する吉野の鼻を、デヴィッドは思いきり摘まんでみた。

 顔をしかめてその手を振り払い、嫌々起きあがった吉野は、「何すんだよ、殺す気かよ!」と憤然として睨めつけた。


「やっと、起きた! どうしたの~? ずいぶん疲れた顔しちゃって~」

 投げ出されていた脚が床におろされ、やっとスペースの開いたソファーに腰かけて、デヴィッドは吉野の頭をごしごしと擦るように撫でた。

「ああ――、論文。ハワード教授に提出するやつ。大学行くの止めたからさ、代わりに何か目に見える形で成果を挙げろって、学校から言われてるんだよ」

 吉野は面倒くさそうに、ソファーにもたれている。そして、そのまましばらく、ぼんやりと(くう)を眺めていたが、「腹、減った……。ハロッズって、今日、開いてんの? 食い物買ってくる」と面倒くさそうにローテーブルに散らばしていたレポートを集め、片づけ始める。


「買い物に行くって――。ヨシノ、SNS見ていないの~?」

 デヴィッドは信じられない様子で呟いた。


「今、スマホないんだよ。飛鳥のパソコンは会社の専用回線で、外部アクセスできないし。ここしばらくネットは触っていないよ」

TS(トランススパークス)があるでしょ」

「ああ――。忘れてた」


 というより、思い出したくもなかった――。


 うっとおしげに眉根を寄せ、だらけたまま動かない吉野に、デヴィッドは、

「はい」と、スマートフォンを手渡した。吉野は黙って受け取り、「うゎ! メール溜まりまくってんじゃん……」と小さくため息をついて、百件以上はあるメールを新しい順にチェックし始める。



「ヘンリー、帰ってきたの?」

 ぽつんと、呟くように訊いた。だがその目は、返事なんかどうでもいいように画面を追っている。

「めんどくせぇ、ドレスコード有りかよ――。そんなもん、持ってるわけないだろ――」


 ブツブツと文句を言いながら画面をタップするその様子に、デヴィッドは吉野の手許を覗き込み、顔を寄せて訊ねた。


「どうしたの~?」

「カウントダウン、サウード達とすごすんだ。俺たちだけだって言ってたのに、ドレスコード、ホワイトタイ着用って書いてある」

「制服があるじゃない。タイとシャツくらいなら買ってきてあげるよ~。既製品になるけれどねぇ」

 デヴィッドは、ちらっと吉野を見ると悪戯な顔で微笑んだ。


「うちの制服にボウタイって、上級生の特権だろ?」

「へぇ~、ヨシノでもそんな事、気にするんだぁ!」


 クスクスと笑うデヴィッドに吉野は顔をしかめて、「お前、日本にいた時より性格悪くなったな」と嫌味がましい言葉を投げつける。


「やっぱりここはホームグラウンドだからねぇ」

 デヴィッドはニヤニヤ笑いながら、吉野の手の中のスマートフォンの画面を勝手に切り替えて、SNSのアイコンをタップする。

「ヨシノの方こそ、相変わらず派手に動いてくれちゃって~」


「何だよ、これ――」

 次々と表示される自分とアレンの、カムデンタウンや、ウインター・ワンダーランドでの画像に顔を歪め、吉野はデヴィッドに険しい視線を向けた。

「アーニーがホテルから出るな、って言ったでしょ~。言う事、聞かないからだよ~」

「嘘つけ。つけてたくせに。デュークとサイモンがついてるのに、こんな事になるわけないだろ? 説明しろよ」

 吉野は顎をしゃくってデヴィッドを睨めつける。

「目ざといねぇ~。――おまけに、アレンのボディーガードとファーストネームで呼び合う仲なわけ?」

 今度は、デヴィッドの方が目を丸くして、驚いていた。

「面白い子だねぇ、きみって――」




「検索ワード一位が、これだよ~」

 デヴィッドはスマートフォンの画面に文字を打ち込んでみせる。

『TS天使 アスカ・トヅキ弟 クリスマスデート』

「はぁ!?」

「次が、これ~」

『ヘンリー・ソールスベリー妹 アスカ・トヅキ弟 博物館デート』

「撮られていたんだよ。ヨシノとサラが、博物館にいるところ。運が悪かったというかぁ。インド細密画から抜け出てきたような美少女と、東洋の少年のカップルが微笑ましくて、思わずパチリってのは仕方ないにしても、それがヘンリーの妹だってその後の事件で気づかれてさぁ――。アップされたとたんに拡散されたんだよ。サラはまだ具合が悪いみたいだし、削除が追いつかないんだぁ」

 申し訳ない、といった風情でデヴィッドは肩をすくめる。


「それで?」

 吉野は、険しい表情を崩さず先を促した。

「いやぁ、きみが、予想以上に面白いことしているからさ――」

「あいつらに隠し撮りさせて、サラと俺の話題に上書きしようとしたってこと?」

「まぁ、平たく言えばそういう事だね~」

 デヴィッドは空々しく笑い、吉野を上目遣いにそっと見あげた。


「TSの宣伝にもなるし、だろ?」

 吉野は上から見下ろすような視線を投げかけ、皮肉な面持ちで哂いかけた。そして、ふっと視線を逸らし、どこを見るというわけでもなく視線を漂わせた。

「――俺は、別にいいよ、それで。探りを入れられて、サラがTSの開発者だってバレたら困るんだろう? 悲劇の少女でいてくれた方が都合がいいもんな……。アレンは――。あの天使がアレン・フェイラーだって、まだ公表してないんだったよな。公になれば、単に杜月とソールスベリーは家族ぐるみのつき合いだ、ってことでカタがつく。ある意味すごいよな、エリオットって。学校内からアレンのこと、バラす奴がいないなんて」

「以前はそうでもなかったけどね。フランクが死んじゃってからかなぁ……」


 デヴィッドは、ふっと表情を曇らせて呟いた。


「フランクって?」

「フレデリック・キングスリーのお兄さんだよ。ヨシノ~、同期だろ? ――ヘンリーの、エリオットでのクリスマスコンサートの動画、知ってる? ツィゴイネルワイゼンを弾いたやつ」

 吉野は黙ったまま頷く。

「あの動画はぁ、当時、監督生だったフランクが、ヘンリーに無断で動画サイトに挙げたんだよ~。その頃、監督生と生徒会ってめっちゃ仲が悪くってさぁ、ま、今もそう変わらないとは思うけど~……。フランクは、その動画で資金を集めて生徒会の勢力を削ぐための買収工作を仕かけたんだよ~。でも、そのせいでヘンリーが酷いとばっちり受けちゃってさぁ。ストーカーっていうのかなぁ――。街で追いかけ回されたり、写真を撮られたり、それも、一人や二人じゃなかったからねぇ……」


 不愉快そうにため息をつくデヴィッドに、吉野は眉根を寄せたまま視線で続きを促した。


「それで、ヘンリー、フランクにけっこうキツイこと言ったんだ。えっと、『僕を売るようなやつを、友達だって言えるのか?』だったかなぁ……。ごめん、よく覚えてないよ。それでぇ、それからすぐに、フランクは死んじゃってぇ、事故なのか、自殺なのか判んなくてぇ……。それからだよ、学校側も、生徒会も、監督生も、生徒のプライバシーの流出には神経質なくらいうるさくなったの」


 吉野も、ふーとため息をつくと、くしゃっと顔を歪めて哂った。


「俺は、お前が俺のこと売っても、怒らないよ。それがTSのためになるのなら――。もう漕ぎ出した船からは降りられないもんな……」


 吉野はまたソファーに寝転びなおし、足先でデヴィッドの腿を突いた。


「だから、お前が買ってこいよ。腹減ってんだ、俺。ハロッズのフードホールで、クラブハウスサンドとコーニッシュ・パスティがいい」

「ちょっと、ヨシノ~、年上を足蹴にするんじゃないよ~」


 デヴィッドは唇を尖らせふくれっ面をしてみせたが、すぐにケラケラ笑って、吉野の足をパシッと叩いて立ち上がると、「ボウタイとシャツも買ってくるから、遅くなるよ」と、吉野の頭をくしゃっと撫でた。





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