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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第四章
176/805

  用意周到4

「ヨシノ! 降りて来て!」

 クリスは息を弾ませて、やっと見つけた木の上の吉野を大声で呼んだ。

「誰の用事? みんな俺のこと、しょうもない用事で使いすぎだろ!」

 イライラとした声だけが、遥か頭上から降って来る。

「僕だよ! 僕がきみと話したいんだ!」

 クリスは、木の枝に留まる大きな鳥の羽にも見える、黒いローブに向かって更に声を高める。

「じゃ、登って来いよ」

 平然と言い放つ吉野に、「無理だよ!」クリスは唇を尖らせて叫び返す。

「ロープを下ろしてやるよ」



 吉野は、自分の座っている枝に金具の付いたロープを回して固定し、ゆらりと垂らしてやった。

「それから、これ嵌めて」

 次いで、ポケットから取り出した手袋を投げてやる。




 クリスは手袋を受け止めて嵌めると、ぎゅっとロープを握りしめ、片足を木に掛ける。


「そうじゃない、結び目があるだろ? そこに足を掛けるんだ」


 言われた通りにロープの結び目を足掛かりにして、自分の身体を引き上げた。歯を食いしばり、顔を真っ赤にして必死に登る。やっと、吉野のいる枝が近づいてきた。ふいに痺れるような手の痛みが消え、大きな手に支えられて身体がふわっと宙に浮いた。

 慎重に下された座りの良い枝の上で、目の前の幹にしがみつく。しばらくすると早鐘のように鳴り響く心臓と、荒い息使いも落ち着いてきたので、頭をそうっと動かしてみた。葉のすっかり落ち切った冬枯れた樫の木の、三又に分かれた枝の一本に腰かけている。小刻みに震える手を、落ちないようにと幹に回したまま、地面を、ついで樹上に広がる空を眺める。


「空が近いね」

 ロープを登っていた時のドキドキとは別の高揚感が、全身に広がっていく。今まで感じたことのない不思議な充足感を味わいながら、自然に湧き上がってくる笑みで頬を緩めて、吉野を振り返る。


「なんでだろう? わずか数ヤード高い場所にいるだけで、世界が違って見えるよ」

「何でだろうな」

 吉野もにっと笑って言った。


「それで、話って?」

「この景色を見ていたら、どうでも良くなっちゃったよ」

 クリスは木の幹に背をもたせかけて、すっきりと微笑んだ。

「そうか」

 吉野も、特に訊こうともしなかった。



「でも、ここに来るまで、かなり迷ったよ」

 クリスは思い出したように苦笑いして言った。

「位置情報を教えたのに?」

「池の方が判り易くて良かったのに」

「葉が落ち切ったからな。こっちの方なら、来る奴もいないし。向こうはしょっちゅう、フェイラーがうろうろしているからもう行かない」

「きみを探しているんだよ」

「言うなよ」

 それには答えずに、クリスは唇を尖らせて悔しそうな顔をした。

「時々、腹が立つよ。なんでアレンは、きみのこと、あんなに嫌うんだろうって」

「そうか? 俺は解るよ」


 茜色に空を染め、金色の塊が幾重にも重なる木々の細い枝の向こうにゆっくりと傾き始めている。吉野は眩しそうに目を細め、ぽつりと呟いた。


「綺麗だろ。影絵みたいだ」

 樹の幹を挟んで背中合わせのクリスに声をかける。クリスはそろそろと身体の向きを変え、顔を上げた。

「羨ましいな。きみはいつも、こんな高みから世界を眺めていたんだね」


 二人とも、じっと黙り込んだまま同じ空を見つめた。


「きみはどうして嫌われるのが怖くないの?」

 唐突に尋ねられた問いに、吉野はククッとおかしそうに笑った。

「どうして万人に好かれたいって思うんだ? 他人に気に入られるように気を使って、生きていて楽しいか?」


 逆に尋ねられたが、クリスには答えられなかった。ただ目を見開いて、吉野を凝視するしかない。


「俺は、俺のことを判ってくれる奴が一人いればいいよ」

 吉野は枝の上に立ち上がるとじっと遠くを眺め、「帰ろうか。日が落ちると、お前、暗闇の中じゃまともに歩けないだろ?」と、からかうような声音でクリスを促した。




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