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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第四章
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  入学4

 ピピピピ……。

 携帯にセットしていたアラーム音が鳴る。

 ヘンリーはパソコンの電源を切って、無造作に傍らに放って置いたネクタイを持ってガラス窓の前まで移動し、カーテンを自分の姿が映る程度に開けて慣れた手つきで身支度を始めた。


「行くの?」

「いいよ、寝ていて」

「僕も行くよ。早くヨシノに会いたい。デイヴのことも訊きたいし……」

 アーネストは瞼を擦りながら、うたた寝していたソファーから起き上がった。


「着替える時間はあるかな?」

 ぼんやりとした頭を覚ますように眉を顰めヘンリーに視線を向けると、「スーツなんだ?」と、アーネストは意外そうに呟いた。

「彼は賢い子だからね。手懐けるのはなかなか一筋縄ではいかないらしい。それにね、まず一番にもっと躾なきゃいけないそうだよ。だから友人としてではなく、コズモスの最高執行責任者(COO)として、『杜月』の御子息を迎えに行くんだ」

 楽しそうに微笑むヘンリーに、「子ども相手に意地悪だねぇ」とアーネストは苦笑して、すぐ戻る、と大きく伸びをしながら自分のゲストルームへ向かった。






「予定通りだね」

 閑散と静まり返る夜のヒースロー空港到着ロビーの薄暗がりの中で、そこだけが明るく存在を主張するかのような電光掲示板を確認する。アーネストは、ふー、と聞こえるほど長い溜息を吐いた。


 予定通り、五時間遅れ……。


「カフェで待とうか? まだ三十分もある」

 二人は唯一開いていた二十四時間営業のコーヒーチェーン店に入り、時間を潰すことにした。夜中とはいえ、空港内で夜明けを待つ旅行者がかなりいる。皆、仮眠を取ったり、パソコンを開いたりして時間を潰していた。

 上等そうなスーツに身を包み、これから重要な面談でもあるかのような隙のない面持ちの二人は、その華やかな容姿と相俟って、くたびれきった旅行者の中でいかにも際立っていて、そこだけがぽっかりと違う空間を切り取ってきて貼り付けたように、異質だった。





「来たよ、ヨシノだ」

 税関を抜けるまでに手間取ったのか、飛行機が到着してから随分と時間がたってから、ようやく吉野が現れた。立ち上がろうとするアーネストをヘンリーが手で制した。


 彼の姿が見えるなり、先に税関を抜けてロビーで休んでいた数名の搭乗客が、唯一開いているすぐ横のキヨスクで買ったばかりの一輪の花を手渡している。続いてほかの乗客も、次々とキヨスクに走って花やお菓子を買い、吉野に手渡した。


「大した人気者だね」

 ヘンリーは微笑を浮かべる。アーネストも面白そうにその様子をひとしきり眺め、人の流れが切れた頃合いを見計らって、吉野に歩み寄った。




「ようこそ、英国へ」

「お久しぶりですヘンリー卿。わざわざのお出迎え恐縮です」

 差し出された右手を握り返し、吉野は真っ直ぐな瞳をヘンリーに向けた。


 よれよれのTシャツにジーンズ、履き古した汚れたスニーカーで、流暢にエリオティアン・イングリッシュを操るこのデヴィッドのお気に入りを、アーネストは好奇心一杯の瞳で凝視していた。


「デヴィによく似ていらっしゃいますね」

 アーネストと向き合った吉野は、緊張した面持ちから一転して相好を崩した。それだけで、日本にいる弟との良好な関係が伝わった。短髪の下の涼やかな切れ長の目元が笑うと印象を変え、人懐っこく無邪気な様相を呈している。

「疲れたでしょう? 空港での待ち時間から入れるとほとんど一日拘束されていたようなものだものね」

「平気です。飛行機の中でたっぷり寝ましたから」



 子どもらしく明るくはきはきと答える吉野を、アーネストは、デイヴの話とも、ヘンリーの話とも違うじゃないか……。と、訝しく思いながらも、すっかり気に入ってしまっていた。

 この子は、どこか人を惹きつける……。

 頼り無げで華奢な印象の飛鳥とは、まるで似ていないようにも見え、ふとした表情が、やはり兄弟だと重なって見えたりもする。


 だが、この兄弟の佇まい、何かに似ているんだ……。


 何だったのか思い出そうと、アーネストの気が逸れたところで、「ヨシノに代わるよ」と、日本の飛鳥へ無事到着の連絡を入れていたヘンリーが、吉野を呼んだ。






「ね、面白いほど挑発してくるだろう?」

 ロンドンのアパートメントに帰り着き、吉野をゲストルームに案内し終えてから、ヘンリーはリビングのソファーに腰を下ろし、ネクタイを緩めながら可笑しそうに言った。


「え? 何が?」

 アーネストは怪訝そうに訊ねる。

「気付かなかった? あの子の服装、送られてきた出立前の動画と違っていただろ? アスカやウィルが、あの格好であの子を僕の所へよこす訳がないじゃないか」

「そんなこと……」

 アーネストは反論しようとしたが、途中で思い返して口を噤んだ。


「ウィルが相当煩くドレスコードを叩きこんだんだろうね。あの服装を見て僕がどんな反応をするか試したんだよ。…………。日本で、僕に握手を求めたみたいにね」

「そんなふうに計算高い子には見えないけれどな……」

 その言葉に納得しながらも、アーネストは、つい吉野を庇ってやりたい気持ちになって呟いた。

「計算じゃないよ。僕に喧嘩を売っているんだ。その心意気、高く買ってあげないとね」


 ヘンリーはさも嬉しそうに、屈託なく笑っていた。







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