表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第四章
203/805

  避雷針5

 「『新製品は、手のひらサイズのTS(トランススパークス)!』だってさ。順調に拡散されていってるみたいだね。やっぱり、口コミは強いねぇ」

 呆れたような口調とは裏腹に、SNSサイトを次々と確認しているアーネストはあくまでも上品に微笑んでいる。



 ロンドンのアパートメントの小さな坪庭は、すっかり春めいてラッパ水仙が群れ咲いている。暖かな日差しの中、それを階下に見下ろすベランダのガーデンセットに座り、三人はそれぞれに好きな事をしながら、午後のお茶を楽しんでいた。


「新製品も何もないだろ、まだ何も発売されてないのに」

 英文学のテキストから目を離すことなく、吉野はぶっきらぼうに茶々を入れる。

「これが第一弾製品になるよ」

 テーブルに置かれたパソコンを凝視したまま、飛鳥が答える。


「そりゃ、そうだな。あの見本市のは惨かったもんな」

「やっぱり、判った?」

「元を知っているからな」

 吉野はテキストから顔を上げて、憮然とした面持ちで飛鳥を見つめる。

「実物を映している訳じゃない、人工知能で修正しまくりの拡大画像だろ? ステージ受けのいい、(てい)の良いパフォーマンスだ」

 吹き出すアーネストを尻目に、飛鳥も苦笑いしている。

「そうだね、反論できないよ」



 飛鳥の提案した、タブレットで拡大できる最大サイズは二十インチだ。それ以上はどう頑張っても、どうしようもなく画像が粗くなり、ヘンリーの望む形には至らなかった。それをコズモスの人工知能技術で画像修正して作り出されたのが、見本市でのTSだったのだ。


「でも、それでいいんじゃないかと思えるんだ。人間の脳だって、眼から得た情報を脳内で画像処理しているんだもの」

 のんびりとした飛鳥の言い分に、「TSの人工知能が、人間の脳の代わりをするのか?」と吉野は嫌そうに顔をしかめる。


「僕らが見ていると思っているものも、実は、脳内で取捨選択されたあやふやなものに過ぎないってことだよ。現実そのままよりも、画像処理された見やすいものを人は好むものかもしれないって、最近、思うんだ。実際のところ、空中に映す鏡を創る必要なんてないだろ?」


 以前とは違う、熱のない静かな飛鳥の言い方に、吉野は漠然とした不安を感じ取っていた。


「なら、『杜月』はコズモスには必要ない」

「いずれはね」


 押し黙った吉野に、飛鳥は優しく微笑みかける。アーネストも黙ったまま紅茶を口に運んでいる。だが、その瞳は睨めつけるように飛鳥を見ている。気詰まりな空気が重たくその場を満たしていた。それを払拭するように、飛鳥は声を高めて訊いた。


「それで、やっぱりスイスには、一緒に来ないの?」

「行かない。そのために、今日わざわざ会いに来たんだろ? 最初の週はクリスの家で、次の週はフレデリックの家に招待されている。もう三回断っているから、行ってくるよ。飛鳥もその方が仕事に打ち込めるだろ?」


 先程の飛鳥の言葉が引っかかるのか、吉野は浮かない表情のまま早口で答えた。


「かえって心配で仕事が手につかなくなるよ」

 冗談なのか本気なのか判らない微妙な表情の飛鳥に、「過保護だねぇ、全く……」とアーネストはため息をついて苦笑している。

「なぁ」

 と、吉野は、急に思い出したように、「ごめん、アーニー、貰った時計をなくしちまったんだ」と申し訳なさそうに頭をぴょこんと下げた。



 アーネストは猫のように目を細めて髪を掻き上げると、「じゃあ、新しいのをあげるよ」と、薄く笑った。特に気分を損ねた様子もないので、吉野の方もあっさりと唇に笑みのせ、首を横に振った。


「いいよ、もう買った」

「時計は、いいものを身に着けておかないと」

「そんな高価なもの、またなくすと嫌だからさ」

「アーニー、ごめん。本当にいいよ。学校で、きみがしているような高価なものは必要ないよ」


 反論すべく口を開きかけていたアーネストも、飛鳥も口を挟んできたとあっては、渋々引き下がるしかない。軽く肩をすくめ、視線を空に漂わせた。


「日が陰ると、まだまだ寒いね」

 徐々に鼠色の雲が広がり、暖かな陽光を遮り始めていた。


 飛鳥がぶるっと身震いをしたので、ベランダのテーブルを片づけ、居間に戻ることにした。お茶を淹れ直しにキッチンに向かうアーネストに、コーヒーは自分で淹れる、と、吉野も続く。




「なぁ、アーニー、サラがヘンリーの腹違いの妹って、本当なの?」

 湯が沸くのを待つ間、白で統一された生活感のないキッチンの、大理石の天板に腰かけていた吉野から発せられた唐突な質問に、アーネストは眉根を寄せてきつい視線で応えながら、「誰に聞いたの?」と固い表情のまま逆に訊き返した。


「エリオットの先輩」

 その返答に、小さくため息をつく。

「それ、誰かに話した?」

 吉野は黙って首を振る。


「誰にも言わないでくれる? アスカにも。あの子は――、サラは小さい頃に誘拐されたことがあって、なんというか、いろいろ事情があるんだよ。だから本人から話すまでは、ヘンリーにも訊かないで欲しいんだ」

「本当なんだ?」

 重ねて問われた吉野の言葉に、アーネストは諦めたように頷いた。

「何歳?」

「ノーコメント。本人が話すまで、僕は何も喋らないよ。ヨシノ、きみにだって、誰にも触れられたくない大切なものがあるだろう?」



 お前たちは、その大切なものを掻っ攫ったじゃないか――。


 吉野は無表情に、「解った。もう訊かない。誰にも言わないから安心して」と告げ、背を向けて沸騰し過ぎた湯を止め、しばらく冷ましてから、コーヒードリッパーに注ぎ入れた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ