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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第四章
201/805

  避雷針3

 電話を切った飛鳥は、もう後悔の念を瞳に湛えてアーネストに問いかけている。

「どうしよう、アーニー? やっぱり、言うんじゃなかった――」


 三月末からのスイスでの研修旅行は、すでに決定事項だ。そのためのスケジュールもびっしりと詰まっている。吉野を伴って行ったところで、ろくに相手もしてやれない。それならば、吉野にとってはハーフタームにもわざわざ訪ねてきてくれた、仲の良い友達と過ごす方がずっとマシに違いない。幾人もの友達からの招待を断ってまで休暇を自分の許で過ごさせるのは、吉野にとって、とても、もったいない事のように思えた。

 でも実際に口にしてしまうと、ぞろりと不安と後悔がもたげてきたのだ。



「どうしようって?」

 膝に置いた本を読みながら、アーネストは気のない返事をする。

「もし、吉野が友達と過ごすからスイスには行かないって言ったら――。やっぱり二週間もの休暇の間、あいつを放っておけないよ」

 飛鳥はうろうろと落ちつかず、居間を歩き回っている。

「心配性だね。あの子はしっかりしているし大丈夫だよ」

「でも、子どもなんだよ、まだまだ……。入学して半年も経たないのに反省室入りとか、ありえないだろ! やっぱりポーカーがネックなんだよ」



 吉野のスマートフォンに逆ハッキング用のソフトを仕込み、食いついたらアレンの画像を見つけ出して削除する、それだけしか聞かされていなかった飛鳥は、吉野の懲罰沙汰を聞いて、自分の方こそ倒れそうになるほど心配で、ずっと眠れなかったのだ。


「ポーカーね――」

 アーネストは読みかけの本から顔を上げ、銀縁の眼鏡を外してさも可笑しそうに笑った。

「数学科が張りきっているよ。次のイースターは雪辱戦だってね。おかげで大学のカードゲーム同好会は盛況で、会員数が増えたって喜んでいたよ」

「雪辱戦って――。素人が吉野に勝てるわけがないのに――」

「素人って、きみ、それはちょっと言いすぎじゃないか? ヨシノだって、幾ら数字に強くたって素人に変わりはないよ」


 飛鳥の言い様は、少しアーネストの気に障った様子だ。だが飛鳥は、心中の不安に気を取られすぎていて、気づきもしない。


「エリオットのオンラインカジノ疑惑がすんなり片づいたのはね、吉野はすでにブラックリストに載っているからなんだよ。十歳の時に年齢を偽ってトーナメントに出場したから。だからアカウントを絶対に取得したりできないんだ」


 飛鳥は苦々しい思い出に、腹立たしげに語調を荒げていた。



 すぐに片がつくからこれでいい、と吉野から提示された案に、アーネストは下手したら退学ものだと思いながらも、一か月以上経っても見つけ出せなかったアレンの画像を管理しているデーターベースを持つIPを特定するためにその案に乗った。

 法律に違反する内容であれば、生徒会(あいつら)は必ず対処してくる、その相手が杜月飛鳥の弟であればなおさらだ、などと、吉野は人ごとの様に笑って言っていたのだ。



「あいつが小学生の頃のことなんだ。『うち、金に困っているんだろ?』って、日本円でね、いきなり三百万円もの金額の入った通帳を見せられた時は、心臓が止まるかと思ったよ」

「ポーカーで稼いだお金ってこと?」

「賞金だったんだ。オンラインポーカーのトーナメントの。途中で止めさせたからその程度の金額だったけれど、優勝候補って言われていたらしい」


 アーネストは目を見張り、ごくりと唾を呑み込んだ。飛鳥は苦々しげに眉をよせ、胸中の鬱屈を吐き出すようにとつとつと話し続けた。


「工場が大変で、吉野を放ったらかしにしていた僕らがいけなかったんだ。いつも他人に預けっぱなしで、甘えていた。吉野が普段何をしてすごしているかなんて、ちっとも知らなかったんだ」

「それで?」

「サイト元に連絡して賞金を返して、アカウントは削除してもらった。木村さん――、吉野にポーカーを教えてくれた人なんだけれどね、木村さんには悪いけれど、うちは吉野をギャンブラーにする気はなかったからね。大体、吉野はまだ子どもなんだから! 考え方だって、まだまだ単純で、短絡的な奴なんだよ!」


「それでヨシノにはポーカー禁止なの?」

 アーネストは残念そうに訊ねた。

 飛鳥は情けなさそうに嗤って、「僕は吉野に甘いから――。お金をかけないゲームならって、許している。楽しみを全て禁止してしまうのも可哀想でね」とひょいっと肩を竦めた。


「なるほどね」

 アーネストは少し考え込むように押し黙ると、つぃっと飛鳥に視線を戻して笑みを浮かべた。

「つまりきみは、ヨシノを野放しにしておくのが心配なんだね」

「野放し――」

 飛鳥はその言葉に苦笑しながら頷く。

「それなら監視役をつけるよ。ビル・ベネットみたいなプロは雇えないけれど、適任者がいる。ヨシノが羽目を外しすぎないように監視させる。これでどう?」

「監視――。そんなの、吉野が嫌がる」

「彼にはもちろん、ばれないようにするよ」


 まぁ、監視役は、とっくにつけているんだけれどね。


 日本留学中のウィリアムの報告を思い出し、アーネストは、ひとりほくそ笑んだ。早めに手を打っておいて良かった、と。ポーカーに関しては全くの寝耳に水だったから、日常的な問題ではないのは本当のようだ。彼は校内では、兄との約束を律儀に守っているらしい。


 しかし、次から次へとまるで話題にことかかない。冬の池で泳いでいると聞いた時は、アーネストもさすがに耳を疑った。


 確かに、飛鳥でなくても、こんな子を一人ではおいておけないよ――。


「そんなに心配しないで。せっかくの学生生活を満喫させてあげなよ。ヨシノはまだ、子どもなんだしね」


 

 アーネストの気楽な物言いに、飛鳥は渋々頷いて、深くため息をつくしか、どうしようもないのであった。







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