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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第四章
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  入学8

「きみがここに呼び出されるのはこれで何回目だい、ヨシノ・トヅキ?」

 キングススカラーと新しく創設された国際スカラーの宿舎となるカレッジ寮の寮長チャールズ・フレミングは、一般生徒とは違う監督生の灰色のトラウザーズとウエストコート、おまけに学内一優秀の証の銀ボタンの鈍く輝く燕尾服を一部の隙もなくきっちりと着こなし、呆れ返りながら吉野を見つめている。


「さぁ? そんなの一々数えていませんよ。で、俺、今度は何で呼ばれたんですか?」

 寮長室のドア脇、寮生の相談用に置かれているソファーの横で、吉野は直立不動のまま素知らぬ顔でうそぶく。

 チャールズは大袈裟にため息をついて、「これに見覚えはないかい?」とポケットから日本製のチョコレート菓子の小箱を出し、優雅な所作でローテーブルの上に置く。


 ちぇっ、誰かドジ踏んだな……。


 吉野は僅かに顔を顰めた。



「寮内での物品売買は禁止されている」

「そうなんですか! 知りませんでした。寮則ハンドブックに記載されていなかったので」

「常識で考えれば判るだろう?」

「英国の常識が日本の非常識っていうことも……」

「きみは今、どこにいるんだい、ヨシノ・トヅキ? もうそろそろ、ここの流儀を覚えてもいい頃なのではないかな?」

「……了解、寮長」

「とにかく、寮内に菓子をばらまくのはやめてくれ。食堂から寮生の食事量が落ちていると苦情がきているんだ」


 まずいからだよ――。


 吉野は黙ったまま鼻で嗤った。


 昼食はともかく、あの夕食ときたら――。犬の餌かよ、全く。常識で考えて足りるわけがないだろ? それ以前に、あれ本当に人間の食い物か?


 入寮するなり大量に送られてきた、町内の爺ちゃん、婆ちゃんからの差し入れの菓子の山を、同じ一学年のキングススカラーたちに分けてやったら、あの日本人の部屋に行けば珍しい菓子が食い放題、とばかりに我も我もと腹を空かせた奴らが集まって来た。そればかりか、あれこれ奪い合った挙句、金を払うから、と居直って注文までしてくるようになった。爺ちゃん、婆ちゃんたちにお礼もしなきゃいけないのに、勝手なことばかり言いやがって。


 腹が減っているなら自分の親に頼めよ!

 何が英国人は食べるものに感心がないだ! 無関心を装っているだけだろ! これが英国の常識かよ?


 吉野は胸中で、溜まりに溜まった悪態を毒づいていた。



 初めて寮長室に呼び出されたのは、簡易キッチンを使ったからだった。


 上級生にならないと、パンをトーストすることすらできやしない――。

 それから土曜日の外出。上級生の付き添いなしじゃ、買い物にも行けやしない――。その次は無断外泊だっけ? それから、芝生を横切った時も――。それから――。


 この学校は、ウイスタン校をモデルにして作られたって話だけど、飛鳥は、こんな寮生活よく我慢できたてたな……。



 吉野は半ば上の空でチャールズの小言を聞き流し、この一カ月ばかりのことを次々と思い出していた。



「……トヅキ! 聞いているのかい?」

「はい、寮長」

 吉野は面倒くさそうに返事をした。

「だから、寮監には今回の件は黙っておいてあげるよ」

「ご配慮感謝します」


 もう、バレようがどうなろうが、どうだっていいよ――。


 だが内心はどうであれ、返事だけは慇懃(いんぎん)に。吉野がここに来てから学んだ、これが一番重要なことだ。


 


「だから……」

 打って変わってにこにこと笑みを湛え、自分を見上げるチャールズに、「判りましたよ。今日は三枚だけですよ」と、吉野はポケットから携帯を取り出して、顔をしかめて困ったようにわざとため息をつき、おもむろに彼の座るソファーのひじ掛けに浅く腰掛けた。


「これは彼が日本に来た時の。うちの玄関前です」

「うわ、激レアだねぇ!」


 チャールズは緑色の瞳を輝かせて画面の中のヘンリーに見入っている。


「あ、ラザフォード先輩もいる! いいなぁ……。この写真、欲しいなぁ」

「駄目です。肖像権の侵害ですよ。欲しいなら本人の許可を取って下さい。全く面識がないわけじゃないんでしょう?」

「それはそうだけれど……。とてもそんなこと頼めないよ。……きみが心底羨ましいよ。あのアスカ・トヅキの弟で、身元引受人(ガーディアン)はラザフォード家、おまけに先輩から名前で呼ばれているなんて……」


 本当に羨ましそうに吉野を見上げてため息を漏らしている彼に、吉野は首を竦めて言った。


「寮長だってアルの従兄弟なんでしょう? アルに頼めばいいじゃないですか。飛鳥やデヴィと一緒に住んでいるんだし」

 チャールズは、ますます残念そうに首を振り、顔を曇らせる。

「アルバートは守秘義務だからって教えてくれないよ。コズモスに就職して、提携している『杜月』で働いていることは聞いたけれど、まさかアスカ・トヅキの実家にいるなんて、きみから聞いて初めて知ったくらいだ……」




 ――ヘンリーは今でもエリオットの英雄さ。


 アーネストから聞いた時は、まさか、と聞き流した。だが本当に、まさかここまで……、というほどヘンリー・ソールスベリーの名はエリオット校に浸透していたのだ。


 数多くのヘンリーの崇拝者の中でも最たる者が、カレッジ寮寮長チャールズ・フレミングだった。

 吉野が飛鳥の弟だと知ると、何かと便宜を図ってくれた。もちろん根掘り葉掘りウイスタン校でのヘンリーの様子を訊いたり、写真をねだったりと、交換条件つきでだが。

 エリオット校では身内に卒業生がいると幾分入学に有利らしく、やたらと、父親が、とか、兄弟、親戚が、といった縁続きが多い。チャールズは、杜月家に来ているアルバート・マクレガーの従兄弟だということだった。


 世間、狭すぎだろ……。貴族ってのは、皆、親戚か隣人かよ?


 吉野はこの一カ月で頭に叩き込んだ校内人物相関図を思い浮かべる。

 そういえば、アルは貴族だけれど、チャールズは違うって言っていたな……。と、血縁と言っても、簡単には言及できないこの国の身分制度に、吉野はすでに辟易しているのだ。


「俺なんかより、彼にそっくりな顔をした実の弟がいるじゃないですか」


 兄弟といえばここもそうだ。吉野がふと記憶に浮かんだ顔を呟くと、「弟ねぇ……」チャールズは眉を顰め、嘲るように唇を歪めて嗤った。







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