謹慎2
「やっぱりいまいちだな、出来合いのチキンは……」
カウンターに腰を下ろした吉野は、出来上がったばかりのチキンティッカマサラを一口試食をすると、不満気に舌打ちする。
「十分旨いぞ」
ジャックはバクバクとカレーを口に運んでいたが、ふっ、と吉野を見る目を眇めて――。
「おい、簡単にできるとか言いながら、また前みたいに、どんどんややこしくなるんじゃないだろうな?」
「なぁ、チキンくらい自前で漬け込みたいよなぁ」
にやにやしながら見つめ返す吉野に、「そうやって、結局、わしじゃ手に負えなくなっていくんだろ!」とジャックはスプーンを突きつける。
「スパイスを調合してくるよ、チキンティッカ用のをね。一日、何皿出たかつけておいて。今日ので三十皿分、三日で無くなりゃ万々歳だな。」
吉野はカウンターに片肘をついて、窓の外を誰かを待つかのようにじっと眺めながら言った。
「幾らで出せばいい?」
ジャックはチキンを頬張りながら、もごもごと訊ねる。
「ロンドンじゃ、だいたい一皿十ポンドくらいだったよ。ジャック、鶏肉は、一皿三切れだぞ、ちゃんと数えて入れろよ」
皿にもうおかわりを盛りつけているジャックを見て呆れたように笑い、吉野は立ち上がった。
「俺、もう行くよ。俺の連れが来たら、これを渡しておいてくれる? イスハ―クって、アラブ人。見た目怖そうな背の高い奴だからすぐ判ると思う」
印刷されたペラペラな紙を二枚、ジャックに手渡した。
「一枚は、壁にでも貼っておいて」
「何だ?」
「原材料表と、ハラールマークの鶏肉使用の写真のコピー。これがないと、ムスリムは安心して食べられないだろ?」
「それ以前に、こんな酒場に来んだろうが?」
「厨房を借りているだけだって言ってあるからさ。……あー、そうか、駄目だよな、うっかりしていたよ。酒場も無理なのか――。ハラムを使っていないだけじゃ駄目なんだ。場所も規制があったよな、確か。しまったなぁ」
大きくため息をつく。
「もうサウードのメシ係、下りるしかないな……。こんなインスタントばかり食べさせてもいられないもんな」
吉野はチラリと山積みの段ボール箱に目をやり、困ったように頭をかいてローブを羽織った。
「あのフルートは、きみの兄さんにちゃんとお返ししておいたからね」
一番奥の席に座り、微動だしないまま目の前に置かれた皿を凝視するか、時折、楽しそうに話している吉野とジャックを不安そうに代わる代わる見つめるだけだったアレンは、唐突に話しかけられ、びくりと驚いて身を固くした。吉野はそんなアレンよりも、ぶっと吹き出しそうになって慌てて口を押えたジャックの方が気になって、眉根をひそめた。
「何だよ?」
「いや……、お前、本当にエリオット校生なんだな。その話し方、本物みたいだぞ」
拳で口を拭い、その太った大柄な身体を揺すって、ジャックは遠慮なくげらげらと笑っている。
「ジャック、俺を何だと思っているんだ?」
吉野は苦笑して行きとは違い、空っぽになったリュックを軽々と手に取った。
「じゃ、また来週な」
カラン、カラン――。
そっと遠慮がちに扉が開き、また、ローブを纏った学生が入って来た。
「残念。俺、もう出るところだ。でもカレーが出来立てだ。食っていけよ」
吉野は、おずおずと辺りを見回し、吉野を見つけてぱっと明るく笑顔になったクリスと、パシッと手を打ち合わす。
「おいおい、坊主、本当にうちの店を、お坊ちゃん相手の店にする気か?」
ジャックは、ドアに向かう吉野の背中に大声で呼びかけた。
「なるわけないだろ、こんな小汚い店!」
吉野は、笑いながら手をひらひらと振って、店を後にした。
「アレン、きみも来ていたんだね!」
クリスは、ほっとしたように言うとその横に腰かけた。
「美味しい?」
アレンは困ったように首を傾げ、やっとスプーンを手にすると一口、口に運んだ。
「坊ちゃんも食うかい?」
カウンター越しにパブの主人に声を掛かけられ、「ええ、お願いします」とクリスは上品に微笑んで答えた。ジャックはひょいっと肩をすくめ、苦笑いしながらカレーを皿によそう。
俯いたアレンのぎゅっと閉じられた瞼から、涙が溢れつぅと頬を伝い落ちていた。
「どうしたの?」
クリスは驚いて目を見張り、そっとアレンの背中を支えるように腕を回す。
「彼は、僕のことが、嫌いなんだね――。無視されることが、こんなに辛いなんて、僕は、知らなかった」
「違……。そんな事ないよ。だって、ヨシノは……」
言いかけて、クリスは、はっと口を噤む。
今度、問題を起こしたら、停学――。
寮長の言葉が脳裏をよぎっていた。さすがに停学は重すぎるけれど、物品販売も、下級生だけでパブに入ることも、買い物も、全部罰則ものだ。その上にさらに暴力行為が加わったら、吉野は、厳しい罰を受けるに違いないのだ。
「ヨシノの作る料理は、本当に美味しいんだよ!」
そう明るく言って振り返ると、クリスは少し離れたカウンターチェアーに腰を下ろしているジャックに声をかけた。
「お幾らですか?」
「十ポンド」
立ち上がってジャックの前にお札を置き、「ありがとう、ご主人」と、微笑みかける。
「ほら、冷めないうちにいただこうよ」
クリスは手を組み合わせ、目を瞑り、食前の祈りを口の中で唱えて十字を切る。
「食べたら分かるよ。ヨシノは、きみのことを嫌ったりはしていない、って。彼は、嫌いな相手に自分の作ったものを勧めたりはしないよ。だってヨシノは、いつだって食べる人のことを大切に思いやって作ってくれているんだもの」
クリスの言葉に、アレンは濡れた睫毛を瞬かせた。そして、もう一度、おずおずとスプーンを握り直していた。




