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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第五章
234/805

  始まり8

「なぁ、お盆の間くらい休ませてくれよ」

 ふくれっ面をした吉野は、キッチンで紅茶を淹れているウィリアムに噛みつくように声を荒げた。

「駄目です。きみを外に出すと、またとんでもないことをし出かすでしょう?」

 湯気の立つティーカップを差しだしながら、ウィリアムは冷めた視線で吉野を見つめ返す。



 先日、ベランダから壁づたいに逃げだしたことは怒られなかったのに、アレンのボディーガードを使ってホテルのカジノで小遣い稼ぎしたことが早々にバレ、散々に叱られた。ポーカーはやらない約束だから、ルーレットにしたし、自分でやったわけじゃないのに、やはり怒られた。


 どうやら、稼いだ後の服を買う段になって、店選びを人任せにしたのがまずかったようだ。アレンと、クリス、それにサウードまで額を突き合わせてごちゃごちゃと相談し合った挙句、サウードの父親の行きつけの店に決まった。顔が利くから便宜を図ってくれる、それがいい、とみんな頷き合ったからだ。後はついて行くまま、されるがままに任せたらこの始末だ。

 まさか、そこがアーネストの贔屓にしている店だなんて、不運としか言いようがない――。どうやらあの店は本来はオーダーメイドしか扱わないらしく、サウードが無理矢理、今すぐ必要なのだ、と見本品で吉野の体型に合うものをその場で直させて手に入れたのがまずかったようだ。疑われる原因になった。


 詰めが甘かった――。


 吉野は目の前に置かれたティーカップに視線を落とし、ぼんやりと思い返して歯噛みしている。



「なぁ、もう皆と約束したんだよ」

 駄目押しとばかりに、もう一度だけ頼んでみる。

「お断りして下さい」

 取りつく島もない。

「もういいよ」

 吉野は、紅茶に手をつけることもなく憮然として立ち上がると、「昼寝するから、起こすなよ」と拗ねた声で一言告げ、キッチンからのろのろと出ていった。



 時間がないのに――。


 自室に鍵をかけると、吉野はリュックを持ってベランダに出た。


「ちぇ、ロープまで取り上げやがって……」


 チラリと手摺に目をやると、そのまま空室になっている隣の部屋のガラス戸を開け中に入った。気づかれないように様子を伺いながらそっとドアを開け、階段の踊り場に出ると静かに出窓を上げる。


 だいたい俺の部屋だっていうのに、鍵はウィルが持っているってどういうことだよ――。


 むしゃくしゃと悪態をつきながら、窓枠を乗り越えて外に出ると、目の前の枝を掴んで窓を閉め、そのままその木の大枝に身を移した。音を立てないようにゆっくりと木を下りていく。


「ばーか。俺がケンブリッジに入りたいんじゃない。あいつらが、俺を入れたがっているんだぞ」


 頭上を見上げて呟くと、吉野はフラットの陰に置かれた自転車にひらりと跨って走りだした。







 夜も更けたヘンリーの屋敷では、トントントン、と、ドアを三回ノックする音に、部屋の主人が訝し気に立ち上がっていた。間を置いてドアを開けると、はぁはぁと息を弾ませ、不安そうな震える声で、大きく目を目を見開いたサラが縋りついてきた。


「ヘンリー、門のセキュリティーキーが、ハッキングされてる。誰か、侵入しているわ」


 安心させるようにヘンリーは彼女の頭に手を置いて、落ち着いた声音で微笑みかける。


「きみのセキュリティーを破ったの? すごいなその侵入者、スカウトしたいくらいだ」

「侵入者は私の作ったハッキングソフトを使っているの。前にアスカに頼まれて作ったものをいじってあるみたい。アスカは、あれをいったい何に使ったの?」


 片手で額を覆いクスクスと笑い出したヘンリーを、サラは怪訝な顔で見つめて唇を尖らせる。


「ヨシノだ……。心配いらないよ、サラ。すまない、ちょっと着替えてくるよ。直にアスカの弟がここへ来るからね。門が開いたのはどれくらい前だった?」

「ついさっき。一時五十六分三十八秒だった。警告が出て走ってきたの」

「それなら、急いで来てもあと三十分はかかるな。サラは、休むといい。明日の朝にはヨシノ・トヅキを紹介してあげる」


 楽しげに微笑んだヘンリーは、優しくサラの頭を撫でて部屋に戻るように促した。




 落ち着かないまま、薄暗い廊下をパタパタと自室に向かっていたサラは、急に立ち止まると向きを変え階段を下っていた。今、胸を占める焦燥感は、行きと違って侵入者を恐れてのものではなかった。


 私の作ったセキュリティーキーが破られるなんて――。


 初めて味わう悔しさに唇を噛み、図書室に戻ると灯りを点けて、一直線に机に向かいパソコンの電源を入れる。


 どこに穴があったの?


 自分の組んだプログラムを一つ一つ確かめながら目を走らせる。




 カツン、


 屋外から聞こえた物音に、サラはびくりと肩を震わせた。恐るおそる窓の外に視線を向ける。静かに立ちあがって、ガラス戸を開け外に出る。


 夏とはいえ夜ともなると肌寒い。ぶるっと身を震わせて、煌々と照らされたベランダの向こう側に広がる闇に沈んだガーデンルームに目を凝らす。

 ふと、欄干のバラスターの一つに引っ掛けられた、覚えのない金具に目が留まった。確かめようとした時、欄干に人の手が掛けられ、一瞬のうちに、ひらりと何かが飛び込んできた。



 目を見開き、金縛りにかかったように身動きできぬまま、サラは立ち竦んでいた。


「ごめん、驚かせて。飛鳥はどこ?」


 Tシャツにジーンズ姿の身軽な侵入者は、押し殺した声で、静かに、囁くように尋ねていた。






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