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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第五章
228/805

  始まり2

 飛鳥が目を開けると、濃緑の天蓋がまず視界に入る。ゆっくりと首を動かす。同色のカバーと枕の向こうに、こげ茶色の支柱と優しい空色の壁紙が見える。ぐるりと頭の位置を変える。

 漆黒のまつ毛に縁どられた大きなペリドットの瞳が、そこにあった。明るい、撥ねつけるようなその輝きに魅入られて、目が離せなくなっていた。


 黒々とした長い髪を一つに編んで肩から垂らし、ベッド脇に両手で頬杖をついて、飛鳥をじっと見つめていたその目が数回瞬きをして、小さな口がゆっくりと開いた。


「大丈夫?」

「アスカ、気分は?」


 可愛らしい声の上に、ヘンリーの声が重なる。飛鳥は思わずシーツの端を握ってぐいっと引上げ、情けない自分の顔を隠した。


「サラ、ちょっと外してくれる?」

 サラは軽く頷いて立ち上がり、パタパタと音を立てて部屋を出た。



 ドアの閉まる音を聴いて、ほっとしたようにおずおずと顔を出し、起き上がった飛鳥は、「僕はレディーの前で、すごく失礼なことをしてしまったのかな?」と、泣きそうな口調でヘンリーを見やる。ヘンリーは微笑んで首を振った。


「吐いたりはしなかったよ。その替わり、倒れたけどね」

「似たようなものじゃないか――」

 飛鳥はまた、自分の膝に顔を埋めた。

「幾分かはマシだろう? すまなかったね。きみが三半規管が弱いことをヨシノから聞いていたのに。車酔いしてしまったんだろう? もっと休憩を取りながら来るべきだった」

「最悪の第一印象だ――」

 飛鳥は膝を抱えたまま呟いている。

「起きれるようならお茶にしよう。それとも、もっと休む?」

 ヘンリーは慰めるように、飛鳥の髪をさらりと撫でる。



「起きるよ」

 ベッドからもぞもぞと這い出したものの、とたんにドスンと腰を突いた。支えようと伸ばされたヘンリーの腕を拒んで、飛鳥は大きく肩で息を継いだ。


「彼女、幾つなの?」

「きみの弟と同じだよ」

「嘘だろ? もっと年下かと……。ああ、吉野の見かけが大人び過ぎているのか――。まったく、あいつは図体ばっかりでかくなって、中身はあんなに幼いのに。彼女と反対だね」


 飛鳥はこれまでオンラインで会話してきた理知的なサラと、吉野を比べて苦笑いする。それにしても、十四歳とはとても思えない。二つ、三つは幼く見える。小柄な背と、小さな顔、それにあの作り物のように大きな眼のせいだ。


「ヘンリー、僕はあんな綺麗な女の子、初めて会ったよ。お人形が動いているのかと思った」

「ありがとう。サラも喜ぶよ」

「だからこの失態をなんとか挽回しないと、もう恥ずかし過ぎて、立っていられない気分なんだ」

 飛鳥は大きくため息をつく。


「サラは気にしないよ」

 ヘンリーはクスクスと笑っている。そして、のろのろと立ち上がって、自分の旅行鞄を開いた飛鳥に背を向けて立ち、静かな声で訊ねた。


「きみは、何も訊かないんだね」

「訊いたよ、彼女の年齢」

「そうじゃなくて――。彼女の肌の色や、髪の色や、」

「きみが、きみの妹だって紹介してくれたじゃないか。それに僕は、彼女が本物のシューニヤだっていうこと、判るよ。それ以上に知らなきゃいけないことがある?」


 飛鳥はまるで、知りたくない、とでも言うように、ヘンリーを遮った。


「サラは学校にすら通っていないんだ。こんなふうに人目から隠すように暮らさせていることを、きみは非難しないの?」


 ヘンリーは背中を向けたまま、後ろ手に組んだ手をぎゅっと握り合わせていた。

「僕だって吉野を隠したいよ。吉野が女の子だったら、きっと、きみと同じようにしていた。あんな、彼女ほどの才能の塊を人目に晒せるわけがないじゃないか。きみは間違っていないよ。そうやって彼女を守ってきたんだろう?」


 飛鳥は言葉を切って、ごそごそと新しいシャツを出し着替え始めた。


「ヘンリー、タイはいるの? 正式なお茶会?」

「…………。いや、タイはいらない。カジュアルでかまわないよ。それにきみ、まだ本調子じゃないだろ?」


 衣擦れの音が止むのを待って、ヘンリーはゆっくりと振り返った。


「まだ顔色が悪いな」

「また失敗するんじゃないかって、緊張しているんだ」

「きみはそのままで完璧だよ」


 微笑んで、飛鳥の肩に手をかけた。


「行こうか、サラが待ちくたびれているよ。きみに会えるのを、本当に楽しみにしていたんだ」





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