告白3
エリアスは『休憩中』の札を出すと、いつものカウンター席ではなくテーブル席へと向かいアンを呼んだ。
「アン、ヨシノが店の改装に手を加えたいらしい。ちょっと来てくれる?」
アンは同じテーブルに着くベンジャミンにチラリと目をやったが、黙ったまま言葉通りに従った。
「で、肝心のヨシノは?」
「ランチを作ってくれている」
ランチと言っても、既に三時を回っている。最近ではランチタイムが忙しすぎてお昼を食べる時間も取れず、いつもこの時間にまでずれ込んでいる。
「お待たせ!」
機嫌よさそうな声音とともに、吉野が厨房から続くドアを蹴り開ける。トレーにのせた油紙に挟んだ食べ物を一つづつ皆に手渡して回り、自分も席に着く。
「これ何? 日本風クレープ? それともピザ?」
二つ折りにされた紙を開き、温かな湯気の立ちあがる生地を見て、アンは好奇心に瞳を輝かせる。
「見た目はカルツォーネみたいですね」
エリアスも面白げに眺めながらその印象を呟いている。
「まぁ、冷めないうちに食えよ」
吉野は言いながら、まずは自分がかぶりついた。
「おかわりはないの?」と食べ終わるなり訊ねたベンジャミンに、「このソース、美味しいわ。ミンチが入っているのね、それから、葱と――」嬉々として分析を始めるアン、にこにこと笑っているエリアス。
「味付けは、お前ら向けに甘めにしといたよ」
楽しげな瞳でみんなを眺めていた吉野は、その満足そうな顔にほっとした様子で相好を崩した。
「一銭洋食って言うんだ。作り方は、ピザよりもクレープに近いかな。鉄板の上で焼くんだよ。それ用の機材を入れようと思ってる。今はないからさ、フライパンで作ったけど」
材料と作り方を説明しながら、「お好み焼きの軽いやつだよ。最近、お好み焼きがロンドンで人気なんだ。でもここじゃ、まだまだ知名度は低いだろ? 腹もちがいいし、クレープやタコスみたいに歩きながら食える。作り方も手間を省いて、短時間で焼けるようにしたんだ。それでな、」
吉野は、くしゃくしゃにされて置かれている包み紙をトレーに集め、台拭きでテーブルを拭くと、傍らの椅子に丸めて置いてあった改装工事の設計図面を広げた。
「ここにテイクアウト用窓口を造りたいんだ」
図面の上に鉛筆で描き加えながら、吉野はアンを、お伺いを立てるような眼差しで見つめた。
「お祖父ちゃんは何て?」
アンは困惑して顔を傾げる。
「アンに訊けって」
「テイクアウト用窓口を作ったとして、手が回らないわ」
「この店の規模じゃ、今以上の回転率は望めないんだ。今みたいな貸し切り専用ならともかく、二階を改装して昼も解放するならメニューも増やさなきゃならないし、フロアにだって、もう一人くらいは雇わなきゃならなくなるだろ?」
そう言われても、とアンは、自分の一存では決められない、と口ごもる。
「取りあえず、フロアで新メニューとしてどれくらい出るか、統計を取りましょう。テイクアウト用の改装は、それほど大袈裟なものでもないでしょう? 後からでも変更がききますから」
エリアスの助け舟に、アンはほっとしたように立ち上がった。
「コーヒーを淹れてくるわ」
吉野は少しがっかりしたように、「乗り気じゃないみたいだな」とカウンター内のアンを目で追い、呟いた。
「これ以上エリオット校生が増えるのが嫌なんですよ。これ、彼らの為のメニューなのでしょう?」
その言葉に敏感に反応し、キッと表情を強張らせたベンジャミンを宥めるように、エリアスは緩やかに微笑んだ。
「女の子たちがうるさくてね」
「確かにな」
お前までそんなことを言うのか、とベンジャミンは吉野を睨めつける。吉野は軽くため息をついた。
「最近、校内の噂で聞いたんだよ。ここに来たらさ、女の子、引っ掛け放題だって。まぁ、俺みたいなガキは関係ないけれど、シックスフォームの連中がな」
背もたれに体重を預け、椅子をギシギシと揺らしながら、吉野はうっとおしそうに顔をしかめている。
「下級生は食い物のことしか言わないし、上級生は女の子の尻、追っかけ回すことしか頭にないし、俺、どうすりゃいいんだよ!」
ガタン、と音を立てて椅子に座り直してテーブルに肘をつくと、当惑して黙り込んでいるベンジャミンに向き直る。
「ベン、あんた、次年度の監督生任命はほぼ確定なんだろ? なんとか対策してくれよ。だいたいお茶一杯で何時間も粘る女の子たちよりも、金払いのいい観光客や、地元のオヤジ連中に来てもらう方が、店にとっちゃ、有り難いんだよ」
ベンジャミンは困り果てた顔で、コーヒーを淹れているアンに目をやった。吉野はその視線をちらと追い、唇をへの字に曲げて、またベンジャミンに視線を戻す。
「おい、お目付け役。あんた、何のために俺にくっついて来ているんだよ? チャールズにチクるぞ」
吉野の冷たい視線に、ベンジャミンは、「え?」と動揺して、じたばたと言い訳を探した。その様子を、エリアスは笑いを噛み殺し、見守っている。
「何? 何の話をしているの? えらく楽しそうじゃないの」
コーヒーをテーブルに置きながら訊ねたアンを上目遣いに見上げ、ベンジャミンは真っ赤になって長い指で隠すようにして顔を背けた。
「――夏になるとさ、みんな羽目を外したがるからさ、気をつけないとな~、て話」
吉野は、また小さくため息をついた。そして、青や緑の色ガラスを透かして拡がるぼんやりとした揺れる日差しを眺めつつ、おもむろにコーヒーカップを手に取った。




