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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第五章
258/805

  証5

 僕はこの三日間の思い出だけで、これから先どんなに辛いことがあっても、生きていける気がする――。


「また、学校で」

 ホテルの前で吉野と握手を交わし、タクシーに乗り込んだ。後部座席に身を沈めて、アレンは哀し気に、けれど幸せそうに微笑んでいた。




 朝から晩まで遊園地で遊び回り、夜には教会の深夜のミサに出た。多くの人たちが家庭に籠り、祝う、聖なる日当日は、この一角にロンドン中の旅行者を集めたのかと思えるほど賑やかな、チャイナタウンのレストランに連れていってもらった。公共の交通機関は全面運休し、タクシーも一向につかまらなかったので、ソーホーからナイツブリッジまで、街中がシャッターを閉め、静まりかえる通りを歩いて帰った。吉野は始終ふざけていて、僕はずっと笑いっ放しだった。でも、さすがに翌二十六日は疲れ果てて、昼過ぎまでダラダラとすごした。一度もインターネットを開かなかった。

 その間に発表されたヘンリーのコメントに米国にいる祖父は激怒し、その日の夕方には、急遽、帰国命令が届いた。




 右手に結んだ黄緑色のミサンガを反対の手でそっとなぞった。クリスマス・マーケットで、吉野と揃いで買ったものだ。

 綺麗に編まれた色取り取りの紐が何をするものかまるで判らなくて、吉野に訊ねた。願掛けのお守りだと教えられ、一緒に何か願い事をしようと誘った。


 ――俺、願掛けたりしないよ。願うようなことは、まず行動するもの。


 吉野は少し困ったような顔をした。


 ――自分の力だけじゃどうにもできない事だってあるでしょ? そんな願い、きみは持っていないの?

 ――あるけど、神に祈ったりはしない。

 ――ほらここに、ミサンガが切れる時その努力が実を結ぶ、って書いてある。何か難しい目標を立てて、それに向かって努力しようよ。それならいいでしょ?


 屋台に貼られた宣伝用の説明を読み上げると、何を願うんだよ、と、呆れ顔の吉野が訊いた。思わず、


 ――友達ができますように。


 と、言ってしまった。


 ――ほかの事にしろよ。その願いはもう叶ってる。


 吉野は苦笑いしながら言ってくれた。




 渋々利き腕にミサンガを結びながら、きみは何を願ったのだろう?


 アレンはきゅっと奥歯を噛しめて、深く息を吸い込んだ。肺に空気を貯め込んで、一、二、三、と数を数えて息を吐いた。


 ほら、これだけで涙が止まる。



 祖父からのメッセージを読んだ後、


 ――サラ・ソールスベリーって、どんな子だった?


 一番知りたくないと思っていた言葉が口を衝いて出ていた。

 アレンがずっと願い続け、禁じられてきた、ソールスベリーの苗字を与えられた女の子。彼と同じ、四月生まれの子。吉野が、ここへ来る直前まで一緒にいた女の子。


 ――自分で、逢いに行け。


 吉野は真っ直ぐに僕を見つめて答えた。

 嘘のない彼の瞳を見ていると、どうしようもなく泣きだしそうになったけれど、アレンは歯を食い縛って、唇の端を無理矢理に上げて、頷いた。

 吉野は、そっとアレンを抱き締めた。


 吉野は最後まで何も言わなかったし、何も訊かなかった。ただ、傍にいてくれた。だからアレンは、泣かずに済んだ。自分では、耐えられないと思っていたようなことでも、笑ってやり過ごすこともできるのだと判った。


 どうでもいいような他愛のない話をし、一緒に食事をし、ふざけ合う。

 ただそれだけの、吉野と過ごした三日間が、こんなにも自分を強くしてくれているなんて――。



 ほかの願いにしろ、と彼に言われた時、決められなかった願いを、アレンは今、決めたのだ。



 どうか神様、エリオットに戻って来られますように。彼と共にすごせる時間を僕に下さい。この願いが叶うのなら、どんな努力も厭いませんから――。



 アレンは背筋を伸ばし、頭を高く上げて手を組むと、車窓から流れていく空を眺めた。そして、どんよりとロンドンを覆う、灰色の雲の向こうにあるはずの青い空に向かって、祈りを込めた。







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